お寺らしからぬお寺、どう考えたら??
気持ちに引っかかる事があり相談させていただきます。
この質問は他カテにて無回答ゆえそちらを削除しここで再チャレンジしたものです。
実は当方、継承者不在の事情により、自身と母の遺骨の往き先として「永代供養墓」を探していた所、わりあい満足できそうな「公園型霊園」を見つける事ができ、経営主体である寺のご住職に面会させてもらったのです。ところが・・・
神奈川県に有る寺なのですが、自宅の脇に遺骨預かり設備を主とした本堂(改築中にて元の姿は不明)が有るのみで境内とも言い難い簡素なもので、お墓が全く無いのです。小さくとも寺らしいたたずまいや住職以外のお坊さんの存在などを期待していた当方としてはかなり拍子ぬけしてしまったのです。
〇 宗派は「単立(浄土真宗東本願寺派)」
〇 1970年に宗教法人の承認、当該霊園の霊園認可番号もきちんとしてます。(市にも問い合わせ済み)
〇 祖父の代から愛知県で寺をしていて、自分自身は今までは墓には関わってこなかったが、今から四年前にこの霊園を開くにあたり墓に関わりだした。(住職の説明)
〇 住職は70歳くらいですが現在娘さんが副住職をしていて、それと別に息子さんが僧侶への準備中なので、ゆくゆくは息子さんに継がせる予定との事。(住職の説明)
私としては、愛知のお寺はご兄弟が継がれてるのではないかとか、「単立」というのは継いだものでなく自身で立ち上げたものを指し、単立ではあっても東本願寺からは正当に承認されてるのだろう、と解釈し、又、調べました所いわゆる「お東騒動」なる、大谷派からの東本願寺派の独立事件が1969年である事から、何かそのあたりの事情でも絡んでいるのかなとも思いはしてるのですが、どうもスッキリ安心しかねるのです。
簡単に考えていた面も有るので住職への再度の問い合わせもするつもりではありますが、
● 寺には墓地が必須のものという理解しか私には無かったのですが、昔からこういうタイプのお寺というのも実は結構有ったものなのでしょうか?
● こういうお寺の生計というのはそれならどういう実態だったのでしょうか?
法要収入や会費や講演料などで維持できてきたものなのでしょうか?
● 「東本願寺に聞いてみてちゃんと承認されてる寺なら安心」という意見もあったのですが、そういう事は言えるものでしょうか?
● 経営的には不安材料が無くともこの先住職が代変わりしてゆく中で、重い伝統を引きずってないという事は宗教者としていささか安易に流れやすい、という不安を感じます。どうでしょうか?
長文になりあいすみませんがご意見戴けますと大変幸甚です。
何卒宜しくお願いいたします。