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なぜ、プチ「整形」?、茶髪? 最近のファッション
なぜ、一重から二重にすることを、プチ「整形」というのでしょうか? 一重の人のまぶたは「整った形」をしていないとでも言うのでしょうか? また、なぜマスコミはプチ整形に肯定的な報道しか流さないのでしょう? あるニュース番組で「若き日の過ち、タトゥー」とかなんとかのタイトルで、消えないタトゥーに悩む人々を取材しておりましたが、それならば、なぜ、プチ整形をマスコミは推奨するのでしょう? 例えば、これからの時代、「二重=不細工」という図式が出来上がるかもしれない。 そうなった場合、「若き日の過ち、整形で二重にしてしまった女性!」とか言ってマスコミは報道するのだろうか? さらに、少し教師が暴力を振るったり、食べ物の中に虫が入ってたぐらいでぎゃーぎゃー騒ぐ昨今、どうかんがえても、人体にダメージ与えまくりの茶髪はなぜこれほどまでにもてはやされるのでしょう? この質問は他の掲示板でも昔しまいたが、そのときは、「ファッションは時代により様々」とか、まぁ、そんな感じのものばかりでした。 私が不思議に思うのは、「あっしは、欧米人、特に白色人種にコンプレックス抱いとる、哀れなイエロー・モンキーやさかい、茶髪にしてまんねん」、というような回答を誰一人としてしないことである。 なぜ、正直に答えようとしないのだろう? こんなことでは、反日といいながら自室の本棚にはドラゴンボール、スラムダンクを並べる中国人といいレベルではないか?
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- tooma37
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>軽症な整形とは例えばどういったものでしょうか? 軽症ではなく軽微と申し上げました。小額であったり施術が短期間であったり手術の結果微小な結果しかもたらさない整形手術全般の事を指し、一重まぶたを二重にする事がそれに含まれることには何の疑問も感じません。 質問者様はどのような疑問を感じるのでしょうか? >一重を二重に「整形」する際、「整形」に含まれるニュアンスはどう言った「ニュアンス」なのでしょうか? 整形手術というのは一般的には顔の姿形をかえる手術全般を言います。ですのでまぶたの手術でも“整った形”云々は無関係です。 >それは何故でしょうか? プチ整形によって心理的・社会的な負担を負ったというケースはタトゥーと比べて極小だからです。 質問者様は同一線上に語るのは自然とお考えでしょうか?もしそうだとすれば、それは何故でしょうか? >なぜ、茶髪だけその害を見逃されているのかが疑問なのです(後、プチ整形も)。 サプリメントの誇大広告やトンでもダイエットや満員電車によるストレスや国産農産物の危険性等、茶髪などより余程危険でありながら真剣な議論がなされていないものはいくらでもあります。(後、プチ整形の人体への害とはなんですか?) >だから、「茶髪が、なぜ定着してのだろう?」と疑問に思う人が余りに少ないのが私の疑問なのです。 多くの人はどうでもいい事と考えているからです。 >白色人種へのコンプレックス以外に考えられない。 いろいろ考えられます。ご自身の想像力と論理性と常識を疑った方がいいかもしれません。 >茶髪が日本人に定着してしまった価値観だというのならこれほど悲しく、空しいことはない。 私にはもっと悲しいことも、虚しいこともあります。悩みの少ない人生を過ごしてらっしゃっているようで羨ましいです。 >戦後すぐ入ってきた欧米文化に感化されてしまうのは、まぁ、仕方のないことです。 私も洋服着ていますし。 何故それは仕方がないのでしょう?単純に機能性などから考えても夏などに和服を採用する余地は大いにあります。何故茶髪の若者は欧米人コンプレックスを持っていて質問者様は持っていないことになるのでしょうか? >日本独自のなんらかの文化であれば。 Tシャツ、ジーンズ、スニーカー、スーツ全て、外国由来の製品です。 >緑髪でも紫髪なく、茶髪、金髪が流行るのはどうしたことか。 緑も紫もマッチするファッションが非常に限定されます。社会的にも全く認知されておらず社会活動に大きな制約を負います。 >明らかに欧米人へのコンプレックスなのに誰も、正直にそう答えないのはどうしたことか? 明らかであるというのは質問者様の個人的な意見だからです。明言できるのはせいぜい“流行の形成過程で欧米人やそのファッションへの憧憬(質問者様の言うところのコンプレックス)が原因の一つであっただろう事は否めない”程度でしょう。 >反日といいながら自室の本棚にはドラゴンボール、スラムダンクを並べる中国人といいレベルではないか? まず全中国人が反日な訳ではありません。また日本の漫画が好きで日本政府が嫌いと言う人は当然いるでしょうし何の問題も無いです。むしろ“坊主憎けりゃ袈裟まで憎い”的な人間のほうが余程コミュニケーションが取り難いです。
- tooma37
