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超現実的な教師
以前、日本テレビの「行列の出来る法律相談所」で、小学生に対して 「 プロ野球選手なんて、ちゃんとやっていけてるのはほんの少しで、それ以外は、挫折して大変な人生を送ってるんだぞ! (中略)いいか。お前達が幸せな人生を送るには一生懸命勉強して安定した公務員になることが一番の方法だ。」 ということを言った小学校教師から賠償金を取れるか。という回がありました。 これについての相談所の弁護士の見解は「賠償金がとれない」というものでした。 そして、これについてのコメントは 「それが世の中の実情であり、それを伝えることは決して問題ではない。」 といったものだった記憶があります。 私としては、ここまではやりすぎだと思いましたが 「夢に向かって突き進めば、いつか道が開ける」「自分の好きなことを信じれば大丈夫」 という夢や希望を与えすぎる教育よりも 「(あくまで例えですが)SEという職種は知的なイメージがあるが、その実は、納期に追われて残業残業の体力勝負の業界」 というような「社会の現実」を教える教育を、中学校くらいからやってもいいんじゃないか。と思いました。 事実、私の友人も中学時代の「イメージ」で 就きたい業種になりやすい高校、大学へと進学していきましたが いざ、自分のなりたい職に就き社会に出ると 「こんな大変な業界だと、もっと早くに知っていれば、もう少し、人生を考えたのに…」 と吐露しています。 かくいう私も、もっと若いうちに「社会の現実」を教えてもらえれば…と思うことが時々あります。 そこで皆様にお伺いしたいのですが 1.このような「超現実的な教師」についてどう思いますでしょうか? 2.現在の「夢」を大きく掲げる学校教育についてどのようにお考えでしょうか? ご意見をお聞かせください。よろしくお願いします。
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まさにその通りですよ。 各職業についてイメージよりも現実的なことをきちんと教えてあげるべきだと思います。 私はクリエイティブ系の製作の仕事をしていますが、知らない人からは横文字業種でなんとなくカッコイイとか、自由な感じで素敵とか言われますが何を何を。とんでもなく条件の悪い業種です。 案件の底辺あたりを受け持つ仕事なので立場が非常に弱いです。時間的にも自由がきかず徹夜や休日出勤はあたりまえ(自分は体が第一だと思ってるので、あまりに無茶な要望は聞きませんが)、クライアントの勝手なワガママに振り回され要らぬ労力でストレス溜まりまくり、しかも単価は向こうの言い値で決まるようなもんで理不尽な使われ方をひたすら我慢するしかなく、収入も同年代の平均給与からしたらかなり安いです。しかし我慢しきれずキレたら最後、もう仕事はもらえません。 足元を常に見られ続けられてる屈辱に耐えながら、でも特殊な仕事ゆえツブシもきかず、もうあきらめの境地でやってるようなもんです。 自分はクリエイティブなことが好きだったしこの道を選んだのはごく自然な流れではありましたが、事前にもう少し業界の現実を教えてくれる人がいれば進んだ道は違っていたかもしれません。 子供に夢を持たせて将来に大きな希望を抱かせるのはそれはそれでいいでしょう。しかしある程度の年齢になれば興味を持つ世界について現実をしっかり把握させる必要があると思います。イメージだけに惹かれて入って失敗した人をたくさん見ています。
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- kaaaiii
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>1.このような「超現実的な教師」についてどう思いますでしょうか? 超現実的ではなく職業を画一的に考えている教師に過ぎません。 確かに職業においてはなりやすさ、を考慮すべきです。 しかしこの教師が見落としてる所は、その「なりやすさ」が個人に よって異なるという事です。 個人にはそれぞれ才能というものがあり、その個人に適した 職業というのがあります。これが理想論ではなく現実的な考えです。 例えばスポーツ選手。その教師は「ほんの一部だからやめたほうがいい」 と決め付けましたが、その一部というのは宝くじのようにランダムに 選ばれるものでしょうか? いいえ、違いますね。 才能ある優れた能力のある選手がプロとしてやっていけるわけです。 つまり能力さえあればプロになることは「現実的」なわけです。 その「現実的」を無視して、プロになるのは一部なんだから、やめた 方がいいなんて決め付けるのは、「一部」の意味を全く分かっていない、 現実的ではなく単なる愚直な行為です。 理想論に反論するがあまり、安易で短絡的な安定志向に走り、 適材適所という概念がその教師には抜けているのだと思います。 適材適所はとりわけ教育機関では重要な概念であり、この概念を いかに理解し実践するかが教師の質を決定付けるものだと思うので、 その概念がはなから抜けていては教師としては論外と言えます。 しかし、確かに職業ごとの実情は考慮すべきです。 給料、環境なども考えるべきですが、それが一番高いのが 公務員と決め付けるのもこれまた短絡的ですね。 