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昔は苦学生は本当に多かったんですか?
さて、日本経済新聞、3月3日の記事によると、 「1968年~75年までの私立大学の「年間」授業料は、 サラリーマンの「月収」を下回っていた」 とあります 時代的には、東北などからの集団就職時代は終わり、 学生運動が盛んで、日本の高度経済成長期間にあたります 翻って、現在では私立大学の「年間」授業料は、 サラリーマンの「月収」の三倍程度の100万円前後です 今の大学生も経済状況が苦しいようですが、 同世代人として取り分け苦学生をみかけません そういうのを「甘え」と言って切り捨てるのは簡単ですが、 果たして以前は、本当に苦学生多かったんでしょうか? 抽象的な質問ですが、ご意見をおきかせいただければ幸いです☆
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苦学生は多かったですよ。それ以前に進学させてもらえない人も多かったです。 サラリーマンの月収と授業料の比較で見ると、どうして?でしょうが。。。。 ・当時は今みたいな少子化ではなくて子供の数が多い(4,5人なんて家も結構あった)。 ・児童手当とか、医療費の助成なども少なく、義務教育の教科書も有料でした。 ・サラリーマンが少なくて、農業や小さな商店や工場の自営業者が多かった。家も土地も食べ物も困らないが、可処分所得が少なかった。 ・都市部より地方に住む人が今よりずっと多かった。地方から都会の大学に進学させて充分な仕送りが出来る家庭は限られている。 夫が団塊の世代の終わり頃です。地方の専業農家の倅、親族も農家が多い。夫の親族の集まりで聞く話は、東大京大でも行けそうだったけど、地元の工学部に行ったとか、医者になりたかったが、6年も掛かるので親に大反対されて、仕方なく京大の工学部に行ったとか、そういう話は腐るほどあります。 貧乏人の子はともかく、大学に行かせてもらえるだけで恵まれている。高卒ですぐ働いて家にお金を入れる、をしなくて済むのだから、そういう状態ですから、勿論国立で、学寮に入って、バイトと奨学金。仕送りなしの学生はかなりいたのではないでしょうか。男の子だから何とか頑張る。 女子の場合、女の子にそこまでやらせたくなくて、仕送りもするが、短大にさせる、が多かったみたいです。
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- potachie
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子どもの数が、今と昔では全く違う(5~6人兄弟は当たり前にいた)ので、親の経済的な負担は現在と当時では比較にならないと思います。その兄弟の中で、特に優秀な子が、東京に送り出されて大学生活を送るわけですね。他の子は地元に進学するわけです。 祖母が大学生/浪人生向けの下宿をしていたので、苦学生はよく見ていました。 今の学生生活はよく分からないので、あなたの感想を教えてもらえると比較が出来て助かります。 下宿は、3畳1間 風呂なし(銭湯ですね)、玄関・食堂・トイレ・洗い場は共用。鍵は掛かりません。建物全体の鍵があるだけですので、門限があります。確か7時頃だったはず。 朝食/夕食は下宿で提供されますが、おやつなどは、パン屋でタダでパンの耳などをもらって食べてた東大生とかもいましたよ。仕送りに余裕がなかったんじゃないかな? 当時は、アルバイトという概念があまりない時代なので、学生が働く場所というモノそのものがなかなか見つからないので、副収入がほとんど無かったと思います。 また、激安店というのは、大学周辺の大学生向けの食堂くらいしかなく、ズボンのベルトを買えずに紐で過ごしているという人も。。。食べるのは安く済ませられても、他が難しいんです。食にしても、ハンバーガーも牛丼も今と同じくらいの値段で、高級品でした。 中国の一人っ子政策で生まれた子供は、皇帝と呼ばれるくらいに贅沢に育てられているそうですが、日本もそれにちょっと近いのかもしれませんね。 住環境ひとつとっても、風呂付きのアパートに住んでいる学生って、バブル全盛の80年代に大学生だった私でも、半数くらいだったんじゃないかな。4人くらいで一軒家を共同で借りてる人たちがいて、リッチだなぁって思っていたくらいですから。私は風呂なし4畳半でしたし。 