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戦前の上海のフランス租界にあった重松薬房(かさまつやくぼう)の場所
戦前の上海のフランス租界にあった重松薬房(かさまつやくぼう)の現在の場所をご存じの方いらっしゃいませんか?祖父が勤めてていたようで、今度上海を訪れたときに、行ってみたいと思っています。
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iraklion24さん、どうも。 昆山路(正確には崑山路)ならフランス租界ではありません。 日本人租界・・・正確に言えば英米共同租界の日本人居住地区・・・です。 今、名著「上海歴史ガイドマップ」を覗きましたが、 崑山路には、それらしきものは表記されていません。 バァーット、しかし!!!!!!!! 今年の4月に行われた第36回の上海歴史散歩の資料を見ましたら。 あったぁーーーーーーーーーーーー!!!!!!!!!!!! 崑山路沿い、北側にあります。 その北側に財形大学夜学部(当時は東呉大学)があり、 小道を挟んで、重松薬局があります。 その東には参天堂(目薬屋・内山完三が関係してるのか?) 三共株式会社、資生堂、江湾カントリークラブ、喫茶オリンピック が連なります。 これらの建物の奥には、当時日本居留民団があり、 これらの建物の対面(崑山路の南側)には、 今でも残っています景林堂があります。 その近辺の案内図は下記をどうぞ。 http://4travel.jp/traveler/dapuqiao/pict/13740752/src.html 今も残る景林堂は下記を・・・ http://4travel.jp/traveler/dapuqiao/pict/13741128/src.html そして、日本居留民団への入り口部分の写真は下記を・・ http://4travel.jp/traveler/dapuqiao/pict/13741129/src.html この写真の奥の白い建物が日本居留民団が使っていた建物でして、 道沿いの建物は、昔のままのようでした。 今でも道に面した1階部分が商店で、2階3階が住居になっています。 もしかすると、入り口の右の建物あたりが、重松薬局だったのかもしれません。 以上の画像ともども、その日の歴史散歩の様子および、 周辺地域の様子は下記をご覧ください。 「第36回上海歴史散歩・戦前の日本人居住区」 http://4travel.jp/traveler/dapuqiao/album/10235706/
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- 井上@打浦橋@上海(@luwanqu)
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訂正です。 この建物の東に連なる建物群は下記です。 http://4travel.jp/traveler/dapuqiao/pict/11813307/src.html この建物も古いですね。 は間違いで、東に連なる建物群は下記です。 http://4travel.jp/traveler/dapuqiao/pict/11813308/src.html
- 井上@打浦橋@上海(@luwanqu)
- ベストアンサー率65% (36/55)
iraklion24さん、どうも。 重松薬房の場所をご存知の方ってのは、 まずいないような・・・いたとしても、ネットができない人でしょうね。 しかし[重松薬房]で検索しましたら出てきましたね。 http://scott.at.webry.info/200710/article_1.html がそうです。 戦前、上海の虹口に居られた方のブログです。 この方、HOKIさんと言いますが、 このブログには、私は何度かコメントを入れたことあります。 私も、上海に長く住んでますし、また、戦前の上海に大いに興味を 持っていますし、上海の街を歩き回っていますから・・・。 このブログを見ますと・・・・ 宝慶路の南首で、淮海中路に南面していた ・・・とあります。 宝慶路の「南首」というのは勘違いで「北首」だと思います。 そのあたりの地図は下記をご覧ください。 http://4travel.jp/traveler/dapuqiao/pict/12391044/src.html この地図の上のほうをご覧ください。 HOKIさんの言われる所にあったとしますと、 この地図では「常熟路駅」という文字のあたりのはずです。 常熟路と淮海中路の北東角には美美百貨というのが今でもあります。 この建物は1930年に建てられたもので、当時は恩派亜公寓といっていたようです。 エンパイア・アパートメントということなんでしょう。 どんな建物かといいますと下記をご覧ください。 http://4travel.jp/traveler/dapuqiao/pict/11813307/src.html ここの1階部分にあったのか、どうか・・・・ この建物の東に連なる建物群は下記です。 http://4travel.jp/traveler/dapuqiao/pict/11813307/src.html この建物も古いですね。 あるいは、常熟路と淮海中路の北西角あたりにあったのか・・・ だとしたら、もう、当時の建物はありません。 すべて取り壊されて、今は工事中のはずです。
- doi3desu
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ANo.1 です。次のような記述もあります。 場所は、フランス租界の、宝建路(現宝慶路)の南首、霞飛路(現淮海中路)に南面していた。 どうもはっきりしませんね。会員専用ですが、コメントしてお尋ねするのも一つの方法かと思います。
- doi3desu
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こちらに、こういう記載があります。 老上海行名辞典で、...中名 東方哥而冨公司 南京路12A,24 http://scott.at.webry.info/200710/article_1.html ただ、現在のGoogleで見たところ、南京路12Aという場所はありません。
お礼
ありがとうございます。 亡き母親からもらった「上海風雲録」という重松為治(重松薬房社長)の伝記には、「昆山路の重松大薬房前で」という写真があります。これが何かヒントになりますか?