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映画 靖国について

靖国神社が李監督らに削除要請=映画「靖国 YASUKUNI」 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080412-00000100-jij-soci 境内での撮影許可手続きが守られていないだけではなく、 その内容についても事実を誤認させるような映像が含まれていることから・・・ ドキュメンタリー映画というのは 撮影許可手続きを とらなくて良いのでしょうか? 撮影許可の手続きなんて基本的なことだと思うのですが・・・どうなのでしょうか? 文部科学省所管の独立行政法人・日本芸術文化振興会から750万円助成金が出ているようですが 許可を得ているかどうかとか そういう審査は しないのでしょうか? 「映画から削ってほしい」 「靖国」出演の刀匠が明言 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080411-00000948-san-pol 映画の中心となって登場する刀匠の方も 上映を了承したとは一言も言っていない。出演場面と名前を映画から削ってほしいと 自分の映像と音声の削除を求めていますね このまま上映すれば 人権無視ということになると思いますが このまま人権を無視したまま上映されるのでしょうか? 上映中止で李纓監督らが会見=映画「靖国」への政治圧力を批判 http://www.jiji.com/jc/zc?k=200804/2008041000772&rel=j&g=soc ジャーナリストの田原総一朗さんや原寿雄さん、映画監督の是枝裕和さんら十数人が出席 こういう人は 撮影許可手続きがとれていなかったり 映画の中心となって登場する人物の承諾を得ていないような ずさんな映画だったと解って こういう人達は コメントなどを出さないのでしょうか? ルールを守らなくても表現の自由は認められ 上映できるのでしょうか?

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  • robin2006
  • ベストアンサー率27% (39/142)
回答No.6

こんにちは。 映画そのものをみていないので、内容に関しては、今のところ流れている情報以上の事は知りません。が、私の印象では、最初に政治的意図を持ち込もうとしたのは、製作者側のように見えます。 そもそも、この映画が助成金対象に選ばれた背景や根拠は公開されて折らず不明瞭です。が、公的資金をつぎ込む以上、その内容は何らかの意義や心的利益を見るものに与える目的であるが、資金が不足しているものに供給されるべきだと思います。そういう意味では極端な話、お金さえもらえば後は全くの表現者の自由と言うわけには行かないでしょう。 国民の税金なのですから。 また、文化庁がお金を与えたと言う事実は、もしこの映画が外国に出たとき、その内容まで日本政府が公認していると取られても仕方がないことになります。(ある意味、このお墨付きを得るために、製作者が意図的に助成金を申請したのかもしれません。全国紙の一面広告が出せるほどの資金があったようですから…。)と言う事であれば、ただ、誰かが自分の意見を公開するために作った映画に比べ、映画の内容まで検討されるのは当然だと思います。間違った事実や偏りがあれば、指摘して修正すべきであり、そういった意味でたとえ映画の公開直前であっても、内容を吟味するのは政府の検閲とは違うと思います。 税金を使う道路建設も、申請さえ通れば、後はどう建設しようがかまわないわけではありませんよね?だから、計画通りに作られたかどうかのチェックがあるのです。 また、出演された刀匠の方の話だと、依頼された時は、あくまで伝統工芸美術品として日本刀を紹介するためのものであって、政治的意図はないと言われていたそうです。それが完成したら、全く異なるものとなり、自分の生涯をかけた仕事が単なる暴力の象徴のように扱われたら、どう思うでしょう?名前や出演を削除して欲しいと訴えている方たちは、上映そのものに反対しているわけではありません。自分たちの意志と全く違うものに同意していると取られたくないので、名前や出演部分を削除して上映して欲しいとおっしゃっているだけです。初めからこういう映画だと知っていれば、出演を断っていたはず。やむをえず撮影されたものでも、そこに意義があればまだなんとか納得できますが、今のところ高齢の老人を騙したという印象しか受けません。 靖国神社の撮影に関してもまたしかりです。表現の自由をかざされている方たちは、もし、ご自分の勤務先やお子さんの学校が政治的に偏った意見の方に無断で撮影されても、それを認めるのでしょうか? 確かに靖国神社には複雑な事情がありますが、だからと言って、何をやってもいい訳ではないと思います。 私はこの映画上映を反対するつもりはありません。が、この映画にまつわるいろいろな問題を、表現の自由だとか、政府の検閲だとかの言葉で、単なる日本政府や一国会議員の弾圧と片付けるのは焦燥だと思います。

soulfactory
質問者

お礼

回答有り難うございます その通りだと思います

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その他の回答 (38)

