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教授クラスの論文をかける学生はいないのでしょうか?
担当教授が「もう言うことがない。赤を入れなくても十分」というような教授クラスの論文を書ける学生(学部、修士、博士)はいないのでしょうか? 東大や京大あたりなら1人ぐらいそうな感じがするのですがどうでしょうか?
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「もう言うことがない。赤を入れなくても十分」という事は、論文として、文法や日本語の言い回しが正しいよってだけですよね?それだったら、文才のある人だったら、ありえると思いますよ。 でも、その論文の内容は誰が決めたのでしょうか?誰の研究資金でやっているのでしょうか?そういうのも含めて、教授は教授なんだと思いますよ。『教授クラス』になるには、自分で研究課題をゼロから決めて、自分で研究資金を調達して、それで論文を書き、一流の雑誌に載せる。そこまでしたら、やっと教授クラスの論文なんだと思います。 と、言いつつも、逆の事を言いますが、、、『教授クラスの論文』と十把一絡げに言っても、教授自体のレベルがまちまちですから。。。学内向けの雑誌に駄文を載せるだけで、学術論文を全く書かない教授だってゴロゴロ居ますし・・・ね。
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過去には、教授クラスの誰もが書けなかったほどの画期的論文を書いた学生がいました。 慶応義塾大学文学部英文科の学生、江藤淳です。 文芸雑誌「三田文学」に執筆した<夏目漱石>で、一躍、新鋭評論家として脚光を浴びました。
まあ、分野によるでしょう。数学などではあるでしょうが、実験系では難しいでしょうね。 それと、「もう言うことがない。赤を入れなくても十分」というのはその論文に格段の修正すべき事項がないというだけであって、その論文の学術的価値の高さとは必ずしも関係ないと思います。
- xen1234
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ライフサイエンスの現場から私の個人的な見解です。 まず、教授レベルの論文という基準がわかりません。言わんとしていることはわかりますが、そういう概念がないということです。 ある学生が論文を書いてきたとします。その論文を教授は赤をいれずにOKしたとします。そして、低級な雑誌に載ったとします。 また、ある学生が論文を書いてきたとします。その論文に教授はさんざん赤をいれてOKしたとします、そしてその論文はネイチャー(最高峰のひとつ)に載ったとします。 さて、ここでどの論文が教授クラスの論文なのでしょうか? もし、質問者様の意味するところが、ネイチャーに載った論文を最初から書いてくる学生がいるか?ってことならば、 答えは、そんな学生はたとえケンブリッジにでもいないと思います。 あくまで、実験を行う私の現場であるライフサイエンスとか、生物学とかいう分野においてはです。 理由は大まかに言って、たとえば東大生は最高の会社員になるのでしょうか?このような質問に勉強ができるということと社会で働くということは違うという答えがあると思います。 私が知っている分野でも同じです。単純に義務教育的な勉強ができるということでは測れないものがあるからです。