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特になにもないのに、昔から学校が苦手。
昔から特になにもないのに、学校が苦手です。 中学二年生の時にいろいろとトラブルがあって不登校になりました。 三年になり、学校へ行き始めたのですが、 二学期の10月あたりから、また休むようになってしまいました。 高校に入って、これを克服しなければと思い、 今まで一日も休まず学校へ行っていますが、 新学期のことを考えると、湿疹が出てきたり、 苦しくなってしまいます。 たぶん私は繊細すぎるのだと思うのです。 夏休みの宿題が終わらなかったらどうしよう、ということから、 文化祭の舞台発表の伴奏が失敗したらどうしようということや、 友達のことなどあれやこれやと考えてしまします。 そしてこんなことを気にしている繊細な自分にも嫌気がさしてしまいます。 学校は女子高なので、結構ふだんから「誰誰がムカつく」 「死ね」などという言葉が飛び交ってます。 私は今まででは言われることはなかったのですが、 友達が言われていたりすると、すごく嫌な気分になり、 そのマイナスな言葉を聞くたびに苦しいです。 学校ってなんかすべてから逃げられない気分になってしまって苦手なのです。 明日英語合宿があるのですが、 正直不安で不安でたまりません。 行けるかどうかもわからないくらい動揺してしまっています。 もっと能天気に、ポジティブに、あまり多くを気にせずに生きるためにはどうしたら良いのでしょうか? 私は真面目すぎるので、もっと気楽にできるようになりたいです。 親に迷惑を掛けてしまうのはいやなので、学校はきちんと通わなきゃと思っているのですが、 そう考えると「成績を悪くしてはいけない」「絶対に頑張らなければいけない」と思い、余計に学校がプレッシャーになります。 人生の先輩方、アドバイスやご意見などをどうぞよろしくお願いします。
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- 03u-x-u02
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私も高校のとき意地悪な女子のことばかり気にして勉強が手につきませんでした。 部活をいじめられて追い出されたりもしました。追い出した人は同性愛者だったようで他に可愛い女の子が入ってきたからあんたいらないって感じで無視されて追い出されました。(同性愛者だったことは後で知ったのですが・・・) 苦労して入った進学校だったのにと今でも思います。でもそのときは自分のことで手一杯でした。親に毎日怒鳴られ嫌々学校へ行って訳の分からない勉強をこなし、最低限の点数を取れるようテスト前は夜中まで泣きながら勉強して卒業しました。 卒業するときって案外3年間あっと言う間だったなあと思うんです。 あともう少しの辛抱です。どうにか辞めずに、不登校にならずに学校へ通ってください。
- hallo-2007
- ベストアンサー率41% (888/2115)
>夏休みの宿題が終わらなかったらどうしよう、ということから、 >文化祭の舞台発表の伴奏が失敗したらどうしようということや、 >友達のことなどあれやこれやと考えてしまします。 あなたは普通ですよ。多分、誰もが失敗したらと心配します。 >学校は女子高なので、結構ふだんから「誰誰がムカつく」 >「死ね」などという言葉が飛び交ってます。 この方々が普通ではないです。 >明日英語合宿があるのですが、 >正直不安で不安でたまりません。 あなたは普通です。誰もが不安なはずです。 失敗したら ごめんなさいと 誤る。 他の人が失敗したら 励ましてあげる。 うまくいったら 喜ぶ。 他の人が上手だったら ほめてあげる。 これから将来、就職もされると思いますが, 先輩から仕事を教えてもらったら ありがとう と返事する。 周りの方が一生懸命仕事していたら、ご苦労様と声をかける。 これで普通だと思いませんか? 世の中は、このような普通の人が圧倒的に多いはずです。 今の学校でも、多分 普通の人の方が多いと思います。 一部の普通でない人を気にしているだけかもしれませんね。 >「誰誰がムカつく」「死ね」などという言葉が飛び交ってます このような人が普通と呼ばれて、圧倒的に多いという社会はないですよ。
- hirarno36
