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社会教育と福祉(地域福祉and児童福祉)の違いを明確に教えてください。
卒業論文の作成について、社会教育と福祉の違いが探してもなかなかわからなく、困っているので、詳しく教えてください。
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補足
資料等でわからないことを、財団の方にインタビューして改めて書き直しをしましたのでご覧下さい。 (児童会館の歴史についての考察)児童会館業務の運営は、初めは、札幌市が運営していた。戦後の混乱期の昭和24年に子どもの安全な遊び場の確保を目的として全国に先駆けて中島公園内に中島児童会館が誕生して、この児童会館は、現在会館している最も古い児童館である。昭和31年に菊水やよい児童会館で、地域住民の手による児童会館の運営がなされていた。昭和50年の老朽化に伴う再建築によってその幕を閉じた。この児童会館は、ある種、独自の場所であり、もともと民間の施設であった。その後、高度経済成長による工業化、都市への人口移動、都市環境の悪化による子どもの遊び場の不足、子どもの交通事故の多発などから、昭和36年に、月寒児童会館が開館され、昭和38年に円山児童会館が開館され、 昭和40年に、豊平・手稲東児童会館が開館された。昭和45の札幌市長期総合計画により、児童会館建設計画がされ、昭和47年より、毎年1館建設されることから、児童会館の必要性が高まってきている。児童会館業務に大きな流れがあり、昭和55年に、財団法人青少年婦人活動協会が4月1日に設立された。この前に、設立趣意書が3月11日に出された。この設立趣意書にうたわれている部分として、札幌市は明治2年に創建されてから、先人のたゆまない努力によって、目覚しい発展をしている。しかし、その段階で、当時は、子どもが増えている状況にあり、街づくりとして核になる部分がないと、なかなか札幌市として統一的な事業の展開が役所だけでは難しいとされていたのである。そこで、子ども会は単なる遊びではなく、発達を捉えて、発達にあった指導を行うために、昭和48年に青少年活動の経験者を中心にユースワーク協会が設立されたのである。これに関連して、滝野自然学園があり、これは札幌市教育委員会が、学校教育の一環として、小学校5年生を対象に1泊2日の宿泊学習の場を提供する施設として、廃校となった滝野小学校の校舎を利用して昭和46年の8月17日に開設されたのである。その後、昭和53年までは、札幌市教育委員会で管理運営をしていたが、昭和54年からはグループワーク協会が札幌市教育委員会から管理運営補助業務の委託を受けたのである。そのようなことから、少し発展させて、若い世代をターゲットとして、役割分担を始めたのが、財団法人青少年婦人活動協会が行う児童会館事業の役割である。児童会館の運営を行うためには、資金、人、利用者が必要となる。そこで、札幌市が財政を担っていて、その所管として、札幌市子ども未来局がある。担当部署には5名くらいしかいなく、予算、建築の修繕、国からの助成金などの業務を行っていて、言わば、行政としての機能を果たしているのである。次に、財団法人青少年婦人活動協会は、利用者に対するソフトの提供をしていて、プログラム事業を担当していて、統計、経理、修繕、研修、事業(利用(日常)、中・高生、児童クラブ、子育てサロン、子ども運営委員会、地域運営委員会)などの活動を行っている。専門性がないと、仕事の内容が理解することが出来ないので、専門性に優れている協会がこの業務を行っているのである。基盤づくりのために児童会館があり、人が雇えるから施設の受託も出来るのである。このような取り組みは、全国的に見ても、札幌市としては青少年の育成事業に力を入れていることがわかる。昭和63年に児童会館長期総合計画により、1中学校区に1館建設が始まる。児童会館運営が学校教育と連携を図るため、教育委員会に一元化となる。次に、平成に入り、平成9年には、100館建築構想達成を目前として、小学校区に開設を望む声が高まり、小学校の空き教室を利用したミニ児童会館を開館した。ここから、ミニ児童会館は毎年3~6館ずつ受託されていくのである。平成11年には、児童会館運営の効率化を図るため、札幌市児童会館管理運営業務を同年6月1日に全館受託される。中島児童会館設立から、59年経っている現在の児童会館は104館、ミニ児童会館は51館あり、現在にわたって、年々、発展してきていることがわかる。このような背景から、平成に入り、少子化が進んでいくのだが、なぜ、年々、児童会館及びミニ児童会館の数が増えてきていて、要望が高まっているのかを考えた時、環境の悪化意によって、昔は外で自由に遊べたのに、現在は、事件・自己が多発しているので、外で自由に遊ぶことが難しくなってきており、児童クラブ事業から、働く女性が増えてきていて、女性の就労率が増加してきているが言える。また、少子化の1つの原因である、兄弟がいない、つまり一人っ子家庭が多いことから、子どもたちの同世代又は異なった年齢との集団活動を行う活動として、子どもの社会力を見に付けされていくために、児童会館があるのではないかと言える。