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人は樹木のようなものだと思いませんか?だとすれば、間引きが必要ですよね?
今日、ふと思いました。 人は樹木のようだと。 それぞれが独立した生命体でありながら、 それぞれが共生し、ときには寄生、 支えながら栄養を取り合い、 土の下では、根が絡み合う。 これが質問1とします。 次に、 森林には間引きが必要だという点です。 人も、間引かないといけないのではないでしょうか? 司法がその役割をはたしているように思いますが、 それは受動的です。 もっと能動的に。 たとえば、 愚かにもデモ行進する○○とか。 平気で売春行為をする下衆。 金にしか目が無い低俗。 どう思いますか? (これは問いであって、意見ではないです。)
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説得力に欠けますね。それでは論文としては落第点です。 もう少し、哲学的に説明するならその理論を提示しましょう。 人は人であり人以外の何者でもありません。 己を含めて人間というものを正しく見つめない状態で樹木に例えられても、理解、納得はできません。例えるにしても情報量が少なすぎますからね。 せめて森という題材を提示し、森林だけでなくその中で生きている昆虫やそのほか動物との係わり合いを調べ、それを人間社会にあてはめるなどしたほうが良いでしょう。 また、はじめは樹木、森林の関係を書いているのに、最後はただの個人的な人間に対しての悪意がこもった言葉で表現しています。 前後の言葉を正しく照らし合わせる必要がありますね。 これは問いであって、意見ではないです。)、とかいているのにあなたは意見で締めています。
- keepfaith
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こんにちは。大人をおちょくっているつもりの高校生さん。 「これが質問1とします」とありますが、ちっとも質問になっていません。タイトルに「人は樹木のようなものだと思いませんか」とあるので、これを質問1としたかったのでしょうが。 「森林に間引きが必要だという点。」これはあたかもすべての森林に間引きが必要であり、それが事実であるかのような書き方ですが、これはあなたの意見ですよね。そして、この言い方は前後の文へのつながりを考えると構文的に不自然です。 「もっと能動的に。」とあり、そのすぐ後に「たとえば」とあれば、具体例がそこで述べられるべきです。 「たとえば」から「金にしか目がない低俗までは、「人も、間引かないといけないのではないでしょうか?」のあとに入れるべきですよね。そして、「とか」という言葉は、複数列挙した最後に来ないとおかしいですよ、あたなは最初の例につけましたが。 自分の意見も述べておきながら、最後に「これは問いであって、意見ではないです。」などと言っていますが、わたしには、あなたの意見が読み取れます。「人も間引かなくてはならないと思っている、しかも、司法のような受動的な方法ではなく、もっと能動的に」と。そして、「劣勢種はいらない」とはっきり言っていますよね。これは、ヒットラーの思想に通じる、非常に危険な考えです。「劣勢」をどう定義付けるのでしょう。そして、不完全な人間に他の人が劣勢種だと判断するような能力や権限や資格があると思いますか。ないですよ。人は皆違うから、学びあい、助け合えるんです。 あなたは、おそら倫理社会の時間にでも学んだ哲学者か誰かの論法でも真似てでもいるつもりなのでしょうが、無理があります。 わたしは、人に間引きが必要だなどと決して思いません。人に間引きが必要というのは非常に危険な考えです。歴史、特にヒットラーについて勉強することをお勧めします。 そして、よく知りもしないのに人をきめつけたり、失礼なことを言うのはやめたほうがいいですよ。
お礼
国語の勉強は今はいいですよ。先生。 私も、積極的に、間引きを行いたいわけではないのです。 ただ、あまりに「細く、弱く、脆く、」そんな人間が、 お互いに栄養を取り合ってます。 それは見ていたくないですね。 選んであげるのも、一種の慈悲では。 悪意というものは、 9割の善意に包括されています。 資格や権限など、有りも無くもない。 それこそ主観的な意見でしかない。 回答ありがとうございます。
間引く必要はないと思いますよ。 ちょっと手入れをしてやればいいことです。 子供の頃から、一人一人にあった教育をする。 教育をもっと研究し、もっと力を入れる。 それだけでも、出来上がってくる人間はずいぶん違うと思います。 もちろん、そういうことをしても、だめな人間というのはいます。 ただ、そういう人は脳に異常があることが多いんです。 犯罪者的な脳をちょっと治してあげれば、殺人も傷害も性犯罪も、ずいぶん減るでしょうに。 脳をいじるっていうのはタブー視されていますけど、脳だって肺は腸と同じ器官なんですから、正常な働きをしていない部分があるなら、治すのが当然だと思うんですけどね。 何にせよ、間引くだけでは、土の中にはびこるウイルスは根絶できないと思いますよ。
お礼
脳をいじるなんてことが、可能なんですか? 教育なんて、簡単ですよ。 間引くほうが難しいです。 というより、 間引きや淘汰や、弱肉強食、 その中で初めて命が輝くのです。 命の輝きの無い人間が、 何を教え、何を学ぶことができましょうか。
- thimys
- ベストアンサー率20% (46/225)
1 人間はどちらかというと地球を蝕む寄生虫 2 要するに 間引きリスト=DEATH NOTEかな? もし、実際 間引きリストが施行されることになったとして どんな世界に変わっていくと思う? 誰かが決めたルール それから少しでもはみ出したら間引きされる。 すべてが平等へ 最終的には 資本主義から社会主義へ 変更されていくんじゃないかな? どうなるかは、他の国で立証されてるから大丈夫だよね? ちなみに 君も間引きリストに加えられると思うな。 人間は弱い 強い者を恐れる それゆえに、弱者はかたまり強者を排除しようとする。 君みたいな先駆的な思想な程ね。 まぁ歴史を勉強すれば、少しはこの辺も理解できるんじゃないかな? 頑張ってみてね
