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「気持ちの上で」分をわきまえるということ
とにかく自分の性格が厄介で、苦しいです。どうすれば直せるんでしょうか。そもそも直せるものなんでしょうか。 歪んだ性格のいちいちを挙げるときりがないんですが、一番大きいのは「自分の分際をわきまえない」ということです。自分で自分を過大評価しているのに、世間の評価は低いというか客観的に見れば「分相応」ということに激しく自尊心が傷つけられます。 単に人から悪く思われたくない、変に思われたくないという体裁上の気持ちから、社会生活上では一応分をわきまえて行動しています。たとえば人気者や教養のある人、上品な人や美人などがそれぞれ中心であるべきTPOにしゃしゃり出ていくということはしません。 でも、そういう場所にしゃしゃり出て行けない自分が苦しく、その気持ち(自己顕示欲でしょうか?)を抑えようとするとものすごく精神的な負担を感じます。その「負担を感じる」ということについてさらに落ち込んでしまい(心の綺麗な素直な人と比較してしまいます)、絶望すらしかかるのをようやく引き戻しているという毎日です。 気持ちの上で(根っこの所で)分をわきまえていないので、日常生活ではわきまえていると言ってもどこか隠し切れないというかにじみ出ているものがあったり高飛車っぽい発言をポロッとしてしまって、周囲の人を不愉快にしている(「あなたがどれほどのものなの?」と思われる)こともあると感じます。 そういう「気持ちの上で分をわきまえる」のに方法というものがあるでしょうか?あるとすれば、どうか教えてください。
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心中お察しいたします。最近こそ少し違え、自分も似たところがあり ました。 10yearsさんは、自覚してらっしゃいますが、とてもプライドが 高いのだと思います。プライドが高いので、周囲の評価が低かったり、 心の朴訥さを自分が持っていないと、大きく傷ついてしまうのだと 思います。自分もそうなので、その気持ちよく分かります。 思いますに、仮に才色兼備スポーツ万能の大金持ちでも、他人の高い 評価に喜んで生きるのは空しいですよ。一見、欠点がないように見える 人でも、実際は小さく、愚かな側面を持っているのが普通です。 人間なんて、皆愚かです。そういう現実から目を背けて、表面しか 見ることのない他人の評価で自分を満足させるのは、何かしら虚偽を 孕んだ人生だと思います。 愚かな自分を向上させる努力は大切ですが、おそらくいつまでたって も自分の愚かさを完全に克服することは無理でしょう。実際は愚か なのに、他人に誤って賢いと思われて、何になるでしょう。 ダメでどうしようもない自分を愛してあげればいいと思います。 多くの人はそうしていると思うのです。余計なプライドが捨てられ なくても、そういう自分を責めることはありません。程度の差こそ あれ、皆、そういう側面を持っていると思います。 10yearsさんは自分を客観的に見ておられ、プライドの高さのまずい ところを自覚しておられるので、失敗を重ねながら、時には深く 傷つきながら、がむしゃらにもがいていれば、自然に謙虚に なると思います。分かり切ったことかも知れませんが、余計なプライド は捨てた方が楽です。 10yearsさんのような時期を経験した人の方が、克服したときには 大きな魅力が備わっていると思います。 この時期を微笑んで思い出せる日が来るといいですね。
