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沖縄剛柔流の型と構えについての質問
- 沖縄剛柔流についての質問をまとめました。ウンスーという型や剛柔流の構えについて、他の流派との違いなどについて知りたいです。
- 剛柔流のウンスーという型について、他の流派との違いや情報の有無について質問しています。
- 沖縄剛柔流と他の伝統派空手の構えの違いについて疑問を持っています。特に引き手の位置の違いについて考えています。
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雲手(ウンスー)は元来、剛柔流の型ではありません。宮城長順先生の高弟宮里栄一先生の順道館、伊波康進先生の沖縄剛柔流空手道協会、東恩納盛男先生の国際沖縄剛柔流琉武館、そして本土の山口剛玄先生の剛柔会の系列にも伝えられていません。個人的に練習している先生、選手はいるかもしれませんが、一般的には剛柔流では行われていません。 雲手が主に稽古されているのは、糸東流、松涛館、そして首里手の糸洲の系列道場などです。(和道流でも稽古している道場はありますが、正式な制定型ではありません) おそらく、あなたの所属している道場の先生のお考えで導入されたのでしょう。 しかし雲手は実は那覇手の型なのです。東恩納寛量先生の師である新垣世璋先生の伝えた型なんです。(新垣世璋先生は東恩納寛量先生と同じく中国福建省で修行されています) しかし雲手は東恩納寛量先生には伝承されませんでした。ですから宮城長順先生の系列の多くの道場で練習されていないんです。 糸洲、東恩納二つの門下であった摩文仁賢和先生も当初知らず、摩文仁先生は晩年の新垣先生に師事して雲手を習い、それが糸東流で教伝されるようになったんです。 (糸東流では雲手は新垣派から伝えられたと今日でも言われています) そしてその後松涛館などの他流や、摩文仁先生の同門であった糸洲の系列に伝えられたんです。ちなみに船越義珍先生が本土に持ち込んだ最初の15の型には雲手は含まれていません。(現在の日本空手協会の制定型は26あります。) 雲手は猫足立ちの姿勢から摺り足で歩いたり、最後の方に三戦立ちで回し受けをする動作があるなど、那覇手の特徴をよくあらわしています。ただ松涛館、首里手系の演武者の中には、雲手の前屈立ちの歩幅が大きく広かったり、正拳突きの拳が腰の位置からはじまる人がいますが、これは本当は間違いです。(すいません・・・) 立ちの足幅は全体的にもっと狭くして、拳の位置も胸の脇に構えるのが本来の那覇手の姿です。三戦立ちも那覇手のものとは趣が違っています。しかしこれは仕方がないかもしれません。逆に那覇手の人が首里手の型を演じたら、そこは違うと言われると思います。やはりどうしても流儀、道場の個性というものが出てしまいます。 上でも述べましたが、以上の理由から剛柔流の方が雲手を演じている映像はあまり見ることはできないかもしれません。YouTubeで探したり、検索して見つからなかったらちょっと難しいかもしれません。ただ糸東流が伝えているものがオリジナルに近いと思われますので、糸東流の雲手を見ると勉強になるかもしれませんね。 中国では交通手段が俗に南船北馬と呼ばれ、北方は馬で南方は船で移動していました。そして那覇手は南方福建省の白鶴拳、詠春拳などの影響を受けています。揺れる船の上で鍛錬したので足の歩幅が狭く、三戦などの内股、摺り足もそのためです。蹴りも小さく低い蹴りになり、その分、手技が発達しました。また那覇手が接近して技を繰り出すのは、揺れる船では互いに離れたり、遠距離から跳躍して練習することができなかったからです。そして接近して攻防を連続的に繰り出すためには、拳は腰よりも胸の脇に置いた方が行いやすかったんです。 この構えから那覇手では一寸力(チンクチ)という短い間合いで突きを効かせる技術が発達しました。三戦立ちや、拳を胸の脇から繰り出す所作は白鶴拳に伝わっていますが、それは鶴の動きを真似た、筋骨を締めて鍛えるため、また丹田に集気させるためだとも言われています。 また那覇手の拳を胸の脇に置いた構えからは、トンファー、サイ、ヌンチャクなどの短い武具を連続的に繰り出すことが可能です。特に攻撃を受ける際に非常にやりやすいことに気付くでしょう。福建省ではトンファーをトンクァー、ヌンチャクをヌンチャッコンといいます。 一方、首里手は身体を鞭や竹のようにしなやかに素早く動かす鞭身(ムチミ)と呼ばれる操体法を用いて、遠い間合いから一気に飛び込んで攻撃しますが、これは棒や槍で突く動きから来ています。 中国北方では輸送手段に馬を用いました。そして、賊を追い払ったり近づけさせないために棒や槍などの長い武具を携帯することが有利とされていたんです。少林寺などもそうですが、正拳突きの時に拳を腰の位置からはじめるのは、本来棒や槍を横にして腰の位置に構える所作から来ています。そして前屈立ちをしながら前方に棒や槍を突き出す、つまり前屈立ちの正拳突きは長い武器による攻撃動作が元になっているんです。 もちろん、北方にも接近しての短打はありますし、南方にも跳躍動作が皆無ではありませんが、概ねこういった特徴があると思います。首里手も中国南方の拳法からの影響が見られるという説がありますが、祖である佐久川寛賀は北京に何度も留学して拳技と棒を習っていますから北派拳法からの影響を考えてもいいかと思います。 いろんな型を見たり、構えや突きについて考えることは非常に勉強になりますよね。
お礼
お礼が遅くなって申し訳ございません。 とても詳しい回答をしていただき本当にありがとうございます。 凄く勉強になったのと同時に黒帯にまでさせてもらったのにも関わらず自分がしていた空手の事に対してあまりに無知だったなと思って恥ずかしい限りです(汗 >この構えから那覇手では一寸力(チンクチ)という… 剛柔流は接近戦向きって話を聞いた事があったので回答を見てそういう事だったのかと納得出来ました。 言われてみればいくつかの型の動物の動きが入ってますよね。 そういう事だったんですか…。 丹田を意識した練習はよくしてました。 ちなみに一番上の先生は、何て言うんですかね…、名前が分からないんですが、ヒクソングレイシーがやっていた呼吸法(?)のような事をよくしてました。 体をクネクネさせて何かしてたんですよね(笑 子供の頃にはそれが楽しくて仕方ありませんでしたし練習の帰り道に友達と先生のマネをして遊んでました(すいません…) >雲手の前屈立ちの歩幅が大きく広かったり、正拳突きの拳が… これは僕も思いました。 他流派を見ると剛柔流がとてもコンパクトに見えてたんですよね。 ちなみにウンスーですが、他流派のウンスーとは動作が全く違うものなんですよね…。 他流派のものより攻撃的で早い動作でした。 僕が習っていた道場の先生はどこの剛柔流の流れの方なのかは分かりませんが、剛柔流の巻物(?)を伝承してる方という事しか知りません(名前は書けませんが…) 恐れ多くて先生に話し掛ける事なんて滅多にありませんでしたし(汗 時々話し掛けてくれるのが凄く嬉しかったのを今でも覚えてます。 ちなみに僕が通ってた道場では五段になると道着が黒になります。 僕は辿り着けませんでしたが。 最後に、僕が一番好きな型はクルルンファです☆ 僕自身はクルルンファを習うまで行けませんでしたが、先生や先輩方が練習してるのを見て凄く憧れてました。 とても勉強になりました。 本当にありがとうございます。 また何かありましたらよろしくお願いします。