• 締切済み

子供のころの嫌な思い出

もう昔の話になりますが、小学生のころ習字を習っていて その教室ではアイスクリームも売っていました。 私は小さい頃から気が小さく、悪いことはできない子供でしたが ある日習字は習ってない友達と一緒に遊んでいて 友達が「ねぇねぇ、あのお店からアイス盗もうよ」と 言われました。 私は「やめようよ~」と言いました。そこが自分が通う 習字教室だったので、なおさらです。 でも友達は「じゃ、Aちゃん(私)はそこで待っていて。 私盗んでくるから」と、私が引き止めるのも聞かずに 行ってしまい、私はドキドキしながら事の成り行きを 見ていました。 友達はうまくアイスを2個取ってきました。 それで私も一緒に食べてしまいました。 その後、うちの母に習字教室から連絡が入りました。 習字教室の奥さん曰く 「Aちゃんが、友達をそそのかしてアイスと取らせていた。 謝りに来い」と。 私はショックでした。でも子供でボキャブラリーが少なく 母には「違うよ、Bちゃん(友達)が取ってくるから待ってて と言ったんだよ」と泣きながら訴えました。 でも母もBちゃんのお母さんも、習字教室の奥さんの言うことを 信じて、私を責めました。 Bちゃんは要領の良い子なので、知らんぷりで通していました。 私は習字教室へ行くのも嫌になりましたが、親に止めたいとも いえず、レッスン中は半紙に10枚課題を書けばいいので わざと書き殴ってさっさと帰りました。 そんな私の態度を見て、先生も母に「向いてないから 止めたほうがいい」と言ったらしく、めでたく習字を 止められました。 Bちゃんの家は、こんな所にはもう住めないとばかりに すぐ引っ越してしまいました。 大人になってからも1度だけ母にそのことの誤解を話しましたが 母はもともと3人の子の中で私にだけ辛く当たっていたので 「あ、そう」という感じでした。 姉弟は制服のワイシャツにアイロンをかけてもらってても 私だけかけてもらえず学校で友達に「アイロンないの?」と 聞かれたこともあります。 母に言われて一番傷ついたのは「死ねお前なんか」でした。 私が喘息で寝込んでいた時です。 いっぱい辛いことがありましたが、なんとか生きています。 過去を消去は出来ないけど、前向きに生きていきたいです。 良きアドバイスありましたらお願いします。

みんなの回答

noname#84191
noname#84191
回答No.9

他人から見ればどうと言う事はない・・と思える事でも当人に取っては何時までも心に引っかかっているものです。 そして、それはどうでも良い事ではありません。 何故なら、その事が今も心のトゲとして残っているからです。 ここは裁判所ではないのですから、私は事の善悪などには触れません。 質問者さんは、一度で良いから、自分の心境と言うのか、心情を知って欲しかった、唯それだけだったと思います。 特に、母親には話しを聞いて欲しい、抱きしめて欲しい・・・ そうか、あなたは巻き込まれてしまったのね・・・と言って欲しかっただけだと思います。 その後で、あなたも同罪と言われても、それは受け入れる事は出来た事でしょう。 が、最初から、お前が全て悪いでは、傷ついた心が救われる事がありません。 回り中が敵と思えても仕方ない事でしょう。 人はそれ程、完璧になど生きられません。 失敗もしますし、意に反したり、道徳にそむいたりの行動もあります。 余程の場合でもない限り、その行動を良くないと思っている場合も多いです。 が、それでも、誰にでも言い分はあります。 それが、理屈では通らないとしても、感情は叫んでいるのです。 自分の言い分も聞いてよ・・・と。 唯それだけの事です。 さて、質問者さん(A子さんとしますね)の中には、二人の自分がいます。 大人になった現在のA子さんと、習字を習っていた頃の子供のA子さんの二人です。 習字を習っていた頃のA子さんが、叫んでいます・・・ 私の言い分を聞いてよ、私の方を向いてよ・・・と。 所が、お母さんはその時、A子ちゃんではなく、世間の方を向いてしまいました。 今その時の話しをしても、殆ど覚えてもいないことでしょうし、人の心の中で何が起っているのか(いたのか)など、誰も気にも留めません。 自分の事で精一杯だった事と、人の心の働き方など学んでこなかったからです。 さて、この限られたスペースでは端折った話しか出来ませんが…、 大人のA子さんが、習字を習っていた頃のA子さんとであったなら、大人のA子さんはどうして上げたいですか? 最後の所だけは聞かせて下さいね。 どんな事でも良いですよ、思いついたこと・・なら・・・ 今思いつかなくとも良いですよ・・・日にちがかかっても・・・ では・・