  • mmm001
  • ベストアンサー率9% (6/66)
回答No.9

私自身、判断がつきかねてるのですが・・ A)政治介入で   政治的な意味合いの強い映画であったと、   出演者の老人にせめよった・・という説と B)実際、報道された通りなのか・・? ただ・・ 靖国神社を調べてると・・・ そもそもが、 戊辰戦争での 明治維新政府側の英雄を奉ったもので 明治期の 歴代天皇の書き換えと同時にされていて、 日本の神道を大きく傷つけ、改竄したことに起源してることは 間違いないように思えます・・ ただ・・ 東京裁判で、 実際は日本国家で反戦、終戦に努力した多くの本当の英雄が 戦犯として口封じ処刑され、 反対に、 満州での利権に絡んだ政財界人らが 抗日日本人成りすまし皇軍派らファシズムの渡来系と共に 許され、 それでも 開戦へ無理やり引きずり込んだ外相も 自分たちが駒として利用したにもかかわらず、 結果、口封じで処刑して、 中曽根時に靖国へ合祀している・・ いっそのこと、 大っぴらに公開し、 Bであるのかどうか、国民に評価させた方が Aであることの証明にもなるのではないか? あえて、奏しないということは・・ Aの可能性がかなり、高いのかもしれません・ 見るべきか否か、考えあぐねてしまう・

soulfactory
質問者

お礼

回答有り難うございます 昨年春ごろ試写を見て 「初めの趣旨と(内容が)全然違うので、もう1回全部やり直して」と監督に伝えた。 「監督は“近いうちに違うもの(完成品)をもってくる”と言ったがその後は、なしのつぶて。 今年の春に監督らが来たが(完成品は)持ってこんかった。利用された感じがする」と刈谷さんは話している。 政治介入で政治的な意味合いの強い映画であったと、出演者の老人にせめよった・・ という説より前に 刈谷さんは 訴えていますね  監督側が 訴えを全く聞き入れていないということでは?

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  • lilact
  • ベストアンサー率27% (373/1361)
回答No.8

1、撮影された人が「やめてほしい」と思っているのですから、その人たちの思いを無視して上映するのは問題あるように思います。映像が全国で上映されるのですから。  監督は了解をもらっていると言っていました。これは、なんらかの行き違いがあったか、あるいは気が変わったということですね。そうだとしたら監督が再度説明やお願いに行くのが常識ある態度だと思います。 >ルールを守らなくても表現の自由は認められ 上映できるのでしょうか? 上映はできます。ただし、法的に問題があれば別ですね。 2、政治圧力について 言うことを聞かなければ逮捕されるとか会社がつぶされるなどということがあれば別ですが、国会議員にそんな権限があるはずも無くそんな時代でもないですね。試写も映画会社が了承したから行われたのですし。 >こういう人達は コメントなどを出さないのでしょうか? 出さないと思います。国会議員の事前試写と映画館の上映中止という点しか頭に無いからです。撮影された人の思いは頭に無いと思います。 映画について 出所のよく分からない南京大虐殺の写真と日本人の映像、裁判でも事実がはっきりしない百人切りの昔の新聞記事と刀匠の映像を織り交ぜている意図がよく分からない。

soulfactory
質問者

お礼

>出所のよく分からない南京大虐殺の写真と日本人の映像、 >裁判でも事実がはっきりしない百人切りの昔の新聞記事と刀匠の映像を織り交ぜている意図がよく分からない。 ドキュメンタリー映画で 靖国神社をテーマにきめ細かに描写し 歴史も紹介しているようでありながら 巧妙に中国のプロパガンダ映画へと造り変えているようなところがあるのでは ないのでしょうか 見ていないのではっきりとは 分かりませんが・・・

