補足:
> 元王朝より明王朝はもっと多い機関を成立し、そして四川から道路を建造しました。だから、元王朝より明王朝はチベットへの管轄が強くなりました。
最初から元王朝、というかモンゴル帝国はいちいち地方の支配機関なんて設立しておりません。少しは歴史を勉強して下さい。モンゴル帝国の版図拡大は、元々そこにあった王朝なり政府なりにモンゴル帝国の一部になることを求めることだけです。
で、明朝はチベットになんの影響力も持ってません。明の軍なり支配統治機構がラサに入ったことなぞ一度もございません。
んでもって、モンゴル帝国は漢民族の王朝でもなく「中華民族」の帝国でもございません。中国を支配するにあたり、漢民族に配慮して「元」という国号を名乗っただけでございます。
ましてあなたのおっしゃるような、現在の中華人民共和国の全少数民族を包括するような「中華民族」なる概念は、中華人民共和国の成立以前には存在すらしておりません。
> 13億ぐらいの人を指導するのはどの国の政府に対して、難しいのことです。
ならばゆるやかな連邦制にでも移行し、少数民族の権利を尊重した方がよっぽど丸く収まるとおもいますけどね。だいたい13億の国民がいてあれだけの広大な領土を中央集権で直接統治するなんてこと自体、無理がありすぎるように見えますが。
> 貴方は色つけのめがねをかけて、中国を見ています。
あなたこそ「中華民族」という幻想の色眼鏡でチベットを見ているだけではないでしょうか? そもそもダライ・ラマとダラムサラ亡命政府の主張すらご存じなく色眼鏡で批判しておいでなのはあなたでしょう? 自分に都合が悪いことを言われたら「色眼鏡だ」なんていうのも、まさに小児的な発想に過ぎません。人という生きものは他者の存在を認識し、その他者から見て自分がどう見えるのかを考えながら自分の行動を決めるのが、当たり前のことです。
> 私はそんなに過激の人ではない、
あたなを「過激な人」とみなすかどうかは、あなたの言動に基づいて僕なりこのページを見た人が判断することです。過激な民族主義を「正しい」と思っている人はご自分が過激な民族主義者であることすら気づいていませんから。なぜそのように単純なことすら判断できないのでしょうか?
ダライ・ラマ14世は繰り返し「独立でなく自治」を求める旨を公言しています。そこから判断するのが当たり前のことであり、その判断は彼の言っていることがまったく筋が通って正当だということです。彼やチベットの人々の大半が「中華民族」ではなく「チベット人」でありたいのなら、その意思をあなたが欲望する「中華民族」に屈服させることはその人々の自由を奪うことであり、まして軍や警察の暴力でそれを強要するなら、それを今の世界では「人権蹂躙」と呼びますし、我々は当然ながらそうした思想を過激で危険なものとみなします。
だいたい我々日本人は60年前の戦争で「愛国心」というものがいかに危険でうさんくさいものであるかを身に染みて分かっています。そんな我々に「国を愛しています」とか言われてもそれだけで「過激」に聞こえますし、あなたが本当に少数民族であるならば思い出すのはベルリン・オリンピックのマラソン表彰式における孫選手の哀しげな顔であり、韓国人の特攻隊員がソウルのラジオのために録音した壮絶な遺言たったりします。あなたの「愛国心」がそういうものではないことを祈りますが、それはともかく、あなたの「愛国心」をチベットの人々が共有できない(で、現にまったくできないからこそ苦しみ怒っているのです)からといって、彼らを苦しめ彼らの幸福の追求を阻止することなんてあなたには許されていません。それは個々人の自由の問題だからです。
で、仏教を強要するかどうかの問題はありますが(ってダライ・ラマはまったく強要しませんが)、仏教という特定の宗教はともかく、非暴力、慈愛、慈悲、生きとし生けるものを愛し尊重するべきである、それは「単に人間にとってそれが自然のことだから。それが人間の本能だから」と言っているダライ・ラマの言葉の方が、あなたの「愛国心」よりもよほど共感を集めるのは、そりゃ当たり前でしょう。
> 貴方の運が悪いが、悪い鳥に遭いました。
それを「悪い」とみなすこと自体が、あなたの色眼鏡以外のなにものでもありません。