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過保護な両親

 大学生で一人暮らしをしている者です。僕の両親、母方の祖父母は僕や妹が小さな頃からかなりの過保護・過干渉でした。20になってから、少しましになったというところです。  例を挙げると、家の前の公園で近所の友達と遊んでいて、僕も木に登ろうとすると、よく窓から祖母が監視していて、「こら!そんなことしたら落ちたら危ないでしょ!早く帰りなさい!」などとよく注意されました。門限は特に決まっていなかったのですが5時ごろになると心配だったようで少し帰りが遅くなると祖母が出歩いて捜索していたこともありました。それから、どこかへ遊びに行くときは「何しに行くの?」「誰と遊ぶの?」「その子はどこに住んでいてどんな子なの?」「どこで知り合ったの?」「いつどこで遊ぶ約束をしたの?」と毎回聞かれていました。僕も反抗したかったのですが「今歯向かったらあとで怒られるし傷つけたくない」と我慢していたんです。それは今になっても同じで、実家に帰省して友達と遊ぶときも祖父母や母に「誰と遊ぶの?どこの子?」と聞かれ、場の雰囲気を壊したくないのでだいたいは答えてし まうのですが、前に妹が同じようなことを母親に聞かれていて腹が立って「〇〇(妹)が誰と遊んだっていいじゃないか!」と言うと、「誰も尋問してるわけじゃないでしょ!」と逆に怒られてしまいました。中学2年の秋ごろ、休みの日は父親の実家で生活していて、母親の実家のほうに友達がいたので遊ぶときは父親の車で祖父母の家まで送ってもらっていて、車に乗ろうとすると母親が駆けつけてきて、「あんた、今大事な時期って分かってるの?高校受験があるんだから遊んでる場合じゃないでしょ?早く帰って来るんだよ」と半泣きになりながら怒られ、せっかくの楽しい気分が壊された記憶があります。また、中学の頃はとりのこ用紙という大きな紙を持ってきて「これに毎日の勉強の計画と、何を勉強したかを記録していきなさい」と母親に言われ、反抗せずにストレスをためつつやった記憶もあります。友人に愚痴ると、「もういい歳なんだから反抗しろよ」と言われたのですが、もちろん僕も反抗したかったのですが反抗すると親を傷つけてしまうという気持があって出来なかったのです。なので、今頃になって反抗期が来ています。例えば、成人式の日、「自分の車で行くと酒飲んだ友達に利用されるんだから、車は置きなさい、私が送り迎えするから」と言われたのですが「酒は飲まないし自分の車で行く!ほっといてくれ」と少しだけ反抗しました。で、夜遅くなりそうだったので「ちょっと遅くなるから裏口開けといて」と電話すると「別にいいけど、遅い時間だって言うのは把握しておきなさいよ」と怒られ、後から聞くと10時ごろに父親が飲酒運転を危惧してか僕に連絡をしようとしていたらしいです。  あとは、生活費が少し足りなくなったので連絡して、「声の調子が悪いけど風邪引いたの?」「うん、でも大したこと無いから」「何か食料とか薬とか持っていこうか?」とわざわざ車で来ようとすることがあり、叔父が帰省してみんなで食事などをしていると母親は叔父(母親の弟)に「この子ったら自分の部屋に来させようとしないのよ」と毎日愚痴るんです。また、この前雪が降ったときも電話が来て、「雪降ってるから、車の運転には十分気をつけるのよ」とわざわざ・・・。あとは高校の頃、父親が勝手に僕の部屋に入りケータイを覗いていたこともありました。もちろん、祖父母も両親にも感謝しています。ここまで育ててくれて、大学にも行かせてもらえて、たまに精神的にしんどいときは相談に乗ってくれたり、まだまだ親のすねをかじっています。でも、このまま僕が社会人になってもこんな状況だったら、と怖いのです。「なぜこんなに過干渉で過保護なんだ」と。たまに「運動神経が悪いのは公園で遊ぶときに祖父母にいろいろ制限されていたからだ」とか「判断力がたまにないのは過保護のせいだ」などと自分勝手なことも思ってしまうんです。もちろんこんなことは間違っているんだろうとは思うのですが・・・。どうすればいいのでしょうか?

