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北京オリンピックとチベット問題
ある事件が発生し、それに対して色々な視点から多様な意見が出るのは もっともだと思います。そして、それらの意見には先入観によるもの 歴史的認識に欠けた表層的意見等々。 これからが皆さんのご意見をお聞きしたいところなのですが、今回チベット問題での中国政府の対応に抗議し、オリンピック聖火のコースで 人権団体などが妨害行動などに出たことに対して、中国の知人が私に チベット問題は、あくまで中国国内の問題であり他国が、それに対して非難するのは内政干渉であり、聖火リレーの映像はCNNの捏造であると述べました。誰にも考え方に偏りがあるのは当然だと思います。 しかし、私個人としては中国の知人の考え方は理解を超えています。 歴史的にみれば、どこの国も同じような事をしてきたのではないか? と思うと、ある点では知人の考え方も教育等々によって洗脳?された 被害者であり加害者であり、傍観者のように思えるのですが、今回の 一連の問題に対して正当化する知人などの思考回路が確立する要因等に ついてどのように皆さんはお考えになるか教えていただければ幸いです。
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- siranuiii1
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>チベット問題は、あくまで中国国内の問題であり他国が、それに対して非難するのは内政干渉であり という発言は Aチベット問題は、あくまで中国国内の問題であるのかどうか? B国内問題はたとえば虐殺などであったとしても他国が非難するのはしてはならないことか? という二つの問題を含んでいる気がします。 Aの疑問は Aa清とチベットの関係 Ab清と中華民国、中華人民共和国の関係。 (清と中国は政権交代+国号変化か、独立か、全く異なる国であるか) という二つの事柄を把握する必要があるような気がします。 Aaに関しては非常に難しい問題です。というか、清と周辺諸国もしくは周辺地域の関係は私にはことごとく複雑怪奇に見えます。 たとえば、清は末期には、朝鮮や沖縄にたいしても独立国家であることを認めようとしませんでした。余談ですが、時の日本政府は、清国政府にそれはおかしいと突っ込みを入れたりしています。 ただ、朝鮮や沖縄もそうですが、清国とチベットに関しても現在の国際関係では見られない関係が両者の間であったことは確かであるように見えます。 清とチベットに関しては、チベットは現在の国家のようには独立していなかったし、現代の国家が領土を統治するようには、統治されていなかったというのが、正しいように私には見えます。 Abに関しては 辛亥革命やそれ以後をどう解釈するのか……清国から中華民国(=漢民族)から独立したと見るべきか、 清国内で政権交代があり国号が変化しただけで、清国と中華民国は同じ国であるとみなすべきか。 ただ、辛亥革命直後をみますと、どちらかというと後者を目指していたような気がします。清の皇帝や貴族の給料を中華民国政府が支払うと約束したりしているようですし。 ただ、それ以後、中華民国がある意味、戦国時代状態になるなどの経緯が問題を複雑にしているといえましょう。 Aa、Abともに複雑な問題です。だから、チベットが中国の一部であるかどうかは簡単に解決できるような問題ではないとおもいます。 だから、チベットが独立国家で共産党が支配すると声高にいうひとにも、中国の一部だと声高に主張する人にも、どちらにも違和感を感じてしまうという一方で、どちらにも納得できるものがあるような気もします。 でも、早急に解決しないといけない問題であるのが難しいところ。 Bに関しては……どうなのでしょうか? たとえば、ありえないことだと私はおもっていますが、日本国内において日本国民が虐殺されるようなことがあったとき、他国はそれにどの程度の介入が許されるか、許されないか? 一国家単独では何も許されないのか、国連が絡んでいればゆるされるのか。 意見を言うだけなら許されるのか、経済制裁なら許されるのか、軍事的介入までゆるされるのか? いままでたとえば、南アフリカのアパルトヘイトなど、重大な人権侵害に対して諸外国が経済制裁を加えたり コソボ紛争ではNATOが軍事的に介入したり と言うことがあったわけですが。 私自身は、それぞれの国が見解を言うだけなら、それは認められるんじゃないかな…と思っています。 もちろん、その国の自主性をみとめるということは常に大事なわけですが、しかし人権も大事だと思いますので。
- negitoro07
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中国は、日本に対しては戦争責任問題や靖国問題、これに関連する教科書の記述などで抗議を何度もしてきました。一方で、自国が批判にさらされると内政干渉を批判します。明らかにダブルスタンダードです。 また、戦後日本の反省とは平和主義だけではなく、これと不可分な民主主義の実践にありました。さらに二回の大戦を通じて戦勝国側も民族自決と植民地支配の解消を進めてきたわけです。 中国は日本に反省しろと言う一方、世界的な大戦の教訓である民主主義と民族自決に背いてきたのが実情です。大東亜共栄圏や同文同種論と、中華民族の名の下におけるチベット支配との間に何の違いもありません。異民族支配の正当化に他なりません。 こうした国際的な常識と、自国の歴史や行為についての正しい知識の欠如が中国人の問題点です。もっと深刻なのは、中国人が海外に出てもこうした誤りを正そうとしないことです。 仮説ですが、私はやはり中華思想という選民思想が漢民族=中国人にはあるのではないかと思います。これは台湾独立への反対にも通じます。台湾独立派は「自分たちは文化的に漢民族化されたが、ルーツはマレー系の先住民にある。中国人とは違う民族である。まして中国の一部などにはなりたくない。」と言います。 これに中国がなぜ腹を立てるのか?台湾が自分たちの領土だと思っているからか?それも一つの原因です。でも、漢民族であることを誇りに思わないことへの怒りこそがもっと大きな原因ではないでしょうか? 残酷なことにチベット民族に対しても、漢民族は同じような感情を持っているようです。それがチベットの独自の宗教や文化を尊重しない原因だと思います。
