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冷戦の終末
冷戦の終末(80年代頃)における国際社会の中での日本のスタンスについて教えてください。 日本は資本主義陣営に属していたそうですが、中曽根内閣を始め各内閣ではどのような政治的方針をとっていたのでしょうか? 当時の日本の事情について調べています、詳しい方どうぞよろしくお願いします。
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最初の鈴木さんは、思いがけず首相になってしまったので、「日米安保は軍事同盟ではない」などという、言わなくてもいいことを言ってしまった。だれもが、軍事同盟であることを知っていて、日本の建前以上軍事同盟とは言えないということを知っていたわけです。 フーテンの寅さん的に言えば「それを言っちゃおしめーよ」状態。 結果的には、日本は戦後ずっと親米国家ですが、アメリカがずっと気にしているのが、「いつ、日本が反米国家になってしまうか?」という点。アメリカ国外に唯一存在する空母基地が横須賀にあるように、日本の戦略的位置づけは高いものがあります。横須賀から出て行けとなると、太平洋上の前線基地はハワイまで後退します。 で、鈴木氏の失敗の上で出てきたのが、中曽根氏。ラッキーです。彼のやったことは、「首相である中曽根は、信頼できる人物です。日本の方針は変わりませんよ」というもの。 サミットの集合写真でも、レーガンと並んでセンター位置の確保をして、日本のマスコミには「出たがりねぇ」と揶揄されましたが、国民の平均的な反応としては、「経済だけでなく、政治でも大国と認められているんだ」というもの。 冷戦終結は、米ソ痛み分けというアナウンスでしたが、実際にはアメリカ勝利で、湾岸戦争の時に、アメリカがソ連がどう動くかを考えないで改選に踏み勝った事実で「あ、アメリカが勝ったんだね」と明白にわかりました。 アメリカの軍事費は、 http://www.eurus.dti.ne.jp/~freedom3/usa-def-2004-sai-axx.htm 88年からマイナスに転じます。 いわば、勝利の報酬です。勝ったから軍事費を減らそうというもの。 ヨーロッパが受けた勝利の報酬は、EUの拡大です。 日本は、勝利の報酬を形にできなかった、それはまだ、近くに北朝鮮や中国という、アジアの冷戦構造が残存していたから。
お礼
前回の質問に引き続きすばらしい解説をありがとうございます。 本当に助かりました。 これからも自分なりに見識を深める努力をしたいと思います。 また何か質問することもあるかもしれませんがその時はよろしくお願いします。