みんなの回答

  • kobouz
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回答No.5

やはり早く経済的に自立することだと思います。また大学でももっといろいろな人たちと一緒に活動してみて、親との接点を最少限度にしていくのもどうでしょうか。 私も似たような高校・大学生活でした。親は昔から私を「引っ込み思案」、「友達が少ないから」などと言っていろいろ運動や課外活動に参加させようとしましたが、結局これは親の目からみた「標準的な良い子」になれないのが可笑しいと断定されているだけで、本を読むのが好きで、同年齢の子供よりも空想しがちな子供だった私自身の心的世界に、親は全く無頓着でした。 また、実際には、つきあう友達やその回りの人々や他の親御さんについても、いちいち「品評」するのが、うちの親、特に母親の日常でした。日常行動、特に門限や行き先への干渉もうるさく、大学時代のコンパで飲んだくれて友人宅に泊り込みなどということもありませんでしたし、ゼミ旅行でさえ、親には大騒ぎされるという始末でした。自分のヒステリーを棚に上げて、意の通りにならない私に雑言を吐いたり、手を上げたりということも、高校生くらいまではよくありましたね。 こうされれば、子供としては面倒ですから、適当に親にうるさくいわれない程度にしておくか、親の干渉の裏側で黙って不服従運動をするのがいつものことになりました。しかし、これは今になって思えば根本的解決にはなりませんでした。私自身、逃避する方向に行ってしまい、何が問題かを真剣に気が付いていませんでしたし、病弱であったことや、経済的依存の状態から抜け出られないことから、結局30代後半まで親にパラサイトしていることに対する反対行動に強くでることは全くなかったのです。 現在、親とは断絶状態です。30代後半でようやく結婚して、つれあいに対してまで、私へと同じように干渉する両親とそれに追随する妹(現在40代独身でこれもパラサイト状態です)と決別しました。経済的にも完全に独立する形になり、別の土地に住み始めてから、ようやく精神的に楽になりましたし、健康になってきました。しかし、結婚した家内にはそれまでの数年とても辛い思いをさせてしまったと思います。一方、同じころから社会的にもいろいろな人々と交流するようになり、世の中の人々の多様な考え方や行き方に出会えるようになりました。私の両親に言わせるといろいろと批判の対象になるような人々も多いのですが、そんなことも、もうどうでも良いこととなりました。 ある意味、私自身が自分で経済的に自立する、自分で自分の体を健康にする、そういう単純なことに自覚を持つことが非常に遅すぎたかもしれません。普通だとこのあたりが10代の反抗期あたりで出るのでしょうが、それが30代後半まで行ってしまったのが、40代となった今、より深刻な親や妹との関係の亀裂を生んでいるのかもしれません。 決断するなら時期は早い方が良いと思います。苦しくても、自立の道を早く目指されてはどうでしょうか。

回答No.4

ウチとそっくりすぎて苦笑いしました。当方30代前半女性です。 大学の時から一人暮らしを始め、以降、帰省を除き実家には帰っていません。未だに帰省したときは携帯・手帳は厳重管理です。 大学生の折、両親に正面切って「過干渉をやめてくれ」とぶつかったことがありましたが、本人たちは過干渉のつもりはさらさらないわけですから「は?意味判らない。ていうかあんた何様?この親不孝者が!」みたいになってしまい、泣かれて騒がれておしまいでした。 よって、、大学卒業を契機に以下のような目標を立てました。 ・困ったときに相談に乗ってくれる頼もしい友人を作る。 ・本当に困ったときにお金を貸してくれる(だろう)友人を作る(想像)。 ・自分の身を助けるスキルや仕事を得る。 ・社会や会社で必要とされる人材となる。 つまりは、両親が過干渉をしたくてもできない基盤を自力で築いてしまうことです。そして、就く仕事は、人脈や業界の関係上、地元ではまずできない仕事がよいです。 長期戦になるだろうとは思いますが、自分の面倒を自分だけで見られるような状況を、ご家族の手を借りずに切り拓いてゆくのがよと思います。厭な言い方ですが、恩を売られないためにも・・ なお、ご自身の不都合を育った環境のせいにするのはだめですよ。 実際の因果関係があることは自身の経験則でもよく判っていますが、 それをご家族のせいにすることは、消極的な意味での「依存」と同義になるからです。過干渉を断ちたいのであれば、そういう精神的な負の依存も同時に断ち切るべきです。 ご家族への感謝はあれど、あなたはあなた。 厭なことをされても、あなたはあなた。 ご自身を取り巻く社会の核の中心に質問者さまは居ます。その核に近いところには、ご家族ではなくご自身の選んだ友人や仕事などを置いてみましょう。 社会も世界も、広くてなかなかキレイです。 自分の足って、思いのほか、身軽です。

