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1861-1913年、アメリカの経済成長率
1861-1913年、アメリカの経済成長率が4.3%だったようですが かなり高い数値で、なぜだろうって思いました。 なぜでしょうかね なんとなくはわかる・・ような気もしますが はっきりしないのでみんなに教えてもらいたいと思います また1970年からアメリカ貿易の赤字が続いている理由についても教えてください
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・人口増加 この時期は人口が年間2%程度ずつ大きく増加しているので、 人口面の寄与は大きいと考えられます。 1つは出生数が大きく死亡率が低くなったためです。 人口動態としては、工業化前の経済では、 死亡数が多過ぎて人口が増えることができません。 19世紀半ばから、公衆衛生が整備され、 深刻であった都市の疫病被害が抑えられ死亡率は大きく低下します。 ある程度の点まで経済が成長すると、 出生と死亡のバランスが変化して、人口が急増します。 今日の開発途上国で人口増大が著しい現象とも似ています。 その地点を通り超えると、出生率が低下して、 人口増加は収まるようになります。 最近は日本のように低下しすぎて困っている国が多いですが。 もう1つは欧州から多くの移民を受け入れたことです。 この時期は欧州各国でも工業化が進んだ時期ですが、 英語圏以外を含む各国から、職を失った余剰労働力が アメリカの人口構成を変えるくらい大量に流入しており、 移民の受け入れでアメリカ経済はより大きく発展します。 なお、当時はアメリカでも移民問題が激しくなっていたりもしました。 今の「アメリカ人」の多くは英語圏以外の移民の血を引いています。 ・アメリカの工業化 経済面としては、1869年に大陸横断鉄道の完成に象徴されるように、 運河・鉄道網が張り巡らされて経済の一体化が進んでいきます。 政治的にも南北戦争を経て、緩やかな州の連合体から、一体化した国へと移行が進みます。 運河の重要地点にあったのがニューヨークで、 鉄道の交点で五大湖から穀物を持ち出す港として発展したのがシカゴといったように、 国の一体化に伴って大都市も発展していきます。 ヨーロッパからの技術流入を受けて工業化が急ピッチに進み、 さらに第二次産業革命といわれる重化学工業の離陸に成功します。 19世紀中にはアメリカは世界最大の工業大国となり、 スケールメリットを発揮することで大量生産体制が進展します。 第一次大戦が始まる前までにはもう、 アメリカが経済大国としてそれ以外の国を圧倒する地盤は整っています。 なお、当時のアメリカ経済の成長は画期的なのですが、 1人当りの国内総生産の成長率で見ると、 当時のアメリカの成長率よりも、戦後の東アジアの成長率や、 現在の高成長の開発途上国の水準の方がずっと高かったりもします。 イギリスよりもアメリカ、アメリカよりもその後発展した国と、 後発の方が既にある技術を吸収して速く発展できるというものです。 ・結構曖昧 ちなみに、経済成長率といっても工業生産なのかGNP/GDPなのか知りませんが、 この時期に今のような国民経済計算の仕組みが整っていなかったので、 かなりラフな推計になってしまうかと思います。 >1970年からアメリカ貿易の赤字 1970年辺りのニクソン時代は、ベトナム戦争の出費増と、 他の通貨の為替レートがドルに固定され、為替相場が過大評価されていた点。 まもなく変動為替相場制に移行して、ドルの価値は下落します。 当初は変動為替相場制で国際収支の不均衡は解消されるという楽観論もありましたが、 現実はそううまくはいきませんでした。 国内の貯蓄不足が深刻化し、それを海外からの資本流入で賄ったため、 ドルの為替レートは結局過大評価され、1980年代以降、貿易赤字が深刻な政治問題になっていきます。 経常収支の赤字というのは定義として国内への資本流入と等しくなる関係にあり、 経常収支赤字はアメリカに投資する価値があるからで問題ないと言う人もいますが、 赤字の累積で対外債務が大きくなっており、ドル下落のリスクとして問題視されています。