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ヒッピーについて
1960年代アメリカにおいて、既成文化から脱落し、新たな文化を創り手となったヒッピーですが、そんな彼らに対し、当時の市民たちは何が若者たちを駆り立てているのかをいぶり、社会学者たちは実態調査に乗り出すほどだったといいます。当時、彼らに理解を示す人はいたのでしょうか。
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具体的に何年を指しているのでしょうか。また、「彼らに理解を示す人はいたのでしょうか」とはどういう意味でしょう。 私は1969年から1973年まで南カリフォルニアで暮らしていましたが、当時はヒッピーの全盛期でした。全盛期を迎えるまでになったのは、もちろん、「理解を示す」人が多かったからです。「ヒッピーっていいな。私もなりたい」という人々ですね。 また、ヒッピーは、反戦、自然食志向、愛と平和を謳った人々ですから、そういう部分に賛同する人は決して少なくありませんでした。特に、時はベトナム戦争まっさかり。報道機能の進歩も手伝って、米国が正義という名目のもと、ベトナムで横暴を働いていると国民が気づき始めたので、年配者の間でも、必ずしもヒッピーを疎ましく思う人ばかりではありませんでした。 もちろん、ヒッピーの多くは麻薬を使用したり、家出をしていたり、フリーセックスを楽しんでいたりしたので、そういう部分に眉をしかめる人は多かったですよ。でも、近所を歩いていて10人すれ違えば半数はヒッピー、ご近所さん20軒に1軒はヒッピーの根城で友達のお姉ちゃんもたまに遊びに行っている、ヒッピーの子供たちは小学校で優秀な成績をあげて他の子と席を並べている、という世の中でしたから、まったく理解をせずに暮らすのは難しかったでしょうね。 確かに1969年製作の映画『イージー・ライダー』では、(ネタばれしない程度に書くと)ヒッピーが悲惨な目に遭いますが、あれはヒッピーが少ない地域だからこそ起きた、という設定ですね。ジョン・レノン夫妻が、当時、一番人気だったデイヴィッド・フロストが司会するトークショーに出演するほどヒッピーはもてはやされたと同時に、その番組中に客席から抗議をする人もいました。そんな中でヒッピーたちは反骨精神を養いつつ、社会の矛盾を問いただしてきたわけで、その反骨精神や問いただし方に異議を唱える者もいれば、賛同する者もいたという感じです。答えになっていますでしょうか?
お礼
私は現在、若者文化を調べており、今回「ヒッピー」についてとりあげました。彼らは既成の文化に疑問を抱き、新たな文化を創り上げた、と聞いたのでどのような意図でそれを成し遂げたのか、ということを調査していました。。ここでの質問の「理解を示す」とは、そんな彼らの意図を「理解」した、という意味です。言葉足らずですいません。また、年代については詳細に定めてはいませんが、ヴェトナム戦争以後としています。 その点から見ていくと、とても有益な回答です。質問を満たしているのに加えて、論文ではなかなか視覚的にイメージしずらかったのですが、経験者の声を聞くことで頭にヴィジョンを描くことが出来ました。 これを参考にしつつ、調査を続けていきたいと思います。本当にありがとうございました。