公的資金が投入される企業は一般的に破産する可能性があると見られている銀行です。
預金者全員の預金額を一億円と仮定して、預金者から見れば銀行に一億円の資本を銀行は保有していると考えます。しかし、実際銀行にはそんなにお金はなく、直接預金者に払い戻せる金額はわずかに残してあるだけで、あとは企業への融資に使ってしまっているのです。だから、銀行は預金者に対して「預金を下ろすに来ればいつでも払い戻しますよ。」と言っておきながら、実際に預金者全員が預金を下ろしに来れば、銀行は払いきれないのです。もともとそんなお金は常時銀行に置いていないわけですから・・。預金者全員が預金を下ろそうとした歴史的な例は世界恐慌後の「取り付け騒ぎ」でしょう。
しかし、それでも預金者は「あの銀行なら潰れないだろう」という一定の信用のもとで預金しています。つまり、銀行の経営は「信用」によって保たれているのと同じなのです。
この「信用」がなくなってしまった銀行はどんな末路をたどるのか。それは預金者の立場から考えればハッキリします。つまり、自分がもしその銀行の預金者であるとすると、その銀行は潰れるかもしれない。なら、早く預金を下ろさないと自分の預金がパーになってしまう。みんなそう考えるでしょう。ですからみんなその銀行に預金を下ろしに来る。そうすると「取り付け騒ぎ」になって、なおさら銀行の経営は悪化する、そうすると信用がなくなる。というように破綻への道まっしぐらになってしまうのです。だから銀行にとって「信用」は命と言っても過言ではありません。
そこで、経営が危ういとされている銀行数社に公的資金を投入されると、その資金を不良債権処理につかうなどしてその銀行の経営は少しは改善された、と思わせるのが狙いだろうと思います。つまり「信用」を保たせるためのパフォーマンス的な部分もあるのです。だから公的資金を注入された銀行のほうがされていない銀行よりは「信用」があるのです。
結論的に言えば、公的資金投入は「この銀行は潰れないですよ~という合図」で、こうすることによって最悪の事態(取り付け騒ぎ)を防ごうというわけです。