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>一重から二重にすることを、プチ「整形」というのでしょうか? それ以外の軽微な整形も呼称します。 >一重の人のまぶたは「整った形」をしていないとでも言うのでしょうか? 現代語では漢字とニュアンスに違いがある場合が多々あります。 >なぜマスコミはプチ整形に肯定的な報道しか流さないのでしょう? 否定的なスポンサーというのは余りいませんし、否定的な報道をすると番組を見てくれる視聴者もあまりいないと言うことでしょう。 >プチ整形をマスコミは推奨するのでしょう? タトゥーとプチ整形を同一線上で語るのは強引な事なのかもしれません。 >「若き日の過ち、整形で二重にしてしまった女性!」とか言ってマスコミは報道するのだろうか? するかもしれませんね。 >どうかんがえても、人体にダメージ与えまくりの茶髪はなぜこれほどまでにもてはやされるのでしょう? 思考範囲の狭い人間が“どう考えても”豊富な可能性や選択肢が出てこないかもしれない、という事は留意しておくべきでしょう。それと茶髪が“人体にダメージ与えまくり”と表現されるほど極端に有害であるというのは余り普遍的な知識・考え方ではありません。 それと持て囃されてるというよりは一般的に普及しているといった方が適切ですね。別に茶髪になれば人気者になれるとか黒髪だと迫害を受けるって訳でもないですし。 >あっしは、欧米人、特に白色人種にコンプレックス抱いとる、哀れなイエロー・モンキーやさかい、茶髪にしてまんねん 先ほども申し上げたように、茶髪は既に日本人のファッション文化の中に定着してしまっています。明確な欧米人への憧れから染める人はもう殆ど絶滅種です。 ちなみに質問者様の価値観に照らし合わせるとやはり和服に日本髷といったファッションでなければ欧米人にコンプレックスを抱いているという事になるのでしょうか? >なぜ、正直に答えようとしないのだろう? もう少し素直に人の話を聞いたほうがいいかも知れません。
補足
>「それ以外の軽微な整形も呼称します」。 軽症な整形とは例えばどういったものでしょうか? そのなかに一重も含まれる事には疑問を感じないのでしょうか? >「現代語では漢字とニュアンスに違いがある場合が多々あります」。 一重を二重に「整形」する際、「整形」に含まれるニュアンスはどう言った「ニュアンス」なのでしょうか? >「タトゥーとプチ整形を同一線上で語るのは強引な事なのかもしれません」。 それは何故でしょうか? >「それと茶髪が“人体にダメージ与えまくり”と表現されるほど極端に有害であるというのは余り普遍的な知識・考え方ではありません」。 それは、私もそう思います。 しかしし、昨今の異常ともいえる健康ブームに照らし合わせるに付け、なぜ、茶髪だけその害を見逃されているのかが疑問なのです(後、プチ整形も)。 >「先ほども申し上げたように、茶髪は既に日本人のファッション文化の中に定着してしまっています。明確な欧米人への憧れから染める人はもう殆ど絶滅種です」。 だから、「茶髪が、なぜ定着してのだろう?」と疑問に思う人が余りに少ないのが私の疑問なのです。 なぜ、茶髪なのか?、と考えていくと、白色人種へのコンプレックス以外に考えられない。 茶髪が日本人に定着してしまった価値観だというのならこれほど悲しく、空しいことはない。 例えば、戦後すぐ入ってきた欧米文化に感化されてしまうのは、まぁ、仕方のないことです。 私も洋服着ていますし。 しかし、茶髪が流行りだしたのは平成になってからである。 情けなくないのだろうか? >「ちなみに質問者様の価値観に照らし合わせるとやはり和服に日本髷といったファッションでなければ欧米人にコンプレックスを抱いているという事になるのでしょうか?」 別に和服でなくても黒髪でなくてもいいです。 日本独自のなんらかの文化であれば。 しかし、緑髪でも紫髪なく、茶髪、金髪が流行るのはどうしたことか。 明らかに欧米人へのコンプレックスなのに誰も、正直にそう答えないのはどうしたことか? こんなことでは、反日といいながら自室の本棚にはドラゴンボール、スラムダンクを並べる中国人といいレベルではないか? と、いうのが私の疑問です。
- snail00
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>>なぜ、一重から二重にすることを、プチ「整形」というのでしょうか? ・プチ整形は二重化だけでなく簡単にできる整形のことだったと思います。 >>一重の人のまぶたは「整った形」をしていないとでも言うのでしょうか? ・二重から一重にする場合も整形だから「整った形」をしていないとは言ってないでしょう。 >>なぜマスコミはプチ整形に肯定的な報道しか流さないのでしょう? ・マスコミがプチ整形に肯定的な報道を流すのはスポンサーが美容整形やエステなどの場合じゃないですかね。 >>例えば、これからの時代、「二重=不細工」という図式が出来上がるかもしれない。 そうなった場合、「若き日の過ち、整形で二重にしてしまった女性!」とか言ってマスコミは報道するのだろうか? ・おそらく昔推奨していたのを無責任にも無かった事にして報道すると思います。 >>少し教師が暴力を振るったり、食べ物の中に虫が入ってたぐらいでぎゃーぎゃー騒ぐ昨今、どうかんがえても、人体にダメージ与えまくりの茶髪はなぜこれほどまでにもてはやされるのでしょう? ・茶髪でのダメージが実感しにくいからだと思います。似たようなものでタバコの害が言われていても実感がないからやめれない喫煙者が多いのと同じなのだと思います。 >>私が不思議に思うのは、「あっしは、欧米人、特に白色人種にコンプレックス抱いとる、哀れなイエロー・モンキーやさかい、茶髪にしてまんねん」、というような回答を誰一人としてしないことである。 なぜ、正直に答えようとしないのだろう? ・実際に思ってないからでしょう。茶髪が出た当時は白人等を意識していたかもしれないが現在では単なる遊び間隔じゃないですかね。