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  • free_777
  • ベストアンサー率42% (56/133)
回答No.7

 理解していないようなので、補足しておきます。 > 一方的な意見だけを述べているような イデオロギー的に偏った映画とか > 客観性を欠いている 全く裏付けのないものを 真実として映画の中で言っているとすれば > それはドキュメンタリー映画とは言えない > と言っていますね  先ず、一方的な意見を述べていると言っていますが、ナレーションがない映画と聞いていますね。  また、こういう疑問が出ると思います。 ・客観性を書いているとは、誰に対する客観性か? ・1国会議員の視点が、客観性を代表するのか? ・これは真実だと映画の中で言っているのか?  全く裏付けがなくイデオロギー的に偏っていると言ってますが、ナレーションもなく写しているだけの映像全てが裏付けがない映像なのでしょうか?  自民党の加藤紘一氏も「反日でも反中でもない。靖国反対でも賛成でもない。ナレーション抜きで事実だけを追いかけた良い映画だ」と言っています。  もちろん貴方は映画を直接見て客観的にそう判断しているのなら仕方ありません。 > それはドキュメンタリー映画とは言えない > と言っていますね > こういう映画に助成金が出ることは 可笑しいと思うのですが・・・ > もし 助成金が出ていて何も言わないでいたら  > 日本が映画の内容を認めていると外国は 思うと思うんですが  先ず、上記で言いましたが、ナレーションがなくて、どうやって真実だと映画の中で言えるのですか。もう論理が矛盾していますよね。  また、百歩譲って私たちは、巷間の情報を全部信じるのでしょうか? 新聞、週刊誌等に書かれていたらそれは全部事実なのでしょうか? 当たり前ですが、私たちは、情報を取捨選択して判断しますよね。 今回の映画もそれと同様ではないでしょうか。  助成金が、支出されると映画の内容を認めることになると言っていますが、これも意味が分かりません。政府が認めないのに何故、独立行政法人が助成金を支出することにより、認められるのでしょうか? >暗黙に靖国神社は撮影を許可していた事にならないでしょうか >そういうことが許されるのでしょうか? >暗黙に撮影を許可していたというなら  >許可をとる必要が無くなるのでは ないでしょうか  これは法律論としてこういう事も言えるのかも知れないという意見です。  私は、貴方と議論する為に回答をした訳ではありません。貴方が回答を求めていた様なので、意見を投稿したのです。  先ず、貴方は法律として今回の靖国神社に撮影許可を取らなかった事は、何を侵害する事になると考えていますか。それを理解していましたか?  以下のポプラ社の判例が参考になるかも知れませんね。貴方から見ればこれは、撮影許可を得ていないのでこれは勿論違法なんですよね? ■ポプラ社出版差止等請求事件 「かえでの木」写真掲載差止 http://www.courts.go.jp/hanrei/pdf/6F0C56DFB43BCDF749256C4400256D34.pdf  この裁判では、出版差し止めが出来ませんでした。貴方は、どうしてか分かりますか?

soulfactory
質問者

お礼

回答有り難うございます NO13の方が回答してくれていますが 客観性とは だれもがそうだと納得できる、そのものの性質 と辞書のあります >これは真実だと映画の中で言っているのか? ドキュメンタリー映画 ノンフィクションだと言っていますよね 助成金が、支出されると映画の内容を認めることになるのは 文部科学省所管の独立行政法人・日本芸術文化振興会という公的な機関から750万円助成金を出しているからです 助成金が税金と言うことは 言い換えれば映画靖国の一部が『日本の税金750万円を使って作られている』と言えますね 税金を使って作られている映画なのに 内容を認めていないと考えられるのでしょうか ポプラ社出版差止等請求事件 所有権の侵害にあたるかどうかということですね  靖国神社の私有地内で 営利目的に撮影をするのですから 撮影許可は必要で もちろん出演者の承諾も必要だと思いますが

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noname#29999
noname#29999
回答No.5

