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あなたなら、次のどちらが幸せですか?
[1]自分の周りにたくさんの友達がいる。 [2]たった1人だけれども信頼できて、相手も自分を信用してくれている人がいる。 理由も添えてお答え頂けると幸いです。
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1.5という回答がないのなら、1です。 周囲に友達が居なくて、たった1人深い絆というのは、怖いし、フェアな付き合いが出来なさそうです。私はね。 この友達に裏切られたら、嫌われたら、相手にもっと大事な友達が出来たら、子供でも出来て忘れられたらどうしよう・・・と思って、歪な友情になりそう。 沢山の友達は、薄っぺらなその場限りの友達とは同意語ではないですから。 どんな状況でも沢山の友達と上手くやっていける社交性があれば、その中の何人かは、自分に似たタイプの人も居るだろうし、細く長い付き合いが出来るんじゃないかと思います。
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- kazuyamag
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No.2ですが、追加の引用を2つ。 引用1 血の一滴は、千の友に匹敵する。 と彼らは言う。これと同じ思想はユダヤ人の中にもある。ラビ・ピンハス・ペリーの書いた『トーラーの知恵』(ミルトス)という書物には次のような逸話が紹介されている。 「一九四八年独立戦争で最も危機をはらんだ時に、シオニスト執行委員会で同じような応酬が交されたことを私は思い出す。この時、老練なアメリカ人シオニズム指導者ラビ・イスラエル・ゴールドシュタインは、アメリカのユダヤ人とイスラエルのユダヤ人はユダヤ人国家建設のための戦いでは同志であると主張した。同志とはヘブライ語で『ダミーム』、”血と金”を意味する。私たちアメリカのユダヤ人は私たちのダミーム『金』を捧げるが、あなた方イスラエルのユダヤ人はあなた方のダミーム『血』を捧げていると言った。」 つまり、友情の中でさえ、命の危険が問題にされることは承認済みなのである。血を流す勇気もなく、もちろん命を捧げる決意もなく、出すのが辛いほどの金銭さえも捧げない人間に、何の友情が期待できるだろう。(アラブの格言/曽野綾子 115頁) 引用2 士は己を知る者の為に死ぬ(しはおのれをしるもののためにしぬ) 意味 男は自分の価値をわかって遇してくれる人の為に命をなげだして尽くす、ということ。 原文 嗟呼、士は己を知る者の為に死し、女は己を説ぶ(よろこぶ)者の為に容づくる。(嗟呼、士為知己者死、女為説己者容)史記・刺客列伝(予譲) 解説 (晋の予譲は智伯に仕えて厚遇されていた。智伯が趙襄子に殺されると、予譲は山中に逃げ隠れて言った。)「ああ、男子たるものは己を知っていてくれる人のために死に、女子は己を喜ぶもののために自らの身を飾るのだ。(智伯はわたしを知っていてくれた。必ず彼の仇を討って死のう。)」
- junecaro
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{1} 2だと、すべて相手に目が向いてしまいそう。 辛い時や、良い時もただ1人の友人と分け合うのは不可能だよ。 相手の友人にも人生があって、進路や恋愛をする時期が来る。 自分も恋をしたり、やりたい仕事に熱中したい。 僕は、親友には並行する人生のレールがあって、 同じ方向を向いている関係でありたい。 相手が先を走ろうが、認めることもできる。 先に書いている人もいましたが、いなくなってしまうと悲しいよね。 それに、信頼の薄い人でも「助けて欲しい時に手を差し伸べてくれない」 わけでもありません。 計算高く見返りを求めても、助けてくれた事には変わらない。 真摯に感謝をするだけです。 助けてくれる人がいなくっても、自分の何かが間違ってただけ。 助けてくれない周りの友達のせいじゃないんだよ。 信頼とは、自ら何かをしないと得られないのではないかな?
- POTATO_XP
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2でしょ。 浅く広くの場合、本当に困った時に限ってゴメン と力なくやり過ごされたりするもんです。 両方あるのが普通なのでは?
(2)ですね。 (1)は集まるのも早いでしょうが、散るのもあっけないと思うからです。
社会人 男 20代後半です。 2択で答えると1番です。 男として、社会的生き物として2番は無いです。 たまに、そうならいいと考えますが、希望するのでしたら やはり1番を選びます。 私は未婚ですが、結婚すると何より妻や子供が大切になると思う。 でも、妻や子には愛情や信頼を強要する事はしたくありません。 与えて、何ももらえなくても満足です。 友達にも同じ考えです。 信用や信頼は、つちかうものだと。 初めから偶然に存在しないものだと、私は親から教わってきました。
- -slasher-
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[1]自分の周りにたくさんの友達がいる。 [2]たった1人だけれども信頼できて、相手も自分を信用してくれている人がいる。 [2]です。 理由は#11さんと同じです。 (友達とか信頼・信用の定義について、自分の解釈を用いた場合)
(1)ですね。 信頼関係は最初からあるものではなく、築いていく物だから。 自分自身、人生において信頼関係を取れる相手が、 「たった一人の友達だけでした」では、情けないと思います。 相手の友達も同じく「私だけにしか信頼を寄せる人がいませんでした」 では、もっと可哀想です。 「信頼しあう」いい言葉ですが、 気心の知れたワガママを言える人とは違います。 弱い時に、助けて合ってくれる人とも違います。 友達に裏切られた、一方的に絶交されたと言う人がいますが、 大体がリアルに(2)を選んでしまうタイプです。 人は社会の中で生活しているからこそ、友達もできるのにね。
[2]です。 実際に[1]の時より[2]の時の方が幸せだったから。
- 1000gb
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[2]です。 今現在自分が[1]で、「信頼できて、相手も自分を信用してくれている人」が居ないからです。 殆どの友人はこちらから連絡をしないと連絡をしてきません。 それは「知り合い」と紙一重かもしれません。 どんなに友人が多くても、分かり合える人が居なければ寂しいだけです。 「真っ先に私のことを考えてくれる友人」は、今付き合っている友人の中にはいません。 そういう人を欲しいと思っていて、また自分もそう思える友人が欲しいです。 自分が[2]の立場だったら逆を考えていたかもしれません。 「もしかしたら」は分かりませんが、無いものねだり的なものが私にはあります。
- dai-ym
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1ですね。 友達である以上まるっきり信用できない人間ではないはずです。 どこか信用できない箇所が有るけど、こういうところは信頼できる。 そういう仲間でないと友達になれません。 なら、こういう問題に関してはこいつに信頼してお願いしようというふうにできます。 人間って何かしら欠点や信用しきれない部分を持って当たり前です。 そういう不完全な人間が集まってこそいろんなことができます。 たった一人完全な信頼を寄せることが出来る人間がいても、二人が同時にどうしようもないピンチになったらお互い助けることが出来なくなります。 というかどんな親友であれ盟友であれ人間である以上自分と違うところがあります。 そうである以上、どんなことでも信頼できるってことは無いと思います。 こいつなら何でも信頼できると言うのは、誰ならこの問題は信頼できるのかを考えるのが面倒なために、考えることを放棄して一人の人間に依存しているだけに感じてしまいます。
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