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原爆で負傷した人を手当した場合、被爆するのでしょうか?
現在80代半ばの母に代わって質問です。 母が20歳過ぎの頃、広島に原爆が投下されました。 当日か翌日かに近所の小学校に被爆して全身を包帯でくるまれた方々が多数運び込まれ、その介抱に参加したそうです。 もしも被爆する可能性があるのであれば、原爆症の認定を受けることができるかどうかを検討したいと思っています。その時に母と同じ様に介抱に参加されてた方は皆さん当時で60歳前後の方だったそうなので、証言してもらえる人が見つかる可能性は低いのですが… ちなみに、昭和42年頃に乳ガンが発症しました。一旦除去治療で治ったのですが、10年前に再発。放射線治療で抑えました。原爆に被爆しなくても乳ガンになることはあるかとは思われますが、もしも他に上記の様なシチュエーションで被爆されたと認定された方をご存じの方がいらっしゃいましたら、教えてください。よろしくお願いいたします。
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山での奉仕、風で草木がなびいた位なら、直接被爆の心配は無い距離にいたようですね。 被爆者から被爆するほどの放射線量が出ているようでは、その被爆者は到底生きていませんから、お母様が救護するには至らなかったでしょう。 市外に運ばれてきた人を救護しただけなら間接被爆もあったかどうか疑わしいですが、当時市内に出向いたりしていれば、そちらで間接被爆している可能性があります。でもお母様は市内には行かれていないのですよね。 もう少し、何月何日に爆心地から何km以内に行った事がある、何月何日に○○町に行った、などと状況を思い出しておいた方が良いかもしれませんよ。認定申請するならば、そういう事も必要になってくるはずです。 母が悲しむ理由は文章では伝え辛いのですが… 私が被爆者をヒバクシャとカタカナで書くのは、ヒバクシャが蔑視表現だからです。 母は被爆者であるだけならまだ何と言う事も無いのですが、ヒバクシャとしての扱いを受けてきたのも事実です。 ただ、それも時代のせいとも言えるので、母自身はヒバクシャとして扱われてきた事について、愚痴を零したりする事もありません。 しかし、私たち子供が二世としてヒバクシャ扱いされるのは我慢がならないようです。 『私は子供を産んではいけなかったのではないか』 『私が受けた苦しみを子供たちにも負わせたのではないか』 人生そのものを否定されたように感じるんじゃ無いでしょうかね。 姉が最初の子を流産した時に、母は自分自身を責めました。 兄の子供に先天性疾患が見つかった時、母は自分自身を責めました。 私に心臓疾患が見つかった時、母は自分自身を責めました。 すべて被爆者である自分に責任があるように受け取っていたのでしょう。関係があるかどうかもわからないのにね。 私たち子供は、母から何度謝られたか数え切れません。 私自身、二世である事を理由に、相手のご両親から結婚を断られた経験があります。私が二世であると吐露するまで、相手のご両親とも親しくさせて頂いていて、結婚まで秒読みに入っていたのですが。 ほんの数年前の事です。戦後50年以上経っていた当時でも、ヒロシマ・ナガサキ以外の地域では、被爆者はまだヒバクシャなのかもしれません。いや、ヒロシマ・ナガサキですら、被爆者がヒバクシャである場面がまだあるでしょう。 私が二世認定を受けるという事は、黙っていれば分からないはずのヒバクシャであるという事を、自ら宣言すると言う事です。 それが母にとってどういう意味を持つか… 私が#1で書いた事が良く理解できなかったとの事。 それはきっと幸せな事なのです。 お母様がヒバクシャとして扱われなかった事、ある意味幸せだったのですよ。 長々と書いてしまいましたが、あまり回答として結びつく物では無いですね。申し訳ない。
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- hukuponlog
