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命の重さ
昨日映画「タイタニック」を見ましたが、多くの方の尊い命が失われる中、ちょっと気になったが、「女性と子どもしか救命ボードに乗れない・・・」ことです。 私の場合ですが、女性専用車両とかレディースデーとかは仕方ないとしても、自分の命になると、さすがにあんなに冷静的な紳士的な態度を取れないかと・・・ 命の重い軽い・・・ 私の器が小さいんでしょうか、みなさんはどう考えるんでしょうか。ご意見をいただければと幸いです。
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- aired
- ベストアンサー率16% (9/54)
みなさん紳士で驚きました。 私は、その状態になってみないとはっきりとはいえませんが、今の自分がそこに居合わせたとして、やっぱりなんとしても生きたいです。 それに正直な話見ず知らずの女子供の命より自分の命の方が大事です。 たとえ後に周り中傷を受けようともです。 やり残したことがたくさんあります。 守りたい人が身近にいます。 自分の死を悲しむ肉親、友達がいます。 映画のヒーローのようにかっこよくはなれません。 もちろん、押しのけて…というわけではないですよ^^ その場でそれが成り立ってるかはわかりませんが、できるだけ平等に列に並びます。 例えばなのですが、自分に妻子がいるとした場合、見ず知らずの他人のためにそんな簡単に自分を捨てれるのでしょうか? 自分の家族を犠牲にしてでもその場の他人を助けることが正しいのでしょうか? 私には全然わかりませんが、私に無理なことは確かです。 余談ですが、水中で長く生きられるのはまぁ個人差がありますが女性らしいですね。 水中だと体温がどんどん奪われるらしく、脂肪の多さや付き方からしていいらしいです。 当方痩せ型の男なのであっという間に死んじゃいます(苦笑)
- makaay5
- ベストアンサー率32% (255/790)
奇麗事・偽善が嫌いな人間の意見です 自分ならば、おそらく譲りますね。奇麗事で言うわけでなくて。赤の他人様を思いやりたいというよりは、非道な手段で生き残って、その後に受けるであろう誹謗中傷に耐える自信がない為です。あるようになったら、譲らなくなるでしょうが。仮に誹謗中傷をうけない場面ならば我先にと乗り込むでしょう。でも、可能性を怖れます。 誰かを犠牲にして助かるならば、親友や相当な愛情を抱く相手以外ならば、犠牲にする事は出来るだろうと思います。するかは微妙です。上の可能性がないならば確実にします。個人的な価値観で、人間とはそういうものだという部分があるのでお互い様だと考えそうです。逆の立場ならば、恨み言は言いますが諦めますかね。 タイタニックならば1人で乗ってる事はなさそうなので、相当に好きな方が助かるならば、それでもいいかなと思いそうです。自分1人で生き残って良心の呵責に耐えて、1人で生きるのはキツイです。親友と2人だったなら、2人で助かる道を模索して無理なら諦めます。多分、相手だけ・自分だけも認めません。女性・子供が先と言われたら誹謗中傷を恐れて、おそらく今はル~ルに従いますし、従わないのがいたら銃で撃ちますね。
- Roman0
- ベストアンサー率18% (118/628)
> 押しのけはしませんが、男が救命ボードに乗船するなら > 銃で打つ・・・そこまで厳しくされなくても・・・ カルネアデスの板、という解釈があり、容量を超えて救命具に取り付こうとする者を、先に取り付いている者は殺して排除することが国際的慣習として認められています。 それも含めて、撃たないと押しのける男がいるからでしょうね。必要な措置というものでしょう。 なんにせよ、押しのけないのなら撃たれることも無いので、あなたの行動が「押しのけはしません」であれば、気にするほどのことも無いでしょう。 まあ、見苦しい振る舞いをする人間は、いつでもどこにでもいるものですし。
- hakuzior
- ベストアンサー率50% (3/6)
たくさんの方が応えてからいまさらな気もしますが。 一個人の意見として、参考になれば。 欧米はたしかにレディーファーストってのもありますが。 生命摂理として、やはり女性、子供が優先ってのはわかります。 そして、やはりもしも自分がそのような危機的状況におかれたら・・・ やはり、譲ります。 命の重さはそもそも天秤にかけられるものではないと思います。 そこで、自分が死んだとしても他人の命を救うのか、他人の命を食らっ て自分が生きるのか・・・それはその人が自分に正直になった結果。何でしょうかね。 私としては、日本でのレディーファーストは少し意味合いが違っている気もしますが・・・ なにより、最近の社会の傾向として、命そのものの重さがないことに恐れを感じ、またそれが悲しいですね。 なぜ、生まれた命をその手でいとも簡単に消せるのか・・・ 閑話休題 私としては、bsmlさんの器が小さいか?それはわかりません。 今は、誰だって口では何とでもいえます。 実際にどうできるかはその時でないとわかりませんから。
- anachronism
- ベストアンサー率31% (186/591)