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#3です。 お返事ありがとうござしました。 今回、アドヴァイスをする立場で発言してしまいましたが、自分は そのような立場ではないことを痛感しました。 自分も巨大な自己顕示欲と尋常ならぬプライドを抱えています。 10yearsさんの仰る通り、その根源は不明です。この二つは、 人間の根本悪にあたり、それ以上遡って説明できない要素かも しれませんね。 10yearsさんはご自分のことを悪く言いすぎだと思います。自分の 長所を自覚することは悪いことではないと思います。自分を客観視 されていることや大きな向上心、そして、自分と向き合う力、少なく ともこの三つだけでもとても優れた長所だと思いますし、実際、長所 です。この三つを客観的に見て、悪いことだと思われますか? 人間にとってとても大切で善い三要素だと思います。 少なくとも同じくらい自己顕示欲とプライドを所持する自分 が10yearsと違うところは、自分をあまり責めないところかも 知れません。経験上、自分の短所を責めても、あまり向上せず、 逆効果な気がします。さしあたって短所は「認識」されればよいと 思います。 僕は本心から10yearsさんは立派だと思います。真面目にご自分と 真正面から向き合って戦って来られたからです。そして、自分よりは 謙虚だと思います。 お互い、これからも自分と戦って、少しでも自己顕示欲とプライドを 削って行きましょう(責めるという仕方でではなく)。そして、ダメな 自分も他人も温かく愛せるようになれるといいですね。 失礼します。
お礼
bluepsycheさん、ふたたびアドバイスをくださってありがとうございます。 >自分を客観視されていることや大きな向上心、そして、自分と向き合う力 これらを長所だといっていただいて面映い気持ちですが嬉しいです。それらは私にとって辛いことばかり強いるので、とても長所とは思えずにいました。が、もっと認めてやらなくてはいけないのかもしれませんね。 bluepsycheさんはご自分の短所を責めないようにされているんですね。私は感情にまかせて自分を責めてばかりで、それでいて何も進歩しません。……本当におっしゃるとおり逆効果なんですね。 立派とか謙虚だなんて言っていただけるような人間ではないんですが……お言葉ありがたくちょうだいしておきます。そういう風に自分を認めていかないとダメなんですよね、これからは。 bluepsycheさんが私と同様の「魔物」と闘っておられるということが、私を奮い立たせてくれそうです。そうですね、自分を責めていたら「魔物」に逆につけいられてしまうかも……自分を責めずに、私も自分と他人とを心から愛せるような人になりたいと思います。 本当にありがとうございました。
- 8823kin
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No.1です。「言葉を一旦飲み込む」と言うのは、自分の中で、その言葉に対して吟味(検討)してから発する、という意味です。感を含め、頭の回転の速い人は、時々自分の意志とは別に、言葉だけが先行してしまいがちである…という事です。意志とは別としても、あなたの言葉には変わりありません。あなた自身を言葉で表現してしまうわけです。あいては、受けた言葉により、あなたを判断するわけです。ただ、タイミングとして、その相手に向けた言葉が適切であったか?どうか?というのが問題なんです。 例えば、自分が忙しい状態の時、 「ねえ、ねえ、これどう思う?」などと、どうでも良いような質問をされたとします。その時、どう答えるか?という事です。 「あのね、今それどころじゃないわけよ!そんなの後にしてよ!」……と即答したとします。相手は気分を害して、きっと逆恨みしますよね。 そんな時「あら、面白そうね。でも、今手が離せそうにないから、少し後でじっくり聞かせてね……」と答えたとします。どちらが、波風を立てるかはお分かりですよね。同じような内容の返事をしているのに、印象は全く違うモノになります。相手も言葉でキズついたりしません。 言葉は武器にもなります。相手を攻撃するにはもってこいの存在です。しかし、それは自分にもやがて返ってきますよね。これは言葉を使っているのではなく、言葉に使われているにすぎません。益のない事です。 嫌な言葉を使う機会を減らせば、嫌な言葉が返ってくるのも少なくなります。「言葉は相手のために使うように心掛けてみてください。」それは、毎日の意識も持ち方で進化すると思います。人としての「質」。これもなるべく上質を手にするよう頑張ってください。お互いにですが!!