靖国上映中止について、次々と情報が錯綜して論点がぼやけて来ていると思いませんか。 撮影手続きや刀匠の証言の食い違いなどが問題なのでしょうか? 街宣活動やネット右翼の脅しが問題の本質でしょうか? 私はやはり、このドキュメンタリーの内容が一部の人間に取って都合が悪かったのだとしか思えません。 国会議員からの電話連絡や念押しは普通の人に取っては相当の圧力と感じて当然で、関係者の証言が微妙に変わって来ても仕方が無い部分もあります。 たった一本のドキュメントの内容がある人々に不都合だったとしても、特定の国会議員が、750万円の助成金が使われた事を盾に試写を要求するということは公権力の乱用と言われも仕方がありませんし、それを赦す社会は異常です。 また、助成金が妥当かどうかの判断は一国会議員が権力で決めるものではなくお金を出す国民が決めるべきものです。 靖国が反日であるか、中立であるか国民はまだ誰も知らないのです。 しかし、国内外を問わず、ドキュメンタリー映画でも普通の映画でも名作と言われるものはすべて皆、底の隠れた部分に何かの主張があり、何かを告発するものです。 見終わった後に何も問いかけを残さないものはただの娯楽作品です。 靖国の上映中止を機に、私たちはこの問題の底にあるものを見つめる時に来ているのではないかと思います。

soulfactory
質問者

お礼

回答有り難うございます 助成金をどう使うか国民が決めるべきものということは  国民の代表である 国会議員が妥当かどうかの判断をするべきでは ないでしょうか 税金が正しく使われているのか国会議員がチェックするべきことだと言えると思うのですが ドキュメンタリー ノンフィクションだというところの問題があります 現実をありのままに記録しているのではなく 制作者や体制の思想に沿うように現実が歪曲して描かれる傾向が強い映画に 助成金 税金が使われていることが問題なのでは ないのでしょうか 助成金の問題を別にしても それでも ちゃんと許可や承諾を得ているなら上映しても構わないと思います 逆に言えば ちゃんと許可や承諾を得てい無いなら上映しては いけないと思うのですが

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noname#57427
noname#57427
回答No.4

>撮影許可手続きや 出演者の承諾 人権よりも >表現の自由の方が勝るということですか? >映像がどう使われようが自由だと言うことですか? >それが正義ですか? No.3の方が明快に答えてくださっていますが、それぞれの利益とルールの意味と価値を、きちんと検証することが重要です。 個人の意思に反して、映画という巨大な力を持つメディアが、一方的に個人を題材にした批判的な言論を展開することを是認するわけではありません。 しかしながら、一方で言論において相当の地位を有する根拠施設であるところの靖国神社を、一個人と同様に保護することも適当でないはずです。 ルール違反そのものの「程度」 ルール違反の結果もたらされた不利益の「程度」 ルール違反によって得られた言論の自由と言う利益の「程度」 これらを一切考慮することなく、「ルール違反はダメ」と切り捨てる判断は、単なる思考停止でしかないと思います。 もちろん、ルール違反の程度が軽微であることを前提とした議論です。 ひどいルール違反の場合は、利益を論ずるまでもないというケースはあって当然ですが、そのようなひどいルール違反があったとは思えないのですが?

soulfactory
質問者

お礼

回答有り難うございます 撮影許可手続きが守られていない 上映を了承したとは一言も言っていない  出演場面と名前を映画から削ってほしいと 訴えていることは  ルール違反の程度が軽微であるから 表現の自由 上映が優先されるということですか? では 映画の上映をする為に 軽微でないルール違反の程度とは  どんなことなのでしょうか

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  • tyr134
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回答No.3