それと、あなたは知らないのかもしれませんが、今でも苦学生はいます。あなたの周囲の風潮が、それを表面に出させるのを許さずに、金銭面で苦労している人がいるはずですよ。 調査結果では、子どもが進学する大学のランキングと親の収入はほとんど比例しています。貧しい家庭では学費の高い上位の私立大には、学力があっても進学できない状況のようです。もしくは、学力的に優秀で、何らかの援助/優遇措置をもらって進学しているので、表面を取り繕えるんですね。 昔は、苦学生の存在を社会が認めて、励ましていました。今は、仲間はずれにされるんじゃないかって、怖がって、必死で表面を取り繕っていることが多いんじゃないかな? そういう悩み相談もよく見かけますよ。 中堅私立大の難易度が昔よりも上がっているという人が良くいますが、私は信じていません。入試教科数を減らして、競争が激化しているように見せかけているだけだと思っています。現在の上位の私立大はいろいろな意味で門戸が狭いんです。
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回答ありがとうございます! 今の学生生活ですか・・・ うちんとこは特別の特別だと思っていますので、参考にならないかと思いますが、 理学系では生活では地味な人が多いです 御曹司にも関わらず携帯を所有していないとか、勉強の邪魔になるということでテレビを捨てる人、(金銭に関係なく多くの人が)夏にはエアコンをつけないことなど その代わり、癖がある人・・・ 企業家を目指していそうな人はいませんが、 専攻が異なる有名大学の文系の姉の卒論をサラリと書ける人、小学生時代を関西で標準語で通した人、地下組織で活動してた人など 同じグループの12人としては異才な人が多いような気がします 関東の大学は、東大はともかくとして、他の有名大学(特に付属のある早慶)は、のきなみ自宅通学者が多い印象を受けます とりあえず、 経済と居住地が学力の主要な決定的因子とは嫌な時代ですね
- pullmandsg
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昔は苦学生が多かったと思います。 学費は安かったものの、住居費、食費等は相対的に高いし、サラリーマン以外の農業やその他の自営業に従事している家庭出身の人が多く(農業人口の割合が非常に高かった)て、そういう家庭はサラリーマンに比べ低年収であることが想像できるからです。 但し、1970年代:苦学生多い⇒現在:苦学生皆無 という図式が正しいかというとそうでもなくて、1970年代の数分の一の割合で残っているのではないかと思います。 ユニクロや100円均一店の普及で、貧乏でも上手く買い物をすれば見掛けはまともな格好をする事が可能になりましたから、つぎはぎだらけの衣服で見るからに苦学生という学生はいなくなりましたが、内情は生活費と学費をまかなう為のバイトで苦しいという学生は結構多いと思います。 そういう私(大学院生)も、下宿は築年数不明(1960年代だと思われる、ガスの配管剥き出し)の風呂なし下宿、食事も外食を極力避けて一日200~400円位で賄っています。住居と食費を削るのは他に理由があっての事で別に苦学生だからではないのですが、家に知り合いを招待すると「苦学生のイメージそのまま」といわれることがあります。ただ、服は安くまともなのが手に入るので、下宿に招いた事のない知り合いには「ちょっと裕福な家で育った末っ子のイメージ」とか言われます。苦学生らしい印象なんて、そんな感じで決まってしまうものです。
お礼
回答ありがとうございます 著名な独文学者の中野孝次さんは、 「職人の子に教育は不要」との父親の考えから旧制中学に進学できなかったそうです、その後紆余曲折があり東大を卒業しますが・・・ 苦学生は多少はいると思います 現に平均年収1000万を超える有力大学でも 学費の半額ないし、免除の拡充を進めていますので 私も常に自炊をモットーにして自炊をしていますが、 学費を自分で払うという意味での苦学生は、感覚的になので比較のしようがないですが、そんなにいない印象(=というかそういう学生を知らない)です pullmandsgさんと同じで 見かけが皆が綺麗な分、表面上には表れにくいことも大きな理由だと思っていますが・・・
- sionn123