そりゃ、時代が違いますからね。 日本には昔、武士道というものがありましたが、西欧には騎士道というものがありました。男は女や子供の命のためなら、己の命も捨てるべし、とされていたのです。今でも、欧米ではレディファーストという考え方は根強く、紳士というものは女性優先を励行しています。 今の世の中でも、人のために己の命を捨てることは美徳とされています。弱いものを助けることも、やはり美徳とされています。そして当時は女性や子供は弱いものという前提があり、その延長線上にある美徳で、その前提からは必然的に導き出される定理といえます。 今でも、子供の避難は大人よりも優先されるでしょう。これを押しのけて、大人が先に避難したとあれば、それはやはり人間性の欠如と取られるのではないでしょうか。それと同じイメージが、女性を優先することにはあったと思ってもらえればいいと思います。 ひるがえって、今の世の中では「女性が弱い」という前提がありません。この前提が無ければ、女性の避難を男性よりも優先する理由が無いわけで、むしろ、女性の避難を優先するということは、「女性蔑視」と受け取られるくらいになったのです。 武士道も騎士道も、当時の男の子は子供の頃からそういう教育を受けてきましたから、そういう人たちはそのように行動したでしょう。そういう行動を取れなかった人もいたでしょうが、そうした人も少なくは無いのです。 実際、乗組員が後の裁判で、なぜ男をボートに乗せなかったのか、そのような規則でもあったのかと尋問を受けたのですが、「人間性の掟だ」と答えたと読んだ記憶があります。 もっとも、今の客船ではそういう判断を迫られる可能性は非常に低いです。というのは、当時の客船は、法律がややこしくて全員分の救命ボートが無かったのですが、今の客船はちゃんと全員分のボート(たしか、片弦だけでも)が用意されていますから、四の五の考えるよりは片っ端から乗せて可能な限り早く避難させるほうがいいので、そういう命の選別をする可能性は非常に低いといっていいでしょう。 ですが、もしもあなたがそのような極限状態にあった場合、「人間性」というものを前に逡巡することはあるかもしれません。私自身、たしかにどう行動するかわかりませんが、どう行動したい、という願いはあります。上記をご参考に、いろいろ考えてみてください。
- mat983
- ベストアンサー率39% (10265/25670)
この質問を一般の私たちにぶつけるより、 現実にあった事件に目を向けるべきです。 乗客1272人と乗員約100人を乗せたエジプトのフェリー「アル・サラーム98号」が紅海で沈没した際、船長が救命ボートで先に避難しています。 これが人間の本音です。
- kaede-com
- ベストアンサー率21% (214/993)
NO8さんと同じような意見です。 男女平等と言いますが、全てにおいて平等なのは差別と同じだと思います。男性と女性では体の構造が違うので「区別」は必要ですね。 男性が女性・子供を優先するのは、歴史的背景だけでなく、自力で助かる可能性があること。女性・子供は次の世代を作る(子孫継続)という面があるのだと思います。 男性は自分の子供が欲しくても産むことができません。男性に出来るのは自分の子供を命をかけて産んでくれる女性とその子供を守ることだと思います。男性も女性や子供に頼られなくなったら、それはそれで寂しいと思いますが、最近はそういうこともないのかもしれませんね。 自分が死にたくないと思うのは誰も一緒だと思いますし、結局その場になってみないとわかりませんよ。
- yosiigawa
- ベストアンサー率9% (44/485)
男として先に逃げることは出来ないでしょう 女は子孫を残す可能性がありますね 子供は未来が有りますね 男は体力が有りますね 自助努力で助かる可能性がありますね その上 女子供はギャギャ騒ぐだけで 救難作業の役に立ちません 邪魔者は立ち去って貰った方が作業もやりやすくなります 私は男女平等と言う風潮を快く思っておりません 女子議員が強姦されても助けてやらんっうて言ったため議員を辞めされた方がいらしゃいましたが 私は彼と同意見です いざとなったら男が前に出なければ成らないのですから 女がお茶くみぐらいは当然だと思います タイタニックは欠陥船で防水室の上部が無く 操船ミスで氷山に接触しリベットが飛び鉄板が脱落し沈没と言う 馬鹿げた事故です おまけに救難艇も人員分無いというひどさでした つまり沈むべきして沈んだのです
- akamanbo
- ベストアンサー率17% (462/2680)
>紳士的な態度を取れないかと・・・ これは「取れない」ではなく、まずは「取るのか、取らないのか」という主体的な意志の問題ではありませんか。 それでも極限状況においては違う態度にでてしまうかも知れませんが、それはその時でないと分かりません。 しかし、最初から「そういう態度をとるつもりだが、いざとなったら分からない」等というのは意志を放棄しているに等しいと思います。
- natumikang
- ベストアンサー率16% (43/268)
ある状態になると、女性と子供が先だとなるでしょう。 「おれは生きたいからおれが先だ」と男1人が言える状況ではなくなるでしょう。その状況にならないとなんともいえませんが。 例えば、たくさんの特攻隊員が国や家族を思いながら突っ込んで行きました。現代人が、「特攻隊なんて自殺じゃん、逃げろよ、馬鹿じゃねえの。」 と思うのは筋違いですね。 その場の状況に追い込まれてみないと分からないことはたくさんあります。 器の問題ではありませんよ。だれも想像できないのですから。
補足
国家や時代というものがありますね・・・聞いた話では、ある国では、3歳以下の記憶の残らない子どもは助けない・・・という話を聞いたことがあります。 いざという時ですが、想像するだけで怖いです。 弱いものを助けるというのは当たり前ですが、自分が死ぬかほかの人が死ぬか・・・
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補足
今でも、いざという時でも自分の命が惜しいです。 嘘はつきたくないんで、正直、死にたくないです。