なんだか、色々な情報が錯綜していて混乱してしまいますよね。 私は、まだ映画を観ていないので映画に対する評価はさけますが、以下は(私が思う)一般論と思っていただけると幸いです。 ・言論の自由について(※「表現の自由」は「言論の自由」の一部) よく、「表現の自由」ということが主張されますが、日本では間違った認識がされることが多いです。 人権と表現の自由を秤にかけると、欧米では人権が優先されます。 「表現の自由」というのは、「国家・公権力からの自由」であって「自由奔放で何をしても良い」ということではありません。 また、自由についても「自由奔放」ではなく「自由は時に他者の自由と衝突する。他者に損害を与える自由は制限される」というのが世界の認識の多勢です。 海外の国家やマスコミが「自由」という言葉を使った場合、「国家・公権力からの自由」であって、「自由奔放」ではありません。 今回の映画で田原氏を始め、マスコミが反応したのは「一部の議員が公開前の映画の試写を求めた」という事実を「公権力が自由を侵害している」というように捉え、「言論の自由を封殺しようとしている」と主張しているのです。 彼らにとっては、「映画が作られたプロセスや内容」よりも、まず「国家・公権力の介入」を排除することが目的なんです。 もちろん、これは(言論の自由を守るため)ある意味で正しい行動です。 しかし、国の補助金が使われている以上、その内容を国が評価するのも正しいと言えます。 ただ、それは補助金を出すかどうかを決める審査の時点でなされるべきで、「完成して克つ公開前」というのでは、「言論の自由の侵害」と批判されるのは当然と言えます。 もし、補助金が不適切に使われたのであれば、それは審査をした国側の責任であり、映画制作者の責任ではありません。 ・「撮影許可手続きなどルールに関して」 上記で指摘したように、「言論の自由」は「国家・公権力」からの自由であって、法律やルールを無視しても良いという事ではありません。 靖国神社が、私的な一宗教施設であれば、撮影許可を取るのが原則であると言えます。 もし、撮影許可を取らず撮影・公開を行った場合、名誉毀損や侮辱罪に問われても仕方ないと思われます。 ただ、人権や法律を過剰に適用すると、「言論の自由」の侵害になる場合もあります。(名誉毀損・侮辱罪に問われた場合、裁判の場で争うことになるため、公権力が行使される) ただ、靖国神社が内外で議論を呼んでいる施設であることを鑑みると、客観性・中立性を保つにはやむを得ない手法だったとなれば、「言論の自由」が優先されるかもしれません。 しかし、それはあくまでも「公開後の評価」に委ねられるべきであり、「公開前」に「国家・公権力」が乗り出せば、憲法で禁止されている「検閲」と取られても仕方ないとおもわれます。 昨今のマスコミは「政治圧力」に過剰反応している状態です。 ただ、国会議員による公開前の試写が「検閲」と取られても仕方ないですし、ある意味正しい主張です。 もし、映画が名誉毀損や人権侵害を犯していたならば、制作中もしくは公開後に当事者同士で争われる内容であり、公権力はその時に初めて「中立な立場」で憲法や法律に照らし合わせて判断すべきです。 以上、私見ではありますが参考になれば幸いです。

soulfactory
質問者

お礼

回答有り難うございます >国会議員による公開前の試写が「検閲」と取られても仕方ないですし、ある意味正しい主張です。 試写が何故 検閲と言われるのかがどうも分かりません 助成金(税金)750万円を出していい映画かどうかで試写を求めただけですよね 今時 検閲なんて認められていないのですから  いくら国会議員でも上映中止になんて出来ませんよね かってに朝日などが検閲だと騒いでるにすぎないと思うのですが 検閲なのでしょうか? >制作中もしくは公開後に当事者同士で争われる内容であり、 公開後では 遅いと思うのですが 上映前なら止めることも出来ますよね いくら反対しても 承諾した内容と違うと映像の削除を求めても 上映を止めることは出来ないのでしょうか

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noname#57427
noname#57427
回答No.2

