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専門について

おはようございます 民間の社会人の方にお聞きしたいのですが 皆様はお仕事をするに当たってご自分の専門と言うものを お持ちだと思うのですが 社会に出たら専門は狭い方が良いのでしょうか? 私はほとんどの事が出来ませんので、専門の中で優秀になりたいと 思っているのですがこれで良いのでしょうか? あと、大学時代に学んでいる学問は社会に出たら ほとんど忘れると聞いたのですが本当なのでしょうか?

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  • isoworld
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回答No.3

 経営コンサルタントです。30年間大手企業に勤めたあと、この仕事を8年やっています。その経験を踏まえて言えば、自分の専門性は「狭い方が良い」というのではなく、専門性を誰にも負けないくらいに深める(高める)ことが必要です。その結果として専門性が狭くなってしまうことはありえます(広いのに越したことはありませんが)。  「専門の中で優秀になりたい」というのは、非常に結構な考えです。これだけ人がたくさんいると、どんなに頑張っても自分より上のベテランが何人もいます。そういう人たちと張り合えるようにならないと、その人たちに仕事を取られ、安い給料で働かなければならないことになります。  自分より専門性が深い(高い)人は、周囲にはまずいない状態に自分を高めることは、ビジネスで成功するのに不可欠です(それが出来て私は会社を脱サラして自分で事業をやってこれました)。  もうひとつ大事なことは、異なる2つの分野で専門性を確保できるように努力することです。たとえば英語(第一の専門性)は通訳できるほどのベテランだが、医師免許(第二の専門性)ももっているとか、マイクロエレクトロニクスに知識も経験も実績も深い、などということです。こうなれば引く手あまたで、どこに行っても仕事があり、将来困ることがありません。私自身も専門分野を幾つか持っています。(そうなるのには時間がかかります。)  英語だけのベテランは無数にいますが、2つの分野をカバーできる人となれば数が極めて限られ、重宝されます。専門性が狭くなっても一向に差し支えありません。  「大学時代に学んでいる学問は社会に出たらほとんど忘れると聞いたのですが本当なのでしょうか」ですが、私の場合(電気電子工学)はいろいろな場面でその基礎知識が役に立っています。仕事の関係で紐解く機会が何回もあるからです。

kagami333
質問者

お礼

回答有難うございました

その他の回答 (2)

  • lv4u
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回答No.2

>>私はほとんどの事が出来ませんので、専門の中で優秀になりたいと 思っているのですがこれで良いのでしょうか? 人によっていろいろな考え方があるようです。たとえば、大学も語学系の専攻で、努力して、英会話がものすごくできるようになった方と、その方のライバルではあったが、いつも負けていた。でも、人脈と経営情報や世間のことも勉強していたので、しばらくしたら、後者のほうは経営層になっていたけど、前者の方は、後者の方の会社で海外部門の通訳担当として便利に使われていた、ってこともありえますよね。 でも、雇われ経営者のばあい、経営不振になれば、簡単に交代させられるけど、通訳担当で、「あの人がいなければ契約がまとまらない」って現場から信頼あれば、職を失う可能性は低そうですし、同業者への転職も容易でしょう。 私もいろいろ考えていますが、結局は、「自分がどうなりたいか」だと思います。出世していけば、いろんな気苦労が増えるでしょう。専門担当なら、仕事が終われば、あとは自分の時間って気楽に趣味に没頭でしょうけど、経営層に近づくにつれて、「24時間戦えますか?」状態でしょう。でも、多くの部下の生活を担っているとか、満足感も大きいかもしれません。資金繰りで苦しむ中小企業なら、そんな余裕なく、気を抜く時間なんてゼロかもしれません。 たとえば、年収が680万程度、平均以下のSEだけど、月に20~30時間程度の残業で、現場や顧客から「技術に強く、信頼できる」って思われて満足ってのもありでしょうし、「そんな貧乏人生じゃあ嫌だ!」って方もあるでしょう。 もしくは、「会社の経済活動なんて、しょせんは生きていくための方便でしかない。それよりも人々の心の糧になる創造的なものを生み出すことに価値がある」って、生活保護すれすれで生きながらも、マンガとか小説、絵画などの芸術分野に生きる、あるいは「苦しむ人々の心を救うことが私の今回の人生の使命」って悟って、宗教に身を投じるのもありだと思います。 それだから、多くの人がこの世に生きているのだと思います。