  • genki-mama
  • ベストアンサー率26% (334/1267)
回答No.8

 辛い過去、消せない過去を人は暗闇・・と言いますね。誰でも多少の暗闇は抱えていると思います。他人から見れば『そんなこと』と軽く思われてしまうかもしれない事でも、当時の当人にしてみれば、大人になってまで引きずるほどの『大怪我』だったわけです。当方にも同様の暗闇は持ち合わせておりますし、アナタのお気持ちも痛いほどわかりますよ。・・  俗に言われることですが、『同じ立場にならなければ、その人の気持ちはわからない』と。自分も大人になり、子を持つ身になりました。それでも当時の親の態度や気持ちは一割しか理解できません。ただ、ママ仲間などを通して、その育児や結婚相手・経済環境の多様さを目の当たりにして、『おそらく、当時の親はそれをしてしまうだけの環境であった』のだな、と想像ができるようには、なりました。他の方もおっしゃっていますが、不運な事故、と考えるほうがいいかと。  一番の見方であるはずの親が、子供を信じてくれない、どうしようもない悔しさ。のちに親に一応伝え、それでもわかってくれないのなら、それ以上、その人に何も求めないのがよろしいのでは。一応大人になれたのだし、一応ありがとう、でいいのでは。 親もね、いつか歳をとりますよ。心も寂しくなり、愛に飢え、子供に返っていくといわれますが、その通りだと周囲を見ても思います。 過去に見た新聞の記事にこんな投書がありました。小学生の女子が働く母親に書いた手紙です。『お母さん、いつもお仕事忙しくて私のこと、保育園や学童保育に預けたまま。休みの日も遊んでくれないけど、大切に思っているよ。いつかおばあちゃんになったら、私も一生懸命働いて、お母さんを立派な介護施設に入れてあげるからね。』・・と。  なんだかゾッとしました、これはある意味、復讐を誓った文なのでは、と思いました。これを読んだ母親はその後どうしたでしょうね。単純に喜んだでしょうか・・。 『その身にならなければわからない・・』まさに、もうすぐわからせることが出来る、のかもしれませんよ。年老いて病気で寝込んでいるときに見舞いに行き、枕元で言っておやりなさい。『おまえなんか死ね』と。そしてそのあと、ニヤっと笑って『・・と言ったよね、あの時。』と言ってやりなさい。そのときの親の顔をしっかり見届けてやりなさい。 最後に一つだけ。意外と親からのひどい仕打ちで、暗闇を抱えている人は身近に多いです。そして一緒に大抵その原因を探ると、突き当たるのが『戦争』です。やはり、戦中戦後はまともな子育てどころではなかったのでしょうね・・・。その子供たちが、親になり、私たちを生んだ・・。戦争の残した爪跡は、まだまだ転がっていると思うこの頃です。そういう意味で、平和を望まずにはいられません。まだ、たったの60年ほど前のことですもの。

回答No.7

こんにちは。 アドバイスではないですが・・・ この「アイスの件」そのものは、 それほど辛い事ではなかったのではないでしょうか? アイスの件など、 言葉が足りない自分の自業自得の部分もあるわけですし、 もし、アイスの件が余程辛かったのなら、 「あの時、私が止めれば」とか、 この件に関してだけの 悔しい思いが一生残ると思うので・・・ 拝見して思ったのは、 「母親の愛情に抱かれなかった事」 これが辛いんじゃないかなと思いました。 アイスの件があっても、 母親さえあの事情を聞いてくれたら、わかってくれたら、 アイスや習字の件なんて、どうでもよかったはずですよ、きっと。 母親が気にかけてくれない、わかってくれない、冷たい・・・ だから、それが辛い出来事になっているんでしょうね。 皆いっぱいいっぱい辛い事はあるものです。 母親が、反面教師になった様なので、 そこから得る物があったという事ですね。

aozoratown
質問者

お礼

アドバイスありがとうございます アイスの一件で私がずっと引きずってることが あります。 それは母に信じてもらえなかったということです。 それまでもいろんなことがありましたが 母から信頼されてない、という認識は持ってなかったので。 アイスのこと以来、どうせ私が何を言おうと 信じてくれないんでしょう? こんななげやりな自分が出来上がりました なげやりになったことで失ったことがたくさんあります 勉強だって本当はもっと真面目にやりたかった・・・ 今更論ですけど。