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somei-yosinoさん こんばんは 今の大学生って昭和の遺物みたいな四畳半の○○荘的な所へ下宿するのは嫌がっていて、ワンルームマンションでオートロックがないとイヤなんて言っていますよね。多くの学生って極端に言えば親の脛をかじって学費を出してもらっていますから(もちろん働いてご自身で学費を支払っている方もいる事は知っていますが・・・・)、上記した贅沢なんてもっての他だと私は考えます。それでも親御さんに経済力がある方が多い関係と少子高齢化で子供の数が少ない関係で、親御さん側が子供の我侭みたいな要求を素直に受け入れているからしょうがないのかもしれませんね。 ところで戦後の第一次ベビーブームの頃のお子さんですと、一家に子供が4~5人なんて当たり前の時代です。その頃のお子さんが成長して18~二十歳位になった頃が、丁度高度経済成長の時代に当ります。現在では子供が生まれたら大学まで進学させると考える時代ですけど、この高度経済成長の次第は現在とは違って高校で就職する人も結構いました。この違いは何を意味しているか解りますか???今以上に「学問を学ぶと言うより、早くから就職して手に職を持った方が良い」と言う考えの時代と言う事も有るのかも知れませんが、それ以上に学費が払えない(子供が多過ぎて)と言う時代だったんです。 現在の学生さんも当時の学生さんも、アルバイトはしていました。しかし目的が違っているんです。現在の学生さんは、例えば海外旅行をしたいとか車を買いたい等ある意味贅沢な暮らしをしたい為にアルバイトをしている方が多いですよね。当時の学生さんは、3食きちんと食べたいとかつぎはぎだらけの洋服じゃないきちんとした洋服を着たいと言う目的でのバイトだったわけです。現在みたいな少し出も良い贅沢な生活をしたいではなくて、まともな生活をしたいと言う目的でのバイトだったわけです。 以上から考えても現在より苦学生が多い事が解ると思います。
お礼
GWでしょうか こんにちは! 教養の時に休みを取ると言って、 もうこの時期よりやや少し前には、大学に行ってない日々でした。(笑) 言い訳をすれば、 昔の時代は大学に行かなくても、ちゃんと勉強をしていたので、こういうとこが似てるなと悦に入ってるんですが・・・・ そうですね 贅沢な暮らしをしたいんだと思います 社交場、お金が以前より大幅にいるからでしょう 海外なども、「行くこと自体」が一種のステータスの誇示の気もしますし、、、 兄弟が多いというのは、一家の保険にもなりますよね 換言すれば、そういう時代には、いわゆるニートというものは生じえないでしょう 兄、もしくは姉などが、開かれた世界に誘導するからです 友人なんかでは難しいでしょうね と、本論からかなりずれましたが、 多産による経済的困窮だとよくわかりました☆
おそらく、質問者様と同世代(20代前半?)学生ですが、「苦学生」といえるような人を結構何人も知っています。 中にはおうちに仕送りをしている人まで…。 大学の先生で「自分が苦学生で~」って話をする人って結構いるので、「多かったのかな?」と勝手にイメージを持っています。 とりあえず今はかなりの少数派ですよね。(確実に存在はしますが 「苦学生」と呼べるような人って、事情がある場合が多いから、基本的に自分からカミングアウトしないし、経済的状況が厳しいっていうのもあって余裕がある人とつるむことが少なかったりするみたいなので、多くの人は同じ大学に学費も自分でなんとかしている学生が今でもいるってことを、知らないことって多いかもしれないですね。 私もけっこう「苦学生」よりなので、井上ひさしの小説なんかを読んでいると、小説にでてくる昔の貧乏学生の姿のほうが、まわりの現代の学生よりも自分に近くて、気持ちが少し楽になります…。 回答になっていないかもしれませんが「苦学生って今もいるよー」ということで。 参考になれば幸いです☆
お礼
仕送りをしている人いるんですか・・・ 探せば、二部の学生などたくさんいるのかもしれませんね 井上ひさしさんが好きですか? 眼光が鋭い方なのでそれだけで畏怖を抱いています 私は清貧の暮らしをしているので昔の学生というか雰囲気が特に好きです 特に、安岡章太郎「悪い仲間」のように ↓公開されていたので抜粋しておきます 僕が高麗彦からうけた驚きを、こんどは倉田が受けとる番であった。僕は半ば無意識で、半ば意識して、夏休に藤井がやったコースをたどってみた。食い逃げ、盗み、のぞき見……。ただ、僕のやることは、どこか仕返しじみたところ、倉田の心を無理矢理動揺させなでれば気のすまないところがあった。たとえば食い逃げするにしても、僕は彼に相談ぬきでダマシ打ちで、いきなり駆け出させるやり方だった。僕が完全な成功を収めたことがあるとすれば、銀座の表通りにある食堂からスプーンを盗み出したのが唯一の例だ。この時は倉田の方から進んで感心した。 部分的の引用ですが、 虚無的にせよ、生きる必死さが感じられます 回答ありがとうございます☆