補足
回答大変ありがとうございました。お礼が遅れて申し訳ございませんでした。さて、本来であればお一人お一人に補足内容なり、回答のお礼を すべき所ですが、一括して補足させていただく事をご了承くださいませ。 尚、私の質問の部分で犠牲者とすべきところを 誤って傍観者と記入してしまい、指摘していただいた方にお礼させていただきます。ありがとうございます。皆さんの回答を何度も読み返させていただき、また私自身が中国で短期間ですが過ごした経験も考慮して、再度、自分の中で民主主義(善?)偏向捏造報道(必要悪?) 批判する側には絶対的に負の遺産はないのか?それでも批判出来ると 言う事は全ての事は風化し歴史の一断面として埋没して、現実の体験としての認識?から乖離し書物の一頁として単なる研究対象となるのか?それならば自分の存在は雑多な報道、体験の傀儡なのか? それら等々考えますと、一連の問題と言うよりは内省の為の鏡ではないか?と思うようになったのですが論点を歪ませてしまっただけでしょうか?・・・・現在莫大な負債がある日本にもかかわらず福田首相がサミット開催のホテルで一泊100万円以上する部屋に夫婦で宿泊。高齢者、弱者いじめとも言える政策。これら政策に対して徹底的な抵抗を起こす気力、財力さえ奪ってしまった事(と言うよりは生活するので精一杯と言うべきか?)はある意味で弾圧ではないのだろうか? これに対して外国メディアが人権の意味さえわからない日本人の能天気さを笑いものにし、いわゆる諸外国の人権団体が日本を救おう!と行動した場合に私も、中国の知人と同じような思考回路になりうる可能性が全くないと否定できない自分が存在するのは根源的に自己否定を回避する本能的なものでしょうか?論点が飛躍しすぎてるのでは?とも思いますが、今後これらの事件等に対しての立場を明確にすべきではないかと 思い皆さんに補足として提示させていただきます。宜しくお願い致します。
- lvmhyamzn
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中共以前の歴代王朝の頃から中国人は政府を批判すれば死罪になる歴史を面々と受け継いできたため、 政府を批判じみたことを他人に言わないものです。 いまの中国政府の言い分をそのままオウムのようにいうのは実に中国人らしいじゃありませんか。 そういう人たちだというように考えましょう。
補足
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- mat983
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中国の知人と質問者さんの違いを考えてはいかがでしょうか。 日本にいると多種多様な意見があることが良く分かります。 意見が正しい正しくないは別です。 今の中国に真の民主主義はありません。 天安門事件はその象徴で、今なお、人権は抑圧されています。 日本人は中国は人権問題に贈れた国と理解していますが、 中国の知人は民主主義とは何かが分かっていないのか、 チベットの抑圧された状況が分らないのでしょう。 中国では反政府運動の映像はカットされるので、分りません。 ネット社会とはいえ都合の悪い部分は政府により 遮断されているのです。 その状況下で正しい判断は難しいと思います。
補足
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補足
回答大変ありがとうございました。お礼が遅れて申し訳ございませんでした。さて、本来であればお一人お一人に補足内容なり、回答のお礼を すべき所ですが、一括して補足させていただく事をご了承くださいませ。 尚、私の質問の部分で犠牲者とすべきところを 誤って傍観者と記入してしまい、指摘していただいた方にお礼させていただきます。ありがとうございます。皆さんの回答を何度も読み返させていただき、また私自身が中国で短期間ですが過ごした経験も考慮して、再度、自分の中で民主主義(善?)偏向捏造報道(必要悪?) 批判する側には絶対的に負の遺産はないのか?それでも批判出来ると 言う事は全ての事は風化し歴史の一断面として埋没して、現実の体験としての認識?から乖離し書物の一頁として単なる研究対象となるのか?それならば自分の存在は雑多な報道、体験の傀儡なのか? それら等々考えますと、一連の問題と言うよりは内省の為の鏡ではないか?と思うようになったのですが論点を歪ませてしまっただけでしょうか?・・・・現在莫大な負債がある日本にもかかわらず福田首相がサミット開催のホテルで一泊100万円以上する部屋に夫婦で宿泊。高齢者、弱者いじめとも言える政策。これら政策に対して徹底的な抵抗を起こす気力、財力さえ奪ってしまった事(と言うよりは生活するので精一杯と言うべきか?)はある意味で弾圧ではないのだろうか? これに対して外国メディアが人権の意味さえわからない日本人の能天気さを笑いものにし、いわゆる諸外国の人権団体が日本を救おう!と行動した場合に私も、中国の知人と同じような思考回路になりうる可能性が全くないと否定できない自分が存在するのは根源的に自己否定を回避する本能的なものでしょうか?論点が飛躍しすぎてるのでは?とも思いますが、今後これらの事件等に対しての立場を明確にすべきではないかと 思い皆さんに補足として提示させていただきます。宜しくお願い致します。