補足
確かにプチ整形は簡単に出来る整形のことですが、そんな事ではなく、私が言いたいことは、なぜ、一重から二重にすることが「整形」なのだと言う事です。 確かに二重から一重にすることも「整形」と言うのかも知れません。 しかし、ですね……、 ▼スポンサーリンク - 詳細 ・二重まぶたが自力で作れる - たった1日15分実践するだけで 二重まぶたに。限定価格で紹介。 ・二重整形なら品川美容外科 - 先端技術の二重術でパッチリ二重。 美容外科医がコンプレックスを解消。 ・大塚美容形成外科・歯科 - TV・ビューティーコロシアムで話題の 美容整形。オンライン無料相談受付中 ……私がこの質問をするとスポンサーとしてこのような美容整形のスポンサーが付きました。 これが日本の現状ですよ。 あなたの言う様に二重から一重にするのが「整形」だというのなら、逆に、一重から二重にするのは「醜形」になると思うのだが、どうか? 整形とは醜い形を整える行為じゃないの? >>「おそらく昔推奨していたのを無責任にも無かった事にして報道すると思います」。 そうですか。だとすれば、現代日本人はそんな無責任なマスコミに踊らされすぎだと感じるのは私だけでしょうか? プチ整形にしても茶髪にしても。 結局大衆はマスコミに踊らされる豚と言う事か。 >>「実際に思ってないからでしょう。茶髪が出た当時は白人等を意識していたかもしれないが現在では単なる遊び間隔じゃないですかね」。 そうですか。 と、いうことは現代日本人は意識するまでもなく白色人種にコンプレックスを持つほどに、欧米文化に根深いコンプレックスを持ってしまっている、という事ですか。
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補足
>「整形手術というのは一般的には顔の姿形をかえる手術全般を言います。ですのでまぶたの手術でも“整った形”云々は無関係です」 それでは、なぜ、高い金払って、わざわざ“整った形”でもない二重にする整形が流行るのでしょうか? >「プチ整形によって心理的・社会的な負担を負ったというケースはタトゥーと比べて極小だからです」。 これは、前にも書いたとおり、「今の時代」だから、社会的負担が少ないのかもしれない。 前にも書きましたとおり、二重=不細工の時代が到来したとしても、整形ではなく生まれたままの姿が二重ならば、ある程度自分を納得させることができる。なぜならば、整形していなければ、「神様からもらった体」、「運命」など、「天」を味方につけることが出来るからです。 変わって、後から自分の意思で整形してしまった場合、その身体は「天」のものではなく自分の「意思」が加わった人工的なものです。 なので、整形で二重にしてしまい、二重=不細工の時代が到来した場合、「運命」を味方に自分を納得させることも出来ず、ひたすら自分を責め続けるか、医者を攻めるか、メディアを攻めるか、とにかく、憎悪をしか生まれない。 >「多くの人はどうでもいい事と考えているからです」。 ではなぜ、少し教師が暴力を振るったり、食べ物の中に虫が入ってたぐらいでぎゃーぎゃー騒ぐ昨今、茶髪に関しては多くの人は、どうでもいいと考えるのでしょうか? みんな見事に洗脳されたからでしょうか? >「何故それは仕方がないのでしょう?単純に機能性などから考えても夏などに和服を採用する余地は大いにあります。何故茶髪の若者は欧米人コンプレックスを持っていて質問者様は持っていないことになるのでしょうか?」 戦後、指針とする価値観を見失った日本が欧米にその価値観を見出すのはある程度仕方のないこと。 その流れから私は洋服など生まれたときすでにあった文化を享受してもなんらおかしくない。 しかし、茶髪なんかは平成になってからのこと。 しかも、よくよく考えてみると、欧米コンプレックス抜きに考えても、これほど意味もなく、無駄なこともない。 さらに、付け加えるならば、私はある程度欧米に対してコンプレックスは持っている。それはいろんなことに対して。それは、認める。 しかし、茶髪にしている人たちの多くは、それさえも認めようとはしないのはなぜか? >「緑も紫もマッチするファッションが非常に限定されます。社会的にも全く認知されておらず社会活動に大きな制約を負います」。 それは、緑、紫を認めない土壌を日本が作り上げたからでしょう? 一昔前は、茶髪=不良だったんですよ? >「まず全中国人が反日な訳ではありません。また日本の漫画が好きで日本政府が嫌いと言う人は当然いるでしょうし」 それでは、それら以外の反日の中国人と同レベルだと言っておきます。