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こんにちは。 何事も気にしすぎる=ネガティブ。とのことですが、この考え方そのものがネガティブですよ。これをポジティブにすると「よく気のつく、繊細な神経の持主」となります。将来、カウンセリング関係、旅行や看護に携わる仕事など気遣いが結果にでるお仕事につけば質問者様がネガティブだと思っている部分が逆に武器になりますよ。 何事も何とかなるものです。失敗を恐れることは誰にでもあります。失敗しない人間はいません。失敗しないで逃げとおせたとして今後何のプラスになるでしょう。 「なるようにしかならない」と気楽に気持ちをもってください。 そしてその気持ちのまま何事も参加してください。きっとなるようになります。失敗したとて得ることはきっとあるはず。 親や同級生のためではなく質問者様ご自身がやりたいようにすることです。人生長いのです。逃げないで(逃げ癖をつけないで)くださいね。
Q、アドバイスやご意見などをどうぞよろしくお願いします。 A、蓄積の重要性を体感することです。 学校生活であろうと社会生活であろうと、不平・不満を感じるのは性格の問題。 どんな学校生活や社会生活でも、見よう感じようでは不平・不満だらけなもの。 どんな学校生活や社会生活でも、見よう感じようでは実に楽しみに満ちたもの。 で、この見よう感じようってのは、実に、性格次第という訳です。 と、ところで、質問者も私も、実際の心模様ってのは一色じゃーありません。 内実は、不平・不満よ思う傾向と楽しみに満ちたものと思う傾向とが同居しているのが真相。 で、ある時は前者が優位になり、ある時は後者が優位になったりの繰り返しです。 それが、現実の生きた人間の姿です。 >哲学者たちは世界を単にさまざまに解釈しただけである。 >しかし大切なのは世界を変えることなのである。 (フォイエルバッハテーゼ11) 昔、ある哲学者が、このように言っています。 この言葉は、 >矛盾に満ちた心模様を解釈するよりも、それを変革することが大切なのである。 と、翻訳できます。 で、先の哲学者は、変革は努力の蓄積を持って達成されると言い切っています。 例えば、禿山に杉の苗を1本植えても所詮は禿山。 例えば、禿山に杉の苗を10本植えても所詮は禿山。 例えば、禿山に杉の苗を100本植えても所詮は禿山。 例えば、禿山に杉の苗を数百本植えてれば、そこに出現するのは紛れもない杉山です。 このように、変革は努力は、最初は、一気に性格と言う質そのものを変えてしまうものではありません。 しかし、その努力という量の蓄積が一定水準を越えれば、それは必ず質の転換をもたらします。 ところで、一番重要なのは、親の為に禿山に杉の苗を植えることじゃーないです。 ところで、一番重要なのは、自分自身のために自分の杉の苗を植えることです。 質問者は、未だ、自分自身のための自分の杉の苗を手にしていないのかもです。 その辺りを改善されて、一本一本の植林活動に足を踏み出すことがテーマでしょう。 で、その植林の量が一定程度になったならば<脱皮の季節>が到来するでしょう。 そういうことで、矛盾に満ちた心模様を解釈するよりも一歩でも前へ!
- okamottye-
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良い大学に行かなければいけないとかそういうのがなければ、成績は卒業できる程度残しておけば問題ないですよ。 高校の時は気にしていましたが、卒業した今となってはそんな程度に思います。 絶対に頑張るっていう心の持ちようは強い人や向上心の強い人には必要不可欠ですが、プレッシャーに弱いと自覚している人にとっては、 そう思うこと自体がプレッシャーですよね。 だから、いい意味で いいかげん (良い加減って意味です)やってみたらどうですか? 優秀な成績はとりあえずおいておいて、高校は卒業する程度に勉強しようとか少し目標を低くして、心に余裕を持てばいいかと。 で、将来後悔したらそれはそれ。しょうがないじゃん、あの時はそれがベストだと思っていたんだから、 それでも後悔するんなら その時気付いたからそれでいいじゃん。 気付かなかった人より気付いた人の方が素晴らしいって考えれば。 まぁ全て上手くいっているわけではありませんが、そんな考え方もあると頭に少し入れておけば多少考え方も広がるかもしれませんね。