>ルールを守らなくても表現の自由は認められ 上映できるのでしょうか? 表現の自由の価値と、ルールの価値を見比べて決定するべき問題だと思います。 「ルール」でありさえすれば全てに優先するという考え方は危険です。 靖国神社は私的な宗教法人であると同時に、このような議論の対象になる、ある意味公的な性格を持つ施設です。そのような施設に、全くの個人と同じように権利を認めると、反射的に表現の自由が弱められます。 あの映画は靖国神社以外の場所で撮影することはできないでしょう。 でも、靖国神社は自分にとって好ましいと思う撮影以外は拒否することができるとすると、必然的に靖国神社を題材としたドキュメンタリーは一方の言論に与するものしか成立しなくなります。 それで本当にいいのか? という問題です。 その一方で、靖国神社は舞台として使われたことでどれだけの損害を被ったのか。議論そのものは以前からなされていたことで、反対意見も含めて再確認したに過ぎないとすれば、実害はないといえるでしょう。 また実害があったとしても、前述の公的性格からは一定程度甘受すべきとも考えられます。 要するに、程度問題です。 「ルールが」と言い出すと、それが錦の御旗になって危険ですよ。 ある程度、ルールを破ることで初めて実現される正義も実はあります。 これは、左右どちらの言論についても同じで、共産党について制作したドキュメンタリーに共産党本部や演説の映像を一切使用させないこととすると非常に不都合が生じます。 共産党万歳みたいな映画でなければそのような映像を使えないということを想像すれば、実感できるのではないでしょうか。

soulfactory
質問者

お礼

回答有り難うございます 撮影許可手続きや 出演者の承諾 人権よりも 表現の自由の方が勝るということですか? 映像がどう使われようが自由だと言うことですか? それが正義ですか? 全く何の規制も無い表現の自由のほうが危険だと思うのですが ドキュメンタリーだと言いますが 映画の中で 百人切りの映像の後に刀匠のかたが 日本刀で人は 何人でも切れるという映像が流れるそうです・・・

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  • free_777
  • ベストアンサー率42% (56/133)
回答No.1

 自民党の国会議員が、助成金の支払いが、妥当かどうか試写を求めた事が発端とされていますが、日本では無名監督の1作品の出演者に国会議員が、直接電話をしたり常識では、考えられない事が続出してます。  3月28日、日本外国特派員協会での弁明も見ましたが、税金の使い道で、道路財源の問題が、こんなに注目されている時に、何故このような微妙で見る人間によって判断が、分かれる映画の助成金の使い道を追及するのかが、どう考えても不自然です。 ■「映画『靖国』の試写は事前検閲ではない」稲田朋美議員の訴え http://www.news.janjan.jp/government/0803/0803283785/1.php ■ほんとはあった稲田議員「靖国」公開前の試写要求 http://www.news.janjan.jp/culture/0804/0804064360/1.php ■“政治介入”疑問の声も 自民議員が『靖国』出演者に接触 http://www.tokyo-np.co.jp/article/entertainment/news/CK2008041102002794.html ■「靖国」刀匠 議員「本人が削除希望」監督「なぜ変心」 http://www.asahi.com/national/update/0411/TKY200804100360.html  そして、上映を取りやめる映画館も出てきている。  本当に純粋に税金の使い道を追求するために、試写を要求したんでしょうか。私たちが、思考を停止すればそれでいいかも知れません。しかし真実が、別に存在するならば、それは何の意味もありません。  それでも地球は回っている。  確かに撮影許可を取らないのは、不味いですね。朝日によると「撮影許可は取ったものも取らなかったものもある。靖国神社の広報課長に名刺を渡し、その隣で撮影した場面もある。隠し撮りは一切していない」と李監督も言っています。 ■靖国神社、李監督らに映像削除などを求める通知送付 http://www.asahi.com/national/update/0412/TKY200804120197.html  という事は、暗黙に靖国神社は撮影を許可していた事にならないでしょうか。こういう問題は、当事者双方が裁判で決着をつけるしかないと思います。また、この撮影許可の問題も試写騒動が出てきてから、後から出てきたものです。これも本当に偶然なのでしょうか。

soulfactory
質問者

お礼

回答有り難うございます 稲田議員が 一方的な意見だけを述べているような イデオロギー的に偏った映画とか 客観性を欠いている 全く裏付けのないものを 真実として映画の中で言っているとすれば それはドキュメンタリー映画とは言えない と言っていますね こういう映画に助成金が出ることは 可笑しいと思うのですが・・・ もし 助成金が出ていて何も言わないでいたら  日本が映画の内容を認めていると外国は 思うと思うんですが >暗黙に靖国神社は撮影を許可していた事にならないでしょうか そういうことが許されるのでしょうか? 暗黙に撮影を許可していたというなら  許可をとる必要が無くなるのでは ないでしょうか

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