kagami333
質問者

お礼

回答ありがとうございました

  • harepanda
  • ベストアンサー率30% (760/2474)
回答No.1

外資系通信事業者に勤める者です。 現在の仕事上の専門は、マーケティング部での国際データネットワークに関する販売促進活動、場合によっては、日本市場向けの特別規格サービスの開発です。 私が通信の道に入ったのは、単なる偶然の結果です。就職氷河期に、私を拾ってくれた会社が、日系通信事業者だったのです。 業界や職種にもよると思うのですが、私の環境では狭い専門性だけでは対応不可能です。理由は、(1)ハイテク産業につき、新技術が次々と生まれ、勉強を継続しなくてはならないこと、(2)マーケティングという職種上、技術者ではないので、技術的な基礎知識に加えて、説得力のあるプレゼンが出来なければならないこと、(3)会社の方向性を自信を持って営業に語り、市場分析のためには新聞を読み他社状況を調べるだけでは不十分で常に自社の戦略というものを考えていなくてはならないこと、(4)ジェネラリスト(専門家というより、広く物事を見る人間)としての能力が必要なこと、などが挙げられます。 最後のジェネラリストとしての能力とは、例えば、サブプライムローン問題が発生したとたん、すばやく投資ファンドが主用株主になっている通信事業者の情報確認に動くといったアクションが挙げられます。(具体的には、KVHテレコムとウィルコムでは、外資系投資ファンドが最大手株主です)通信ばかりではなく、昨今ではどこの分野でも同じような状況だと思いますが、本業だけを売っていても価格競争が激しく儲からないという業界は多数、存在すると思います。この状況で成功するには、他社が思いもよらない新発想のサービスを打ち出すとか、あえて市場の常識に反するようなサービスに思いっきりハッタリを効かせて発表するとか、お客様の悩み事をお客様に代わって解決していくことができるように営業をトレーニングするとか、とにかくあらゆる方向からの可能性を考える態度が必要とされます。 専門性の高い仕事をしたいという希望自体は、悪いことではありません。ただ、業界によっては、就職後も継続して専門の勉強を続けることが必要です。 大学時代の学問は法哲学、法理論史です。私はもう34歳ですが、ほとんど覚えています。さすがに、かつてのように「なんという本の第何章第何節には、これこれのことがかいてあるが、同じ作者であっても、●●年先に発表された本の第何章や、▲▲年に授業を行った際の講義録メモの第何章第何節相当の箇所とは矛盾点があり、この矛盾点は■■年の第何章第何節相当の箇所で微妙に修正されている」といった知識を、年度と章立ての数値を含めて正確に暗記しているわけではありません。しかし、物事の概念や、その人物が1814年から1831年にむけて、どのように主義主張や文面を変えていったのかという根幹的な部分は、現在でも、ほぼ完璧に覚えています。 このあたりは人によって違いがあるでしょうが、私のように一度、概念的に把握したものは簡単には忘れないタイプであれば、いつまでもしつこく覚えているどころか、大学の時の専門に加えて、継続的な読書を通じ、専門の周辺分野への理解が深まっています。たとえば、法制史的にはヨーロッパの法は英国法と大陸法で大きく理念が異なるのですが、英国法の系譜に入る米国企業で働きつつ、大陸法の系譜に入る日本の状況にあわせた活動を行うといった際に、法学についての専門の周辺領域での知識は非常に有用なものであり、大学の時の学問というバックボーンがあるからこそ、私が契約書の文面のチェックや行政当局との打ち合わせなどを、高いレベルでこなすことが可能になっているのです。

kagami333
質問者

お礼

回答有難うございました

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