- ベストアンサー
なぜこんなに『残業』という話だけで盛り上がるのでしょうか?
日本という国は、なぜこんなに『残業』という言葉だけで盛り上がるのでしょうか? 残業に対して "残業してくれ" "したくない" "やって当たり前" "絶対にしたくない" "サービス残業はいやだ" 日中もっと真剣にがんばって仕事して家に帰ればいいだけなのに・・・ 他の国ではそのなに遅くまで会社というところに残っていませんよ。 私は、仕事が『好き』なので遅くまで会社に居ます。 近々独立する予定ですが・・・
- みんなの回答 (2)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
それは、働くことに関して自立していない人が多いからではないでしょうか。 自分の人生にとって、何を優先させるか決めていない人が多いからではないでしょうか。 例えば、REDkeyさんのように、純粋に仕事が好きだからといえる人は、仕事に プライオリティを置いているわけで、残業と収入がリンクしていなくても、 自己の人生にとって仕事が優位なので何の問題もないわけです。 もしも家族がおられて、家族もそこに理解を示していればなおのこと問題はない。 ですが、日本人の多くは中途半端なのです。 残業はあまりしたくない、けどまわりの目もある、残業代もそこそこ欲しい、家族とも軋轢がある、等々 おおかたの人は普段抑圧されていると感じているからこそそれぞれの目線で 発言が集中する、ということだと思います。 首相がこけても国は簡単に滅びない 社長がこけても会社は簡単につぶれない まして、自分が残業しなくても会社がつぶれるわけがない 仕事と趣味のバランスを考えた場合、残業はここまで そう明確に割り切れて、自分の人生はこうしたい、と目標が定まっていれば 残業の話題の多くはもっと静かになるように常々思っています
その他の回答 (1)
- bouhan_kun
- ベストアンサー率19% (1032/5208)
対立の根底は、したい人としたくない人。これ、つまり、他動的か受動的かということでしょう。やりたければやればいいし、むしろやりたい、納期などやらなければならない使命感もあるでしょう。文句いう人は、そういった主体的な対処をしてないから、やりたくないけどやれっていわれた、やりたくないから、その法的なものを含めた拒絶法を模索したり、賛同を集めて群れたがる。 労使という概念で考えれば、これは日本の流れとして、内容より姿勢や態度を評価するという、西洋的合理主義と逆の思考が蔓延してるからでしょう。それがさらに形骸化し、とにかく遅くまでやってるように見えれば、評価になるという、全くナンセンスな思考が労使ともはびこってしまったと。 西洋が・・・というのは、結局風潮というか、オンオフがはっきりすることを好むということでしょう。あちらでも、遅くまでやってる人はやってますし。ただし、主体的に。
お礼
周囲にロボットが多いですね 『主体的』 というのが元々ない国なんでしょうか やっぱ異常でしょう? 大きな村社会でしょうか?
お礼
大変すばらしいご発言だと思います。 そういった本当の意味ある言動を 学校、会社、クラブなどでリーダーなり発言力ある方が 成果を出して悩ましい方々を先導して欲しいものですが・・・ 一番大事なことは、sirocopさんのおっしゃる通り 『自立』することに向けて生活を組み立てていないのだと 思います。 会社へ行って立派に仕事をして、給料を貰っていればもっと 自分に自身を持っていいと思うのですが。