• ベストアンサー

平城遷都1300年祭」のマスコットキャラクターのデザイン批判

「平城遷都1300年祭」のマスコットキャラクターのデザインを批判している人が多いとネットで報道されているようです。 私はデザインというのは芸術がわからない人に批判できるものじゃないと思うのです。ビカソだって私にはぜんぜんわからないけど何億もの値段がつく。子供でも描けそうだけど分かる人が見れば描けないとわかる。何かネットって多数決主義万歳みたいなところがあって、みんながいいというものがいい、見たいなところがあります。こんなことしていたら芸術家が死滅して、キーボードを叩ける人だけが増える世の中になるような気がして心配です。皆さんはどう思いますか。

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
回答No.7

基本的にはあなたと同意見です。 そもそもこれはデザインがどうこうと言う問題ではありません。 あくまでマスコットは引き立て役にすぎません。メインになってはいけない存在です。 愛・地球博(愛知万博)にモリゾーとキッコロというキャラクターがいました。 実際に見に行かれた方はキャラクターよりも中身のイベントに魅了されたはずです。 プロ野球やサッカーは各チームにマスコットがいます。しかし大半が選手のプレーを見に球場へ足を運ぶのは紛れもない事実。 選手のサインかキャラクターグッズ、どちらかがもらえるとしたらほとんどの人達がサインを選ぶでしょう。 試合で選手より目立つことなどありません。どうやっても無理なんです。 「ひこにゃん」というのと比べてる方がいますが結局どういうイベントだったのかは分からず仕舞い。 キャラクターは知ってても中身がどんなで何が良かったかなどを答えられる人はごくわずかだと思います。 今回のメインは「平城遷都1300年祭」でありディズニーランドのようにキャラクターが存在しなかったなかった物ではありません。 可愛い、可愛くないという議論が起こるならば今後はマスコットキャラクターは国旗のように色の配列だけ、 何かの形(人、動物)を作ってはいけない。もしくはマスコットそのものを禁止。こういう法律を作るべきです。 今の日本人には欠けているものが山ほどありすぎます。

その他の回答 (6)

noname#58692
noname#58692
回答No.6

あわれな奈良県民です。 あのキャラのデザイン料に500万円、 コンペのデザイン料にデザイナー10人に500万円が支出されているそうです。 もし、本当にコンペを実施したなら、そのデザインとやらを 公開してほしいところです。ホントにコンペやったの? 出来レースじゃないの? あの奇抜なキャラが適か不適かという問題もさることながら、 税金がまったく納得のいく使われ方をしていないという方が 問題なんだと思いますよ。ひこにゃんなら誰も文句いわないもの。 奈良県知事が予算がないから私財を投げ打って、 デザインを募集したのなら文句はいわな・・・・ やっぱ言うわ。それだけあのキャラはきもい。 あれを全員一致で選んだ選考委員の名前も公表してほしいな。 あれをそのまま通すセンスのなさ。。奈良県民の恥です。 >私はデザインというのは芸術がわからない人に批判できるものじゃないと思うのです。 納税者には批判する権利があります。県の予算で県を代表するキャラ なんだから。 例え税金を払ってなくても県民なら批判する権利はあるな。。

回答No.5

芸術作品をマスコットにするのは「アリ」 ・「ビリケン人形」や「ムンクの叫び」のソフビ人形、「考える人」のストラップ等芸術作品の中でも親しみやすいキャラクターは自ずとマスコットにしても人気が出ます。 鹿仏(まだ名前がないので)キャラは親しまれていますか?これだけの批判を受けて親しまれているとは感じません。(私も気持ちが悪いと思います) http://www.1300.jp/080212mascot/mascottirashi.pdf には愛嬌のある童子とありますが、愛嬌を感じられていたら批判の的にはなっていないはずです。 既に書かれていますが、マスコットとは親しみやすい物を設定すべきであって、奇抜な物や異様な物を据えるべきではないと思います。 人々に親しまれることでマスコットはその責任を全う出来るのであり、異様な雰囲気で注目を浴びるべき物ではないと思います。 個人的には「売れる物」と「愛される公式マスコット」の違いはさほど大きい物ではないように思います。 普通これだけ評判が悪いと、まともな手段では商業的に売り物になりません。 「キモキャラ」で売り出すならOKでしょうが「イベント公式マスコット」としてはいくらなんでも・・・ 愛知博のモリコロ(一見緑のムックだけど)や筑波科学博のコスモ星丸(一見インベーダーだけど)の様に「鹿仏」のプリントされたシャツを着て歩いてみたいと思う子供がどれだけ居るでしょうか? 後世で評価されても現世では評価されないものは芸術であってもマスコットとしては機能しないと思います。

  • stratos
  • ベストアンサー率14% (15/103)
回答No.4

わたしも、他の方同様デザインと芸術を同列で語ることには疑問が有りますが・・・。 この件もそうだと思うんですが、本来大して興味を持つ人も居ないような瑣末な記事が「痛いニュース」とかで取り上げられることで、ふざけ半分のバッシングが盛り上がる・・・というパターンには、正直ウンザリしています。 マスコットキャラということを考えれば、本当に不快に感じている人(特に地元の人)は、当然批判してもよいと思います。 でも、とりあえず批判したいだけの「姑の嫁いびり」みたいな下品な批判が多すぎです。

  • 1112
  • ベストアンサー率22% (716/3114)
回答No.3

例えば、ディズニーランドのキャラが「平城遷都マスコットキャラクター」だったらならおそらく誰も入らないでしょうね それはさておき 個人的には少し怖い印象があるマスコットだと思いますが、奈良県を代表する「鹿」と「大仏」を合わせたような物ですがせめて別々にしたら 可愛いマスコットだったと思いますが・・・

noname#116065
noname#116065
回答No.2

芸術とマスコットを混同してはいけない。 マスコットキャラクターは宣伝用に使われるシンボルみたいなもの。 奈良県民以外が強くどうこうと議論する事には異論はあるけど、少なくともあのマスコットキャラが県民だけじゃなくて、他府県に住んでいる人をその祭りに来てもらう宣伝に使うキャラクターとしては難があるといえなくも無い。 「ひこにゃん」のような商業キャラに近いデザインのマスコットに比べたら注目度はあっても集客には繋がらない。 別に奈良県民じゃないから「平城遷都1300年祭」のキャラクターがあれでも別にかまわないし実際どうでもいい。 利権やらなんやらが絡んでいる「平城遷都1300年祭」なので、いっその事あのキャラクターで心中してくれた方が腹抱えて笑える。

回答No.1

マスコットキャラクターなんですから、芸術作品と同列に考えてはいけないでしょう。 万人に愛されるもので無ければ、マスコットキャラクターの意味が無いと思いますよ。 一般人に理解されないマスコットキャラクターは、その存在意義が怪しいと考えますがいかがですか?