- kgu-2
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>1968年~75年までの私立大学の「年間」授業料は、サラリーマンの「月収」を下回っていた これでは、私立は潰れます。私立ではなく、国立の誤りでしょう。当時はお金がなくて大学にいけないのは、珍しくありませんでした。月収より安いなら、私立に殺到します。 私は、1965年入学の団塊の世代の先頭で、父は公務員で、出世はしていなかったので、平均的な公務員でしょう。入試のときに、「滑り止めに公立(私立ではありません)を受験させて」と言ったところ「浪人せえ」と言われました。私自身、私立は、最初から対象外でした。 一番しわ寄せがいくのは、食費です。学生時代は、下宿するにも家賃が払えず、寮暮らし。病気をして入院したときに、「ここのご飯はおいしい」と感想を言ったところ「今まで何食べてたん」「人間が食べるものを食べてないとちがうんか」と言われました。 寮の朝は、食パンと牛乳とジャム1個、夜はご飯とおかずと味噌汁。おかずのメニューの一例は、アジの小さなフライが2つと刻んだキャベツ少々、味噌汁の具は、ジャガイモ、昆布、モヤシ、などが一品だけ。それも早く帰った寮生が掬っているので、遅いと具が発見できるかどうかの状態で、ミソ汁のミがないので、「味噌汁からミをとって、粗汁」と呼んでいました。 今では立派なメタボですが、当時メタボの心配をした学生は、例外でしょう。 現代の学生の甘えは、社会の一員としての意識が欠落していることです。当時の学生は、個人の目先の利益ではなく、社会・国を良くしようと考えていました。今でも鮮明に覚えているのは、寮の先輩に「なんで寮に入ったの」と訊かれ、「貧しいから」と素直に答えたところ「大学は義務ではない、貧しければ働け」と言われました。その先輩は、奨学金(今ほど充実していない)だけで、カツカツの生活をしていました。先輩が言いたかったのは、「国立は、税金で運営されている」「だから、卒業したら大学で学んだことを社会に還元せよ」と言いたかったと聞かされました。そのとき、「還元」の意味がよくわかりませんでしたが(化学の酸化還元と区別がつかなかった)、上級生になると後輩に同じようなことを話していました。 苦学生かどうかではなく、学んだことを、他の人(=社会)の為に生かせるかどうかだと考えますが。
お礼
回答ありがとうございます☆ 今も確認したんですが、 1968年~75年の「私立」大学の「年間」授業料が、サラリーマンの「月収」を下回っていた とあります 前後の文脈から推測しても誤記ではないと判断しました・・・ その稿の著者は、昭和女子大学教授 矢野眞和さん です! 図書館などで、興味があるようでしたら、是非ともご確認ください! 当時の「月収」を下回っていたことが事実とすれば、 現在と違って兄弟の人数が多いので教育にお金がかかるということでしょうか もしくは、 サラリーマンの定義がアヤシイとか… 学生時代の話をありがとうございます 今は全てが表面上は綺麗ですから その意味で、昔がうらやましいです。 つまり何をするにも「マニュアル」というか正解と思しきものがあります。 例えば、 このことを象徴的に言えば、喫茶店の時代とカフェの時代で対比できるでしょう 現代の大学生が子供とは指導教官の先生も言っていました! これも時代だと思っています
お礼
サラリーマンの月収と授業料を考えるとイマイチどうしてなのかなって考えていました 況や、感情論で苦学だったのかと回想しているだけとも・・・ 先述の引用小論文には、 高等教育の拡充のために現在の私立大学の学費を半額にすべきである、そのためには財源として消費税換算で0.5%程度のお金を使うべきと 明晰な回答ありがとうございます☆ ・自営業者が多かった点 ・地方に住む人が今よりずっと多かった点 が、新たになるほどと思いました 新幹線が開通したのは、ちょうどその時代でありましたし、 実家に帰るのには、今と比べようもないほど心的距離があったので みなが一生懸命だったんでしょう