すでにさんざん報道されていますが、チベット問題です。「邪魔」をしようとしているのではなく、大部分は抗議の示威行為としてやっているだけです。パリでリレーが止まったのは、むしろ中国が派遣した警備隊の過剰反応という感じが強い。
チベットは1951年の人民解放軍進駐以来、中華人民共和国に組み込まれていますが、それ以前は一応、独立国でした。歴史的に中国との交流は深い国ですが、民族は異なり、言葉も違い、政治体制も13世紀くらいから教義上観音菩薩の転生とされるダライ・ラマが統治するチベット仏教の宗教国家でした。
一応独立国とは言うものの、近代西洋的な「国家」では必ずしもなく(それ自体が19世紀のヨーロッパで確立した概念ですが)、モンゴル人王朝の元や満州人王朝の清の時代には、皇帝がチベット仏教の信者でもあり、一方で仏教国ですから基本的に非暴力でたいした軍事力もなく(兵隊よりも坊さんが多い国ですから)、「属国」ではありませんが敬意を表し保護し、国防などは請け負うという関係だったとみなすのが、とりあえずいちばん客観的でしょう。明などの漢民族王朝の時代には、そうした関係はありませんでした。
それが1951年以来は中国のいわば支配下にあり、共産主義は宗教を否定しますから(ダライ・ラマ14世は毛沢東主席と会った際に「宗教は毒だ」と言われたそうです)、当初は中国のなかの自治領を目指したものの次第に関係は悪化し、1959年に大規模な弾圧と抵抗が起こり、ダライ・ラマはインドに亡命し、亡命政権を樹立しています。このラサ動乱の記念日が3月10日で、今年の3月10日に始まった僧侶などのデモが暴動となり、治安部隊が発砲し、正確な数字は未だに発表されていませんが100人以上の死者が出ていると推測されています。
中国のチベット進駐が始まったときに反応を示したのはインド政府だけでしたが、次第に国際的な認知が進んで来ています。いちばん大きかったのは1989年のやはり3月に大規模な抵抗運動と弾圧が起こり、ラサに戒厳令が敷かれたこと、それと前後してダライ・ラマ14世がそれまでの非暴力主義の運動と単に亡命チベット政府の指導者であることを超えて非暴力と寛容と人類愛を説き続けて来ている活動に対し、ノーベル平和賞を授与されたことです。
以来20年近く、チベット問題は世界的な関心を集めていますが、一方で90年代半ば以降の中国の経済発展のなかで、チベット自治区のいわゆる「経済開発」が進み、漢民族の移民も奨励され、チベット自治区内ですらラサなどの都市ではチベット人が少数派になりつつあり、名目上は平等であるものの実際には様々な差別があり、公式には中国語(北京官話)と共に公用語であるチベット語も実生活ではあまり使えなくなって来ていると言われています。またチベットの地下資源が最近注目され、インドとの国境を接している地域であるため核ミサイルなども配備されています。その一方で名目上は信教の自由があるものの寺院には共産党の工作員の配備が義務づけられ、僧侶などもいわゆる政治教育を受けなければなりません。そのなかでは59年に亡命したダライ・ラマは「分離主義者」の「裏切り者」などなどと批判され、指導者であると同時に活仏なので信仰の対象であるのに、写真や肖像を飾れば反逆罪で逮捕されるという状態が数十年続いているわけです。
今起っている一連の騒動は「反中国」というよりは中華人民共和国国内(チベットを含む)の人権状況の劣悪さに対する抗議で、とくにチベットで起った暴動と弾圧についての抗議がメインになっていますが、中国側の頑な姿勢(3月14日に起ったラサの暴動についても、未だに報道官制が敷かれて実態はよく分かりませんし、自国の特殊警察を派遣して聖火を警護させるというのも非常識ですし、なんの根拠も示さないまま3月14日の暴動はダライ・ラマの命令で一部の反乱分子が起こした、と非難を続けています)が、抗議をどんどんエスカレートさせています。元々は人権運動やせいぜいが市長、市議会レベルでの抗議表明であったものも、今では多くの国の政府首脳が開会式のボイコットを検討するほど、それぞれの国での世論が盛り上がって来ています。
当初はヨーロッパの国でも中国との経済関係の重要さを考えれば、あまり非難はできないという立場でしたし、アメリカのブッシュ大統領は未だに出席の意向を変えていません(大統領選挙の候補者はいずれも出席を見合わせるべきだと主張しています)。でもどの国も選挙制度のある民主主義国家ですから、世論の盛り上がり、それも少数民族の弾圧は辞めさせなければならないという正当性のあることであれば、無視はできません。選挙に響きますし、政治家のなかには人権擁護が思想信条の人も少なくありませんから(たとえばパリ市長のドラノエ氏)。
もうひとつ、中国が急速に人気を落としているのは、平和の祭典の盛り上げイヴェントであるはずの聖火リレーを、露骨な国威発揚の場にしていることでしょう。「調和の旅」といいつつ一方で自国内の少数民族を弾圧し発砲までしているだけでも筋が通らない上に、よその国でリレーをやりながら自国の特殊警察に聖火を警護させ、その特殊警察が青いジャージを着て聖火を取り囲むという光景はあまりに異様でとても「平和の祭典」や「調和」を印象づけるものではありません。この自国のアピールのやり方の下品さはちょっと前代未聞でしょう。
この国威発揚の旅は今後リレーが中国国内に戻ると、もっと危険なものになります。エヴェレストを超えてチベットに入りラサを通過するというのはますます抑圧されて不満が溜っているチベット人を刺激しますし、その後のルートは日中戦争と国共内戦の際の毛沢東率いる八路軍の大遠征ルートを踏襲しつつ、チベット以外の少数民族自治区をいちいち通過します。チベット以外の少数民族もさまざまな形で多数派の漢民族に差別されたり地方の共産党支部に抑圧されたりで不満がたまっているときに、これはもうやり過ぎという他はない。
チベットはダライ・ラマ14世の、これはもう「人徳」としか言いようがない魅力と、そのチベット問題を超えた普遍的なメッセージの説得力で大いに人気がありますが、あまり国際社会というか欧米が支持したくない少数民族の抵抗運動には、たとえばいわゆる東トルキスタン独立運動、新きょうウイグル自治区のウイグル人などのイスラム教徒の問題もあります。「欧米」では人気がありませんが、これは中近東問題で極めて勢いのあるイスラミズム運動(極端で危険な運動体ですとアルカイダやタリバン、ヒズボラ)や、やはりイスラム教徒の民族であるロシア内のチェチェン独立運動などに連動する危険もあります。正直、このまま聖火リレーを強行するのは、世界の平和を揺るがす可能性が高い火薬庫に文字通り松明を投げ込むようなものです。