まず会社員を全く考えていないのが不思議です。 公務員、会社員にも莫大な業種があるというのに、公務員は会社員 より優れていると決め付けているのがまた短絡的ですね。 まとめると、現実的に言うというのは以下のような事です。 職業はその職業の待遇、環境、年収、将来性、また個人の才能、 好み、やりがい、これらを複合的に考えて決めるべきだ、と。 >2.現在の「夢」を大きく掲げる学校教育について >どのようにお考えでしょうか? 小学校までなら別にいいかと思います。 小学生の段階で将来が決定するという事はありえませんし、 夢を見るのも子供しか出来ない事だと思いますから、 大人がそれを潰してしまう事はないかと思います。 中学校2、3年あたりからは、そろそろ将来の事を 漠然と考える時期だと思うので、現実的に教えるべきだと思います。 しかし、先も言いましたが、現実的=安定志向、ではありません。 様々な業種の実情を知り、個人の適材適所を考えて決める。 それこそが職業選択の王道であり、「現実的」な事だと思います。
お礼
回答ありがとうございます。 たしかに例に挙げた教師像はテレビが作ったいかにもわかりやすい例えとして 非常に極端な部分があると思います。 私としても、「安定だから公務員になれ!」「野球選手になるな!」と決め付けるのはよくないことだと思います。 その上で、回答者様がおっしゃるように >>中学校2、3年あたりからは、そろそろ将来の事を >>漠然と考える時期だと思うので、現実的に教えるべきだと思います。 とするべきだと思います。 職業を「イメージ」ではなく現実として子供達に教えていくべきだと思います。
現実問題、松井やイチローの年俸を見ますと、ちょっとした企業の売り上げに匹敵します。 そして彼らはその大金を手にしてるわけですから、あながち非現実的とはいえないと考えます。 もし彼らが最初から諦めてしまって、堅実な道に進んだなら、安定した生活ができるかも知れませんが、せっかくの才能を腐らせてしまうことになり、大きな損失かと思います。 成功者の足下には失敗した人間が死屍累々と横たわっているわけですけど、どちらを目指すかはいわば勝手であり、教師といえども許されない行為と考えます。 イチローといえば、新人の頃にコーチからフォームを矯正するように指導され、それに逆らって振り子打法を完成させたことは有名ですけど、もしコーチの指導に従っていても、俊足好打の中堅選手として、まずまずの成功を収めたと思います。 ただ現在のようなスーパースターになったかどうかは不明で、彼としてはこぢんまりまとまるより、一か八かの道を選んだわけで、たまたま成功したからいえることですけど、失敗したら数年で退団して、惨めな人生だったかも知れません。 最後は自分の人生、自分で決める人間が成功者と考えます。 私はご質問者とは逆に、若い頃にもっと冒険的なことをやるべきであったと、この年になって後悔しています。 子供たちにはやりたいことをやるように育てており、親の面倒で世話をかけたりしないように心がけ、西郷隆盛の「子孫に美田を残さず」を実践し、子供の負担にならない代わりに、進路に関して口を利いたりの便宜は図らないつもりでいます。
お礼
回答ありがとうございます。 仰るとおり、イチローや松井が堅実な道に進むことは大きな損失だと思います。 そして、それを阻む例に挙げたような教師はよろしくないというのも同感です。 私としては、「夢をつぶす」というわけではなく SEという業界はこういう世界。公務員の生活はこの様なもの。 IT系の生活はこういうもの。一度フリーターになった人間は就職においてどのように扱われるのか。 そういう現実を教えてやることが大事だと思います。 あくまで「教える」ことが大事で、そこから「だから、公務員になれ」とか「美容師になるな」 と指図するのではなく 「美容師というのは、実際には体力勝負のハードな職業なんだ。 それでも、例え厳しくても俺は美容師になりたいから美容師の道に進む!」 というのであれば、それは応援すべきことだと思います。 大手企業でも、最近では就職後の離職率を下げるため 採用段階で「こういう仕事になりますよ」ということを学生に伝え 学生の理想と現実とのギャップを無くし、それでもいい。と言う学生を採用する ジョブマッチングの採用を行っています。 教育現場としても学生の理想と現実のギャップを出来るだけ小さくするよう努力すべきだと 私は思うのですがいかがでしょうか。
- hurasuke
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ええと、「超現実的」という言葉の定義から考えないと論点が合致しませんね、これ。 例ですと「生活安定の為に公務員になるのがよい」との発言ですが、生徒の将来の安定しか考えてないですね。教育現場にいる人間が、日本全体の将来を全く視野に入れていない・・・こういうのを現実的とは呼びません。公務員は社会生産に全く寄与しません。公務員のみでは社会が全く立ち行かないです。様々な分野で人が働いて税金を納めるから公務員という職が許されるんです。そういう現実を教えずに、単なる安定や収入しか見ないのは、「即物的」ないしは「俗物的」としか言えません(笑)。聖職者の発言じゃありませんね。 