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秋葉原の事件は、テロ?
仕事中に聞いていたので詳細はわかりませんが、 ラジオで「秋葉原の事件は、通り魔とか殺人事件とかいうくくりでは なく、テロとして観た方がいい」というニュアンスの発言をした評論家 がいました。 社会の競争から脱落 生涯賃金が低レベルでほぼ固定 女性と縁がない、または彼女ができない、恋愛できない そうした男性が、20~40才代で逆切れし社会の混乱・転覆・復讐を 実行する点で「テロ」というくくりに入るとのことでした。 これが、正しいのなら 今は、まだナイフですが、そのうち硫化水素や爆発物による実行犯 が出てくるのは時間の問題なのではないでしょうか? 秋葉原の事件を「犯人の家庭環境」に原因を求めるのは、見当違い なのではないでしょうか?
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テロと言い切るには短兵急過ぎる気がしていますが、この事件の内包する問題に鑑み、限りなくテロに近い想いが有ります。 今、1929年に発表した小林多喜二作の「蟹工船」と東野圭吾作の「さまよう刃」に注目が集まっている事はご存知の事でしょう。売れ行きも驚異的だとか・・・・・! 少し前には、亀山郁夫訳の(ドストエフスキー)中でも「カラマーゾフの兄弟」が爆発的に売れました。 この図書の中で、今回の事件との距離で近く感じるのは「蟹工船」である事は誰もがわかる事です。何故売れるかも、マスコミに随分取り上げられて来ていますから、今更、私等が申し上げる事も有りません。 今回の事件と直接の関係は無くとも、現在の日本の抱える根底にある不安と他で現れた数々の事件に「さまよう刃」は響いています。 そして人間を支えるのに不可欠であった共通していた価値観の乱れ、崩壊に向かう加速度!と自分への問い返しが「カラマーゾフの兄弟」に向かわせるのではないでしょうか? 以上の事は、影響の大小に関わらず、この国に住む者を被っています。 この度の犠牲者の方々が、上記の事に対して如何な思いをお持ちであったかは解りませんが、例え、自分とは無関係な世界の事として過ごして来られた方も、この歪の真っ只中に引きずり込まれ亡くなられた訳で、何方もが被害者予備軍なのです。又、何方とまでは言わずとも、若者の30万人以上が、物扱いにされて一時の切れ目も無い連続する不安と僅かな希望も見出せない状況と言われている事に鑑み、この度の事件は単なる個人的な無差別殺人事件と決め込む事は危険だと思います。極端な言い方ですが、若し現状の30万人だけが、不幸な境遇であり増えないのなら、解決方は少しは見え易いかも知れません。が、彼らは、毎年年を重ねるに連れ、益々希望の道は減って行き、一方では、毎年、新たにこの境遇になる者が供給されているのです。 私は共産主義者でも社会主義者でもありませんが、世界の資本主義の環境から発生している地球的歪も、国内の富の再配分の歪も、限界に近いと危惧しています。 このまま進めば、日本の未来の精神的後退は戦国時代の様な粗野な低文化国になり、ご都合主義だけが生き残る野蛮な国になるのでは?と・・・! テロかテロではないかを、論理や条件から判断する思考では有りませんので、お答えに値しているのか心配では有りますが・・・ 最後に、一つだけURLを載せて置きます。 http://blogsearch.google.co.jp/blogsearch?sourceid=navclient&hl=ja&ie=UTF-8&rlz=1T4SUNA_jaJP266JP266&q=nhk%E3%82%B9%E3%83%9A%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%AB&um=1&sa=X&oi=blogsearch_group&resnum=11&ct=title 参考になりますか如何か解りませんが・・・・・
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- myeyesonly
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こんにちは。 その評論家の方はテロの意味を勘違いしてるように思えます。 テロとは何らかの政治的要求を求めて行う物です。 政治的要求がないテロは存在しません。 犯人を取り巻く条件からテロと考えるのは完全にボタンの掛け違いになります。
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お礼
回答ありがとうございます。 その評論家の意見に賛同したわけではないのですが、部分的に納得した のが 「現在のテロ犯と、昔のテロ犯とは質や動機が激変している」 「911やイラクの自爆テロの若者の多くが、政治的目的ではなく 閉塞的で恋愛もできない現在の状況に絶望して実行している」 「オウムも含め、現在のテロ集団は集団で動いていても、個人テロ に質は近い」と言ったことでした。 (質問文が長くなるのを避けるためと、上記内容をしっかり聞いたわけ ではなかったので、記しませんでした) もし、テロというくくりに入るのなら、社会や国家は「臨戦態勢」に 入らなきゃいけないのか?とかなり不安な気持ちを持ったので 質問いたしました。