  • tyobi10
  • ベストアンサー率38% (65/171)
回答No.6

NO5です。たびたびすみません。 私が回答を書いている間に質問者さまも他の方にお礼を書かれていたようで、、内容がだぶってしまったというか。 もう、立派に子育てしていらっしゃるし、反面教師として捉えているんですね!よかった。

aozoratown
質問者

お礼

ハイ。大げさですが、私は子育てを命がけで やってきました。 ない頭を絞って子供がいじめに遭わないよう 心を強くしてあげたり、自信を持たせるように したり、いつも明るい気持ちでいられるよう 工夫したり、みじめな思いをしないようにしたり 他にも言ったらきりがないくらい、子供なのに 大人扱いで見識を広めさせたりしました。 全部私は親から受けてこなかったことばかりで ある意味うらやましくもあります。

  • tyobi10
  • ベストアンサー率38% (65/171)
回答No.5

幼い頃のアイス事件だけなら、ショックはあっても前向きに生きられないほどの痛手だったとは思えませんが、 後半に書かれているように、「死んでしまえ」とか普段から冷たくされていると感じていたことの方が比重が大きいのではないでしょうか? 普段の生活の中で姉弟よりも愛されていないと感じ、代表的な記憶がアイス事件だったに過ぎないのでは? ですから、私は、もっと根の深い何かを質問者さまは抱えていらっしゃるように感じました。 前向きに生きられないように思う何らかのモヤモヤは、育ってきた環境の中で、少しずつ蓄積されてったのでしょうね。 親に愛されていないと思いながら過ごした日々は辛かったと思います。 私も質問者さまと同じで姉弟がおり、歳の離れた弟(当時10歳)から「なぜ○○(私)お姉ちゃんは、お母さんにつらくあたられているの?」と聞かれるありさまでした。 「てめえ、死んじまえ」「お前をみているとイライラする」「お前は何をやってもダメ人間だ」などなど。毎日が言葉の暴力で死にたかったです。そのうち下手すると殺されるんじゃないかと思ったこともあります。 その他、ここの場では書けないような修羅場を何度か経験しました。今振り返っても「ドラマ」のようです。 質問者さまも、日常的に傷ついてきて、自分に自信が無くなってしまったのではないですか? 私は、すっかり自信を無くし精神的に不安定な日々を過ごしましたが、質問者さまと同じく、前向きに生きたいと心の底から思うようになり、心理学などを勉強しました。 ひとつひとつ薄皮をはぐように、母との仲も改善し、今ではそんな暗い私はどこにもいません。母とも仲良しです。 どうやって克服したかというと、まず、大きな出来事にかんしては、起こった事を「事故」と捉え、あの時は仕方なかった、、、と思うようにしました。 母の人格というか、私への対応については母に直接、「あの時はつらくてたまらなかったんだよ。」と責める気持ちではなく、事実を伝えました(少し仲良くなってから伝えました)。母は、「あらそうだったの?」って感じでした。 そこでわかったのが、お互いの捉え方の差です。 なので、私は「なーんだ、母は私をいじめてる意識はなかったんだ、、きっと、いつもストレス抱えて、たまたまそのはけ口が私だっただけか、、愛していないのではなくて、母も一人の女性として、いろいろあったんだろうな」という相手への理解です。 そして、自分が思っているよりも、事態は深刻ではなかったのかもしれない、、という点です。 子供のころって、親に見放されたら生きていけないから、無意識にその絆を放すまいとして必死なのかもしれないですよ。 数々のひどい言葉に関しても、あんなこというのは当時の母だけ。 他の人や、今の母は言わない。だから、あれも事故。 そういい聞かせ、1年したら少し楽になってきて、様々に掘り下げて傷を癒したなーー、と実感できるまで10年かかりました。毎日、イヤな思いが浮かんできたら、その思考を止める勇気も必要です。そして、違う捉え方(もっと楽な考え)を呪文のように心に言い聞かせました。 そうすると、イヤな考えがグルグルするというクセが消え、仮にイヤなことを思い出しても事実としては認識するけれど、感情が揺さぶられることがなくなりました。「そんなこともあったなー、、」というただの過去の記憶になったので、楽です。 こんなことしかアドバイスできませんが、興味があれば、心理学の本も役に立つかもしれないです。 焦らず、ゆっくりと、地道に努力すれば、きっと前向きになれると思います。 私は今では、母のもとに生まれて良かったな、つらかった経験もあるけど、少しは人の痛みを考えられるようになったし!なんて思ってます。 親を反面教師にして、自分に子供ができたら褒めて育てよう!とかいろいろ楽しみにしています。 過去は消す努力しなくていいです。どう捉えるか、、、ということと、その経験をどう生かすかだと思います!

