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昭和64年って・・
今テレビを見ていてふと気になったのですが、昭和64年って七日しかないってテレビで言っていましたが、これは昭和天皇がお亡くなりになったのが1月七日からだからなんですよね? 平成元年っていうのは昭和64年の一月八日からなのですか?ここらへんの時代のつながりが非常に曖昧で頭の中で整理出来ていません、どなたか教えて下さったらと思います。また、以前即位の大礼というのをテレビで特集してるのを見たのですが次代の天皇が即位の大礼を行うまでは次代は変わらないのですか?
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ANo.4です。 「亡くなったら、危篤っていうニュースを出すんだって、 で、いろいろ準備ができたら、あらためて亡くなったっていうんだって」 この言葉は、著名な放送作家の永六輔さんが、昭和63年に出版の「普通人名語録」に載せた言葉です。 しかし、永さん自身の言葉ではありません。永さんが各種の有名無名の人に会い、後になっても頭に残っている印象深い言葉を、出典を意識的に記さずに集めた本です。 この言葉を事前に聞いていたので、「誰が言ったか知らないが、本当だったな」と思いました。 あの1月7日、天皇が逝去したのは、朝の6時33分でした。 6時35分「天皇危篤」の「臨時ニュース」(ニュース速報ではない)が放送されました。これは、アナウンサーによる発表でした。 7時56分、宮内庁長官による「天皇崩御」が発表されました。 やはり、一国のトップですから、政治的実権がなくても国民統合の象徴ですから、死亡と同時に「死んだよ」では済まないのだと思います。 当然、「デマだ」「まだ生きている」「跡継ぎは予定通りか?」「政務は通常通りか?喪に服して数日間停止するのか?」という問合せが、一般国民だけでなく、外国のトップからも来るでしょう。その回答を用意し、「本当なんです」と責任ある人が正式に言えるまでは、「危篤」というウソだけど心の準備ができている状態にしておく方がよかったのでしょう。 蛇足ですが、経済界にも影響が出ます。後日の新聞で知ったことですが、外国為替の仕事をしている人の中には、あの日は「日本円が急落しているぞ」との電話で起こされた人がいるそうです。一国のトップが死ぬと、とりあえず、その国の通貨を持っている投資家は、いったん手放す傾向がありますから。 なお、今の皇太子殿下の次の皇位継承権は、下記のURLに示しました。 ご指摘の通りの順番に決まっています。 ここに愛子様を入れるか入れないかで昨年夏までは大激論になりましたが、この3番目に入る皇子様が誕生したので、議論は消えました。
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- pacemen888
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質問とは関係ありませんが、崩御された日は当然1日中、NHK,民放すべて天皇崩御を放送していました。質問者が生まれたころのようですので、ご存知ないかもしれませんが、民放も一切コマーシャル無しでした。翌日も記憶は定かではありませんが、CM無しで天皇関係をずっと放送していた気がします。 崩御されたのが7日(土)で、翌8日(日)から大相撲初場所が予定されていましたが、9日(月)が初日となりました。 また、多分ですが、今は地上波の他にBS,CS,WOWOWなどの媒体がありますが、このころまでは地上波だけだったと思います。 当時学生でしたが、さすがに崩御のテレビばかりなので、レンタルビデオ屋に映画を借りに行ったのは覚えています。
お礼
御返事ありがとうございます! 天皇崩御の時の様子もとても知りたかった事だったので当時の事を書いて頂いて嬉しいです、CMなしでテレビ放送がされていたというのが本当にすごいというかとても不思議な感じがしました。
- Shirozaru9