お礼
丁寧に解説してくださってありがとうございます。「言葉を一旦飲み込む」の意味、よくわかりました。 言葉を相手のために使うということ、心がけたいと思います。
- 8823kin
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私がまだ若い頃(今でも気持ち的には、そうですが)、偶然立ち寄った会社で貼り紙がしてありました。通常なら社員にしか目に入らない場所に、それはありました。 「知恵のある者は知恵を出せ。」 「知恵のない者は汗を出せ。」 「知恵も汗も出ない者は、ここから出て行け!」 たぶん、こんな内容だったと思います。いきなり頭をこずかれたような気がして、私はそのどれに当てはまる存在なのかを自問自答した記憶があります。 自分の事は、たぶん自分自身が一番良く知っているはずなのに、自分への評価は、全て自分以外の他人がしているのが現実です。で、これはたぶん一生そうでしょう。もし、短気な性格だったとして、仮にそれを偽って過ごして(装って)いたとしても、その状態を長く続けることはできそうにありませんよね。元々が違っているのなら、それは無理と言うモノです。 「意識改革の勧め」という元プロ野球の監督だった人物の著書の中に、人間には「質」がある。と言う言葉がありました。「人間の質」です。 ショッキングな言葉でした。それは、私への問いかけでもあったわけです。その言葉に出会ってから、「そろそろ、自分を変えていこう」と真面目に思いましたね。一番最初は「自分の言葉を一旦飲み込む事」から始めたような気がします。当時の私の言葉には説得力も重みもなかったように感じてもいます。言葉だけがしゃしゃり出て、「人間の質」がそれに追い付いてなかった頃の事です。 常に……というわけではなかったのですが、事あるごとにその言葉を思い出しながら、意識しながら取り組んでいました。 この頃、この「質」という言葉を、自然に使えるようになりました。 「自分のプライドは自分の中にあれば良い。」 この言葉は、私の経験から生まれてきた言葉です。 「気持ちの上で分をわきまえる」のに方法というものがあるとすれば……先人に学ぶ事でしょうか。自分が「ハッ!」と思うような言葉や「ドキッ」とするような人物に出会った時が、たぶんその入り口です。 ただ、変なプライドは邪魔者です。謙虚さが欠けていても失格です。言葉も人も、知らん顔して、あなたの側を通りすぎていきかねません。
お礼
アドバイスをありがとうございます。 「自分の言葉を一旦飲み込む」というのは、自分をそのままさらけ出さないということでしょうか?よく考えてから行動に移す、とか…… 「自分のプライドは自分の中にあれば良い」というのは本当にそうだな、と思えます。ただ、私の場合は「変なプライド」の方かもしれません。理由なきプライドというか。 学ぶべき先人というのはみんな、言葉に行動が伴っていますね。
お礼
アドバイスをありがとうございます。 冒頭にも書かれていらっしゃいますが、読み進むうちにもbluepsycheさんが本当に私に共感してくださっているのだな、ということが伝わってきました。bluepsycheさんも同じように苦しまれたのでしょうか。あるいはその途上にいらっしゃるのでしょうか。…… 指摘いただいたことが一つ一つそのとおりです。私はプライドが高く、そのプライドがどこから来ているのかまったくわかりません。むしろ中身はゴテゴテと飾り立てた塗り壁のようです。地のままでいい物を何ひとつ持っていません。 それに反して「ダメでどうしようもない自分を愛」するということが難しいです。自己愛の塊のような自分なのに、半面で嫌いで仕方ありません。このように書くとまるで思春期のようですが、とうの昔にそんな時期は過ぎています。何年も克服しようともがき続け、見つけたと思ったことが虚しく思えたり、また立ち上がっては転びと……そんな繰返しでやってきました。ですがやはり、 >愚かな自分を向上させる努力は大切ですが、おそらくいつまでたって も自分の愚かさを完全に克服することは無理でしょう。 ということなのでしょうか。少なくとも、今の私の段階では実体験からおっしゃるとおりとしか言いようがありません。本当なら克服して少しでも良い人間になって、同じように苦しんでいる人がいたら「きっと大丈夫」と確信を持って言えるような大人になりたいのですが。 >ダメでどうしようもない自分を愛してあげればいいと思います。 多くの人はそうしていると思うのです。 私も方向転換をすべき時なんでしょうか。よくよく考えてみれば、自分を愛するというのは良い人間になろうと努力すること以上に困難なことのようにも思えます。私はそこから逃げてきたのかもしれませんね。多くの人がそうしているのなら、私はその多くの人たちを心から尊敬します。 余計なプライドは捨てる。これも私にとっては心の生皮を剥がすように苦しいことですが、そうやって心を鍛えていくべきなのでしょうね。 こんな稚拙な悩みに親身にに回答くださったことを心から感謝いたします。ありがとうございました。