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私の(既に亡くなった)義父が、全く同じような状況でした。義父は広島郊外に住んでいて、当時旧制中学生だったそうです。 原爆投下の翌日(つまり8月7日)に、被害者の救助と片付けに動員されて市内に入り、被爆をしたとのことでした。義父は被爆者手帳を持っていましたよ。 もっとも、義父が被爆者手帳を取得したのは、やはり30代後半に胃ガンを患ったのがきっかけだったそうです。つまり、戦後20年程度経過してからですね。それまでは、「被爆者手帳を持っていると差別をされる」(実際、そういうことはあったようです)ということで被爆者であることを隠していた、と言っていました。 義父の場合は、学校の生徒として動員されたので、証拠もはっきりしていましたし、戦後20年というと、まだ当時の状況を知る人達がたくさんいましたから、難しくなかったのだろうと思います。ですから、お母様の事情とは随分違いますが、ご参考までに。
お礼
早速の御回答ありがとうございました。 そうですか…母は、市内には行っていないようです。 No.1の方へのお礼で、お母様がご自身が被爆者であることを悲しまれるというのが良く理解できない旨の記載をいたしましたが、義父様のご経験のような内容が原因だったのでしょうか…。 母の乳ガンも戦後22年頃の発症です。同じ頃ですね…。母はその時点でもう近畿に移住しておりましたので、「被爆」という意識が低かったのだと思います。
- kernel_kazzz
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当日や翌日であれば、間接被爆の可能性があります。 誤解しないで欲しいのは、被爆者から感染する訳では無いという事です。質問のタイトルや内容からは、感染するかのような意味合いが感じられました。 汚染された土壌に触れたり、放射性降下物を浴びたりしていると間接被爆します。その可能性が非常に高いでしょう。 しかし、当日や翌日に救護にあたったのであれば、原爆落下時にかなり近い地域にいたのでしょうか? 建物の中にいて一見平気な様でも、放射線は壁を通過するので、直接被爆している可能性もありますよ。 国は原爆症認定は嫌がりますから、証拠固めを頑張ってください。 まずは、爆心地付近にいたという証明からですね。 お母様が認定されれば、あなたは被爆二世です。お母様の認定と共に、二世としてどうするかも考えていた方が良いですよ。 親が存命で被爆者認定されていると、二世は簡単に認定を受ける事ができます。 私はナガサキの被爆二世ですが、兄弟全員、認定は受けていません。 私達が認定を受けない理由は、認定を受けると、母がヒバクシャである自分自身を責め悲しむ事が分かっているからです。
お礼
御回答ありがとうございます。 二世として、ということは全く思い至っておりませんでした… また、なぜ、お母様がご自身を責め悲しまれるのかも、良く解っておりません。理解不足で申し訳ございません。 うちの母は自分自身を責めるというより、人生を振り返る時期になり、自分がガンになった理由が解れば(結局のところはっきりした因果関係は解らないと思いますが)なにかしらの納得がいく、という感じなのです。こればかりは、考え方次第ですので、本人以外は「知らなくてもいいんじゃない?」とも言えるのですが、まあ、知ってもいいのでは?という感じなのです。 被爆と感染の違いを医学的に明確には存じませんが、「感染」という感覚ではありません。被爆した方から被爆した直後は放射線が放出されるものではないか…と思ったのです。そういうものではないのでしょうか?詳しくは解っていないので間違っている可能性はあります。 広島市内ではありませんが、山口県寄りの村で、人々はトラックで運び込まれてきたと申しております。
補足
爆弾投下の瞬間は広島市内にはいなかったのですが、山に奉仕に出ていて、一斉に木や草がサーっと倒れたんだそうです。風上は広島市だったそうです。
お礼
いえ、丁寧な御回答ありがとうございます。 事情を読ませていただき、涙がこぼれました。 自分の無知さにも情けない思いです。 おっしゃって頂いたように、ある意味幸せだったのだと痛感しました。被差別的ということに関しては母も私も全く思いもよらないことでしたが、知らなければ幸せという問題では無いのだということも解りました。自分にとっては今回質問させていただいたことは非常に有益であったと思います。 母は今、色々あって、自分の事を色々考えるだけで精一杯な状況ですので、被爆の可能性は詳細が判らないと判定しがたい、と伝える程度にとどめようと思います。 自分は子供ができない、以外は至極健康です。子供ができないことにも母も私達夫婦も特に嘆き悲しまずに受け入れて前向きに生きています。kernel_kazzz様もお体にお気をつけてお過ごし下さいませ。本当にありがとうございました。