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ANO.1様 >昭和天皇崩御が昭和63年12月25日で、 それは、 「大正天皇崩御が大正15年12月25日で、」の誤記でしょう? 昭和天皇の崩御は、確かに昭和64年(1989)1月7日の土曜日でした。 私の勤務先の会社は、正月連休の飛び石を埋めるために、その土曜は振替出勤でした。 起きて身支度をしようとTVをつけたら、「皇太子御一家が吹上御所へ入る」の映像が繰り返し流されていました。 そのうち、ドラマで聞いても実物は聞いたことのなかった「臨時ニュースを申し上げます」が流れました。 その内容は、「天皇危篤」だったのですが、その時すでに崩御していたのです。 つまり、「危篤」の速報は「崩御」の予告だったのです。 会社に着くと、ロッカールームや喫煙室に異様な空気がありました。 丁度その時間に、ポケットラジオで本当の「崩御」のニュースを聞いていた人が居たのです。 そして、8時15分の朝礼の時、事業所の従業員2000人が黙祷しました。 なお、昭和64年に「1月8日」はありません。 但し、公文書などで先々の予定を示したものには、昭和65年以降が書かれていたものもあります。
お礼
詳しい当時の様子も伝えていただきありがとうございます! 僕は昭和天皇ご自身を全くしらないので、テレビで見たりするだけだったので昭和の時代がどのように終わったのか等がとても気になっていました。 やはり日本の象徴であった方が亡くなったらやはり普段の風景は変わってしまうのですね、お話を聞いていてすごく新鮮であり、またそのような大きな動きがあった昭和64年の事がますます気になってきました。 一つお尋ねしたいのですが、昭和天皇が危篤状態であったと報道された時にはすでにお亡くなりになっていたということですが、これは何かを隠す為にそうしたということでしょうか? 危篤という前段階を置かないと崩御の報道は出来なかったのでしょうか? またもう一つお尋ねしたいのですが、不謹慎な質問かもしれませんが、例えば次の皇太子さまの時代が終り秋篠宮さまが天皇になったとき、その時代はとても短い物になる可能性があると思いますが、それでもこれは順番に即位をしていくのでしょうか?
- pacemen888
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昭和天皇が崩御されたのが昭和64年(1989年)1月7日で、翌日の1月8日から元号が「平成」に変わりました。 ちなみに、昭和(天皇)の前の大正天皇が大正15年(1926年)12月25日に崩御され、同日から元号が「昭和」に変わりました。
お礼
御返事頂きありがとうございます! 僕は昭和最後の年に生まれたので全くこの辺りの記憶がなくとても気になっていました、今回これですっきりしました、ありがとうございます!
- dolphin-
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政府の臨時閣議が開催され元合法に基づいて 1989年1月8日午前0時に昭和64年から平成元年に切り換わることが正式決定しました。 http://kaiko.web.infoseek.co.jp/a_gallary/gallary-heisei.html
お礼
御返事頂きありがとうございます。元号法についても今回初めて勉強しました。天皇の代替わりってすごい神秘的な感じがしていいなと思います
>以前即位の大礼というのをテレビで特集してるのを見たのですが次代 >の天皇が即位の大礼を行うまでは次代は変わらないのですか? そのとおりです。 昭和天皇崩御が昭和63年12月25日で、 今の天皇の即位が平成元年の1月7日で、その翌日からが平成です。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%98%AD%E5%92%8C%E5%A4%A9%E7%9A%87
お礼
お返事ありがとうございます。 崩御翌日からすぐに時代が変わるんですね、大事な事なのですが今まであやふやにしてきていたのですっきりしました。
お礼
再び詳しい回答を頂きありがとうございます、知らなかった事が知れてとても興味深いです。色々準備があるので危篤という状態でとりあえずは発表しておく、というのは説明していただいた通り天皇の立場を考えると妙に納得しました。説明して頂いた描写を読むと不思議な感じと緊迫感の様な物、色々な気分が混ざりながら説明を読ませて頂きました。 天皇の立場の重み、特殊性を実感しました。 URLも分かりやすいものを教えて頂きありがとうございます、悠仁さまが誕生されたため、今まで通り男子の継承者が生まれたので愛子さまの天皇への継承はなくなったということだったんですね、大変分かりやすい説明を頂きありがとうございます!