noname#106220
noname#106220
回答No.3

反抗期が来るのが遅かったなあ・・ 個人差はあるけれど、親が子を心配するのは自然な気持ちだからいいとしよう。 親を傷つけたくない。怒られたくない。という気持ちは自分の中に自然に生まれるものだから、これもいい。 でもやはり、小さい頃に感情をストレートに吐き出す時期が必要だったと思う。 親に泣かれ、怒られ、自分も泣いて、感情をぶつけ合うことで、お互いの真意が伝わるのだと思う。 質問にあるshohei0605さんの子供の頃って、およそ子供らしからぬクールな対応だよね。ホントはこうしたいのに、怒られるからガマンしようか・・みたいなね。 それだけ見ればすごくイイ子なんだけど、悪く言えば明確な意思ってもんが感じられない子なんだよ。 親御さんも、そこが常に気になってるはず。 だからこそ、口を出さずにいられないんじゃないかな? 自分がこうしたいって思ったら、親と衝突してでも伝えなきゃ。 自分がされたくないことは、やめてくれ!って伝えなきゃ。 そこんとこ、親御さんと正面から話し合ってみて欲しい。 でないと、嫁さんまで親に決められてしまうぜ。

  • celery29
  • ベストアンサー率19% (31/157)
回答No.2

QNo.3837514「出産でお世話になる実母との関係で…」と相談させてもらったモノです。 大学生になって、通学に2時間かかっても、門限は夕食まで(おおよそ7時)でした。もちろん、女友達の家に泊まりに行く許可もおりませんでしたし、土日に部活に精を出していると、「家族で団欒を奪うのか」と、私の知らないところで部活の先生に文句を言っていたようですーー;) 子供の頃の夏休みも、終わる2日前には、宿題全てを提出して、父親のチェックがあったり…。プライバシーなんてなく、当時携帯はありませんが、日記や友達から貰った手紙など、母に全部見られてたと思います。 そして私も、ここで酷く反抗して悲しませたり、喧嘩になるよりも我慢しよう…って思っていました。 国立大は無理で、進学に反対していた父に対し、母は「私のへそくりで行かせるから」と一緒に土下座してくれたり、とても感謝もしているのです。 家の場合は、門限9時の寮生活でしたので、親も多少安心していたのかもしれませんが、基本は変わりませんでした。 また、過保護に育てられて家事など全くさせて貰えなかったので、 (そんなことする暇があったら勉強しろとか、余計手間だから…と拒否されたり、部屋に入る大儀名文が欲しかったのか、掃除もベッドメイキングも全部母でした…^^;) ほんと、寮生活を始めた頃は、洗濯機の使い方さえ分からない子だったんです。 未だに掃除の要領は悪いですし、苦手です。確かに、そんな自分を、親のせいだ…って、思っちゃったときもありますね…。 今は、流石に主婦暦も長いので、それなりにこなしてますが。 社会人になられても、劇的には変わらないのではないかと思います。 それでも、社会人として責任のある生き方をするにつれて、多少は認めてくれ、過干渉も徐々には減ってくるのではないでしょうか?また、社会を知れば発言にも重みが出てきて、言い分を聞いてくれたり、少しは変わってくれるんじゃないかとは思うのですが… 子離れできてない…それは確かにそうなんですが、心配なんですよ。きっと。妹はそんな親と上手く折り合いをつけて、結婚するまでパラサイトシングル?と思えるような甘えっぷりでしたが、それでも、結婚すればちゃんと主婦をこなしていますから、それも一つの付き合い方かもしれませんね。 (仕事が大変で、夜12時すぎても駅まで父か母が迎えに行き、食事もたべさせ、朝早くても毎日お弁当を作って貰い、朝も駅まで送ってもらっていました。もちろん、家事の手伝いなんてしてません。家にお金は入れていましたが) ご自身が気づいていらっしゃるので、きっと質問者さま自身は大丈夫だと思いますよ。 ただ、私が男だったら、この母親とお嫁さんが上手くやっていけたのか自信がありません。 質問者さまも、いずれご結婚されるでしょうが、奥様の事はしっかり守ってあげてくださいね…^^)

noname#53300
noname#53300
回答No.1

今あなたが親・祖父母が過保護だと思っていること、 それ自体が自立を意味していると思うので、良かったと思います。 でも親・祖父母を大切に思っているけど、 過干渉・過保護を自覚して止めてもらえず葛藤しているわけですね。 親も子離れしなくてはならない、ということは、 時に子供が親に教えなくてはいけないよ、と私は友人から 言われた事があります。 機を見て、少しずつ過干渉を具体的に嫌だと伝えてみては。 でもまだ学生のあなたは、金銭的にもまだ自立できないと 思うし、それゆえ親も心配しているのに!と怒ってくるかも しれませんね。 そこで、あなたの就職が決まったら、正座をして親とじっくり 話合う機会を設けてはどうでしょう。今までの感謝と共に 僕から徐々に子離れしてほしい、親には変わりがないけれど もう少し干渉を止めてほしいと。その分自分も頼らず頑張ると。 そうじゃないと、結婚だって自由にできなさそうですもんね。 頑張って下さい。

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