お礼
歴史の中で、 私と同じようで違う思想、結果があります。 それは、単に、 「間引く者を間違えた」のです。 しかもヒトラーは、 「間引き」そのものより、「間引くことでナショナリズムを持たせる」ことが目的。 それにこれは話が拡大しすぎていますが、 「非生産者」は厳密的に「居ない」と考えています。 私が間引きたいのは、 生産力の低い者ではなく、 消費量の大きい人です。 おおまかに書いています。 あしからず。 回答ありがとうございます。
- Vwiyoonn
- ベストアンサー率35% (162/455)
間引き、というのは木材をより市場価値の高い商品にするための行為であり、これには当然ながら市場が求める価値というものがあって成立する訳です。 しかし、社会(システムという意味ではなく)という極めてあいまいなものが、数万年という幅を持った進化論的な目盛りではなく、下手をすれは数日数時間といった社会科学的な目盛りで価値判断を行い、優生学(これは科学に名を借りたペテンの代表格です)的判断をする、というのは結果的にいいかがりで人を裁くのと同じことになってしまうこととなることであったのは歴史をふりかえればうんざりするほど類例を見つけることができます。加えて、こうした判断は権力を有する側が対立する集団を殲滅したり特定の集団が持つ資産を丸ごと奪いとるとか権力者が属する集団の存続が危ぶまれるときによく使われるペテンであることを存じておいた方がよろしいかと思われます。 また、#1さんに『人は質より量だと~』なんて絡んでおられましたが、実際その通りなのです。量が保証する多様性によって生物は進化の荒波を乗り越えて多種多様な生物が地球上の生態系を形作っているように、人の世界にしても多様性によって形作られている訳です(量が多様性を保証しなくなったとき、種は衰亡することくらい進化論程度のものなら悉知なされているあなたならご理解なされていることと思われます)。 そして、自分が気に食わないものは駆除すべし、なんて論理はガキの小理屈でホームレスの人々を殴り殺すごろつきどもとどっこいどっこいだということをしっかり認識された方がよろしいのではないかと思われます。 加えて、#2さんに対する言葉もいただけませんね。人に頭が悪いなんて罵ると頭が悪いって悟られますよ。昔からいうでしょ? バカっていうほうがバカだもーんって。
お礼
巨大な力は、 支配者になりたがる低脳腫によって乱用されますね。 法律、金というものも例外なく。 多様性など・・ 価値があるのでしょうか・・・ 間引きは生物種の均衡を図りたいわけではないですよ。 掃除、です。 簡単に言えば。 そもそも、 進化や生命など、偶然のいたずらにすぎません。 価値を見出そうとすることは空虚です。 回答ありがとうございます。
- crivelli45
- ベストアンサー率44% (251/563)
1) ある側面ではそうですね(同意 2) 結論ありきの気がしますので(同意せず 間引きが必要なのは森林の中でも里山のようなシステマチックな森です。 人間の群れをシステマチックなものとし、人間以外の何らかのものたちとの共生を、自己の保存本能よりも優先させるならば、間引きも必要となりましょう。 しかし、間引きされるものが無能だったり低俗だったりするかで選ばれているわけではないので(森の価値観で選ばれているわけではない)、人に例えればエリートさんや政治家、すばらしき人徳者やクリエイティヴな映画監督まで、誰が間引かれるか判らないのがシステムとしての森のすがたです。 一方、熱帯雨林のように、淘汰の結果自然と間引かれる場合もあります。これは、森が森として単体で成り立っている場合の論理です。 森が森として完結している場合は、森の論理の中で劣勢なものが淘汰される率が高くなります。しかし、これは淘汰であって間引きではありません。 質問者さまの真意がどちらの森林システムに寄り添ったものか不明だったので、クリアになればと思い補足程度にご意見差し上げます。
- madmax4
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動物の世界では強ければ強いほど数が少なく 弱いほど数が多い 強者は必要以上に殺したりはしないし 弱者は大量にタマゴを生むが成長するのは、1,2匹となり 全て上手くバランスが取れてるが 人間だけはどんどん増えてますよね?(日本の人口ではなく世界の人口)それを考えると人間は樹木と言うよりウイルスに近いと思います たぶん人間のせいで地球が滅ぶと思います
お礼
人間だけが、 人類中心的な倫理を形成していますよね。 完全中立、真実の倫理と論理で、 生の営みを行って然るべきです。 ありがとうございました。
- kiyoshi43
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質問1に同意。 それ以降はANO.1さんに同意 他人を「愚か」とか「下衆」とか「低俗」とか言う人間も あなたの 間引きリストに追加しておいて下さい。
お礼
>他人を「愚か」とか「下衆」とか「低俗」とか言う人間も あなたの 間引きリストに追加しておいて下さい。 感情で言葉を使わないようにしたほうがいいですよ。 頭が悪いのは分かりましたが、 それを悟られないように少しくらい努力してほしいものです。
質問1は生物なら割と当てはまるのことですね >森林には間引きが必要だという点です。 根拠は? 間引きは不要でしょう、人が手を入れない時代でも立派な森林はありました、自然淘汰でバランスを作るかと
お礼
劣勢種は要らないじゃないですか。 残しておくと、デメリットはあっても、 メリットは無いです。 もちろん、 人は質より量だというのなら、話は別ですが。
お礼
そうですか。残念です。 ご指摘ありがとうございます。