夢とその実現性の問題ですが、夢のない人は努力の原動力がないので、将来大きな仕事をする可能性は少なくなります。現在の教育が「夢」を掲げるものであるのならよいと思いますが・・・私にはそれすらできていないように思えますね。これは私のイメージなんですが、夢を持つのを美徳とする反面、夢を持てないくらいの諸問題で、子供たちはがんじがらめになってないでしょうかね?違ってたらすみません。 ひとつ言えるのは、いじめすらなくならない学校教育・・・「出る杭を打つもの」であろうことは簡単に想像されます。そんな中で子供たちの個性が摘み取られ、ぱっとしない地味で堅実な目標を大人に植え付けられてるように思います。 ええと、私の理想ですが、 1.実現可能かどうかは置いておいて、とにかく大きな夢を持たせる教育をすること 2.即物勘定ではなく、現実をできるだけ見た教育をすること(教科書にウソがあるようでは話になりませんがね^^;) この二本槍でいいと思います。1も2もしっかり教えてあれば、「自分の夢の実現の可能性」は生徒が自分で考えられると思います。そして、自分の夢の実現の可能性は人に教えてもらうようでは、自主独立に程遠いので、それでよいと私は思います。
お礼
仰るとおり、例に挙げた「野球選手なんてなるな!」のように 一方的に夢を打ち砕く教育はよろしくないことだと思います。 しかし、20代前半でまだ、学生に近い私から見て 子供達の多くは職業を「イメージ」で捕らえているのが現実だと思います。 「美容師はなんとなく格好いいから、美容師になりたい」 「IT系はスマートなイメージがあるから、IT系の会社に行きたい」 「ペットが好きだからトリマーになりたい」 http://oshiete1.goo.ne.jp/qa1558332.html こちらで多くの方が仰っているように、今の教育現場しかり、社会全体が夢至上主義にあるような気もします。 そして、それを阻む行為は一般的に「よろしくない」行為だと言われています。 しかし、実際には http://nensyu-labo.com/sikaku_biyousi.htm このように美容師の多くは理想と現実のギャップで多くの人間が若くして辞めていっているのが現実。 そして、美容師としてのスキルだけではつぶしが利かず再就職が厳しいのも現実だと思います。 それでも、今の教育現場では「夢を持って頑張れ!」というスタンスで 美容師の実情について、事実を伝えることが少ないと思います。 美容師は極端な例ですが、現実問題として大手の企業でも社員を軍隊のよう用に管理するような企業がある。 夢を追ってフリーターになるということが、その後、正社員になりたいと思った時に どれほどのリスクを負うものなのかというようなことを子供達に伝えていくべきだと思います。
どっちにも教育を施されたくないです。 夢に向かって精一杯努力する気持ちが成長をする上で大切だと思います。 それとあわせて勉強も怠らないことも同時に重要です。 この教師の場合、できる事を諦めてしまっていているだけで妥協の産物です。 「自分は何もやらない、考えない。だから一番楽なこのやり方で行け」 要約するとこうなります。子供たちに何の指導もしていませんよね。 何もできない教育現場を作り出してしまっている原因として、文部科学省の教育カリキュラムが(世界的に見て)非常に未熟である事や、不景気に拍車をかけて十分な教育を受けることのできない家庭が増えている。教師が人間的に未熟、何事にも配慮できる我慢できる人間が少ない。等がありますが今回は省きます。 実際このような教師ばかりではなく、日本には独自のやり方で子供たちの才能を伸ばそうと努力している学校が公立、私立を問わず少なからずあります。 別に夢がかなわなくとも野球でもコーチをやっていらっしゃる方もいますし、もし学校の教師が一生懸命生徒たちに教えたことが、後々の人生に一人の生徒にでも影響を与えて夢を形にしたらそれは素晴らしいことでしょうし、夢が少しでも叶う事を身をもってこの世に残した証になるでしょう。 質問にありました教師は最初からすべてを諦めてしまったただの心の歪んだ人間です。教師でも何でもないです。1%でも可能性があればがむしゃらに頑張るのが人生というものです。 学校で教えなければならないのは生きるという事です。今の子供たちにはその教師も含めて必死に生き抜くという事が全く足りていないと思います。 本当に必要な教育はゆとりでも軍国主義回帰の教育でもなくこの一点に尽きると思います。
お礼
仰るとおり、この教師は「端から全てを諦めてしまった人間」なのかもしれないですね。 >>学校で教えなければならないのは生きるという事です。 必死に生き抜く姿勢が大事だということですね。参考にさせていただきます。 回答ありがとうございました。
お礼
そうです!まさに質問文中の私の友人と同じような境遇です。 今の日本では、一度でも、そういう穴にはまってしまうと そこから抜け出すことは、とても困難な社会になっているようですね。 俗に言う新卒で道を踏み外すと、それで人生をふいにする可能性もある以上 学校教育で、本当の「社会の姿」というものを教えていただきたいと思います。 回答者様も、非常にお辛い立場で心中お察しいたします。 どうかお体だけは大事になさってくださいね。 それでは回答ありがとうございました。