aozoratown
質問者

お礼

アドバイスありがとうございました 私と同じ条件の下、育ったtyobi10さんの意見は 大変参考になりました 読んでいて涙まで出てきました そうです。ここに書いたことはほんの一部で 他にもたくさん嫌なことがありました 学校でも泣き、家でも泣き、布団に入ってまた泣く でも子供ってお母さん大好きじゃないですか。 ある時母が「そんな子いらない、出て行け!」と 言いましたが、私は泣いて出て行くことができませんでした。 「それなら私が出て行く」と母は外へ行ってしまいました。 玄関先で私はずっと泣いて母を待っていました。 だいぶ経ってから母はケロッとした顔で帰ってきました。 近所のおばさんと話をしていたそうです。 その時もこんなに心配してたのに・・と悲しくなりました。 tyobi10さんのおっしゃるように割り切らなきゃ いけないんでしょうね。 私も心理学やキリスト教や仏教の本まで読んで心を 整理しようとしました。 普段はこんなにグジグジ悩んでないんですけど 今日は知り合いにとても嫌なことを言われたこともあり ずーっと自分って最低だな・・・と思ってたんです。 でもちょっと楽になりました。 ちょっとずつ心の傷を癒していけるよう努力してみます

  • ma3zu
  • ベストアンサー率27% (285/1036)
回答No.4

過去は変えられません。 しかし記憶はちょっと変わってしまうことがあります 美化とか言われます。 アイスの件は本当にそうですか?美化してませんか? 結果として書かれたことが事実として 皆さんに認識されてしまっていますので いまさら言っても誤解を特にはタイムマシンを作るしかないでしょう そうです過去は変えられません 悔やんでも仕方のないことです これからどうすべきか、 質問者様の経験をもとに 親になった時には子どもの言い分を良く聞く 兄弟で差別をしない。優しい言葉で接する。 過去には戻れません 見つめるならば将来です。 明るい未来を見つめましょう

aozoratown
質問者

お礼

全然美化はしてません ありのままです 知り合いに話すなら美化して話したかもしれませんが 知らない相手なら何でも嘘なく、見栄なく話せます 幸い子供はひとりですので、愛情をたっぷり かけて、してはいけない事は小さいうちに教え 頑張ったときには褒めてあげてます 私が叶わなかった夢をすべて彼女は持っています 優しい心も持っていて自慢の娘に育ちました 親も時々言うんですよ 「あんたは子供を育てるのがうまいね、私は下手だった」と。 「そうだね~!」と言ってあげます。 あんなに憎らしい子にしか孫が出来なくて 残念だったね~とも心の中で思ってます >明るい未来を見つめましょう ありがとうございます もっと強い心でいたいものです

  • sun1212
  • ベストアンサー率22% (264/1150)
回答No.3

いろいろと辛い記憶ですね。 「私はやめようって言ったけど、Bちゃんが取ってくるって言ったから。でも私もアイス食べちゃったから悪かったんだよね。ごめんなさい。」 と言えば良かったのかもしれません。 Bちゃんが盗んだのは本当かもしれませんが、客観的に見て、食べた質問者様も悪い事には変わらないのですから、それを自分は悪くないと言うような言い方になってしまったため、お母さんに誤解されてしまったのかもしれません。 Bちゃんが要領が良かったのなら、習字教室の奥さんに「質問者様に言われてやった」と言ったのでしょうし、大人の言うことはなかなか疑いにくいものです。 親の立場としては、単にアイスが欲しくて盗んだだけなら単純なイタズラ程度のものであり、謝ったり、反省をすれば許せる事だったのかもしれません。 しかし、それを余所様の子ども(友達)にやらせておいて、自分は反省もしないし、悪くないとあくまでも言い切る、泣いて誤魔化そうとしている、という見方をしてしまったのかもしれません。 わざわざお金を払って通わせた習字教室で、そんな事件があって恥をかかされた、迷惑をかけられたと思っていたかもしれません。 その後も習字教室で投げやりな態度の事を先生から報告されたのだとしたら、ますます良い感情は持たない、アイスの件もやっぱり質問者様がそそのかしたんだと思い込んでしまったかもしれません。 3人の子どもがいれば何かと大変でしょうし、やはり手のかかる一番下、早く年頃になる一番上の子にかかりきりになってしまうのかもしれません。アイロンの件は時間が無くてかけられなかったのか、忘れていた可能性はあると思います。 しかし、母親として病気の子どもに向かって暴言を吐くなんて通常ではあり得ない言葉です。 家庭の中で発生するストレスを無意識の内に質問者様にぶつけてしまっていた可能性はあると思います。 無意識でなければ、なんて酷い事をしたのかと後悔した事もあると思います。 大人になると過去の事を客観的に見つめる事ができる場合もあります。 母親ではなく、姉弟と話し合ってみて、自分だけが疎外されていたのかどうかを確認してみるのも良いかもしれません。 今も母親との関係がうまくいかないようであれば、自立して一人暮らしをしたりある程度の距離を置いてみる方が良いかもしれません。 過去につらい思いをした分、これからの質問者様は他の人に優しくなれるのではないでしょうか。 反面教師が身近にいるのですから、いつか子どもが出来た時にはその子に愛情を注いであげられるよう前向きに頑張って下さい。

aozoratown
質問者

お礼

アドバイスありがとうございます 習字教室の奥さんはきっと私を嫌いだったのでしょうね だから私を貶めたのだと思います Bちゃんから奥さんに言ったのではありません。 母だけでなく、父も私を守ってはくれませんでした。 幼稚園のとき父と遠足へ行って私が友達から いじめられていたのを知ってて無視してました。 あとで、事あるごとにAは幼稚園の遠足のとき いじめられてたんだよなぁ~って皆の前でつぶやくのには 毎回心が傷つきました。 触れて欲しくないのに。 守ってもくれなかったくせに。 今私は結婚してて両親とはあまり会う機会がありません。 会えば普通の親子ですけど(表面上は) もぅ子供もいて、実際親を反面教師にここまで がんばってきました。 親にしても、孫は私の子ただ一人なのでそりゃ~もぅ 昔私を育てた表情とはまるで別人のように 可愛がってくれますよ 結局3人の子供の中で、誰が一番親の思い通りに なったかというと、愛さなかった私です 子の思い親知らずですね

  • sayapama
  • ベストアンサー率37% (3925/10438)
回答No.2

書かれた内容を拝見しましたが、そんなに辛い事でしょうか? 友達だと思っていた子の裏切りや、大人からの理不尽な対応の一環でしかありません。 私からすれば、子供時代には良くあった出来事の一つでしかありません。 人生ですので、歩んでゆけば辛い事くらい幾らでもあります。 辛い事を多く経験する事は決して悪い事だとは思いません。 実際に貴方の質問文を読んでも、「それは大変だ」「心が引き割かれるくらい可哀そうだ」とも思いません。 大切な事は辛い経験から、何を学んで、以後の人生にどの様に糧としてゆけるかだと思います。 貴方にとって『自分が世界で一番不幸なんだ』と思っていても、他の人から見れば、『その程度の事・・』になる事は良くある事ですよ。 本当に世界で一番不幸な人は、自分が一番不幸だと考えるゆとりさえ無いでしょう。 私の親友は、阪神大震災の時に重傷を負いました。 目の前で最愛の家族が瓦礫の下敷きになって、迫る炎に助けを求めているので、救出をしようとしている所を周囲の人に羽交い絞めにされて止められて、自分の目の前で未だ生きていた家族を失っています。 彼は消防士として、今も前向きに人生を送っています。 とても強い親友です。

aozoratown
質問者

お礼

アドバイスありがとうございます >自分が世界で一番不幸なんだ・・・ とは実は思ってないんです 世間でいうセレブな生活をしてるから。 親もそんな私にお金を貸してといいます。 私は貸すくらいなら・・ともぅ何百万もあげて しまいました。 それはそうと、心は幼い日より今までずっと 癒されたことがありません。 赤の他人様にこんな話をしても甘えてると思われるのが 関の山でしょうけど、でも癒されないものは 仕方ないんです 私は小さいころ辛い思いをして良かったと思うこともあります。 その反動で今こんなに恵まれてるから。 姉や弟はあんなにいい思いをしてたのに・・・ 人生ってわからないものですね

  • tnkfh572
  • ベストアンサー率14% (50/354)
回答No.1

理由はどうあれ、アイスを食べた事実は同罪です 親が信じてもその事実は残るただ形が違い主導者にされたと言うことです。 習字を止めたのが母には許せないのでしょう子供だから仕方ない反抗のしかたでしたが 「死ねお前なんか」このことは同情します、絶対口に出したらいけない言葉です、理由があろうが 前向きに生きたいのであれば、過去は忘れなさい

aozoratown
質問者

お礼

アドバイスありがとうございます やはり他人を批判するのは簡単ですが 思いやりの言葉で癒すのは難しいんですね 母は私が習字をやめようと、あまり気にも とめていませんでした。 私が一度だけ母に写真を撮ってあげる!と シャッターを切った写真は、とても煩わしい目で 私を見る母の顔が写っています。 忘れることは多分一生できないですね

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