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祖母の死に直面して。

20代半ばの女です。 祖母が12月2日に他界しました。 物心がついてまともに人の死に直面したのは 今までで2回目ですが、 1回目はもう10年以上も前になるので覚えていません。 祖母には昔からお世話になり、 とても優しく、働き者で、生まれた時から私を大事にしてくた上に、介護もしながら趣味もしつつ、70代後半だというのに、オシャレで化粧もしっかりしていて、大変文句のない人でした。 私はそんな祖母が大好きでした。 今年の春は海外旅行に行き、とても楽しい時間を過ごしました。 そして私も今年社会人になり、今年の春先から忙しくなったので 遠くに住んでいる祖母とは会うこともなく、電話もしていませんでした。 今日の今日まで9ヶ月も顔も合わさぬまま。 そして、つい最近の祖母の突然死。 正直未だに信じることもできなく、ただ事実に泣くばかりです。 お通夜でもお葬式でも火葬でも・・・全て終えてもまだ信じられません。 受け入れることができません。 私は今年の秋に最低なことをしてしまいました。 毎年、恒例の敬老の日にプレゼントを上げ損ね、連絡もしないまま時が過ぎ去ってしまいました。 いつも心のどこかに違和感があり、でも冬のボーナスで必ずや何かプレゼントをしようと思っていたのでそのままにしておいてしまっていたのです。 この違和感は虫の知らせだったのでしょうか。 また、その祖母が亡くなった時間頃に私は人体の展覧会にも行き、お化け屋敷にも入っていました。 これも何か必然的なものを感じて仕方がないです。 11月に4連休があった際にも何故祖母の家に行かなかったのか悔いて仕方がないです。 自分の人生でここまで後悔しているのは初めてです。 相談にはなってませんが、正直今の自分が悔しくてたまりません。 この悔しい思いをこのまま背負っていくと思うと辛いです。

みんなの回答

  • tomban
  • ベストアンサー率26% (2616/9771)
回答No.6

私はご質問の文章を拝見して、あなたとは少し違う「感じ方」をしたのです。 人って「何か悪い事が起きそうだ」と思ったら、そこには近づかないものじゃないのでしょうか?。 「悪い事」それはつまり「自分が愛する人に不幸がある」ということも、そのひとつとして考えていても良いんじゃないか、と。 突然の逝去は、誰一人知る由も無い、先の見えないことです。 また、人の生死は例え医者であっても救う事の出来ない「絶対」です。 もし「知る事が出来る」人がいたとしたら、それは「本人」以外にありえない事じゃないでしょうか。 あなたは、死に行く自分の姿を見られて、人に悲しまれることを「嬉しい」と思いますか?。 これは「両方ある」事とは思います、が、本人にしてみればそんな「悲しい顔」を見ているのは「自分が何もしてあげられないのに…」という「無念」もあって辛いほうが大きいんじゃないかと思うのです。 相手が「愛情をかけて育んできた存在」なら、尚更の事ね。 だから「会わなかった事、会えなかった事」を「不幸」な行為だと言いきってしまうのは、私にはかえって「悲しく思える」のです。 私は、死んでいくものはすべて「幸せだった」と信じていたいです。 そして「遺された者」は、精一杯の人生を送って、やがてくる「死」を受け入れていく準備をしなければ、とも思います。 生きている人間に出来るのは、そういうことなんじゃないでしょうか?。

回答No.5

心中お察しします。 私は29歳の女性です。祖母は中学生のとき他界しましたが 今になって「もっとお見舞いに行けば良かった」などと後悔します。 質問者様の後悔の気持ち、敬老のプレゼントなど 悔やまれるお気持ちはお察し致します。 今から出来ることは、今お元気でいらっしゃるご両親や 周囲の人に、いつか悔いることのないように 接することではないでしょうか。 また、私自身この年齢になって思うのですが お墓参りは本当に大事だなぁと思います。 幼い頃には重きを置いていませんでしたが、 先日母と、祖父母のお墓参りに行ったときのこと。 本家と分家(祖父母は分家)のお墓がふたつ並んでいて 両方に同じようにお線香をあげたのですが 分家のお墓のお線香だけが、すごぃ勢いで燃えたのです。 母いわく、「お墓に入ってる人が喜ぶと、線香がよく燃えるんだよ。」 と言っていました。根拠のほどはわかりませんが…(´д`;) それを見て「おばーちゃん、私が来たから喜んでるんだね」と 思いました。 後悔し、悔やみ続けるよりもお婆様のコトを忘れず感謝し、 今周囲にいる人々を大切に生活されてはいかがでしょうか。 一日も早くお元気になられますよう、お祈りしております。

回答No.4

私は今日55歳独身子供3人3年前妻が突然他界(くも膜下出血で突然)しました。10年間病気知らずで、働き者私には出来すぎの妻でした。享年54歳、家の中のことや近所付き合い全て妻まかせで何も分かりませんでした。他界したことを医師から告げられても状況が理解できず、何をしていいかわからずただ時間が過ぎていくばかりでした。身内が集まり葬儀が終わり一週間後現実の生活に戻った時寂しさと悔しさとが入り混じって、人間関係がいやになったり、仕事もやる気を逸しました。友達や親戚が慰めの言葉をかけてくれても、励みにならないし、この辛さは理解は出来ないと思います。3ヶ月位葛藤の末思ったことが、人間の一生を陸上競技に例えて、マラソンランナーのように100歳以上生きる方もいれば、生まれてまもなく他界する人もいます。私の妻は短距離を精一杯走って力つきたのだから、悔いは残らなかったと思うようにしました。そして時間が経つにつれ、少しずつ仕事にスタンスを移すことが出来ました。今でも年配の夫婦が寄り添って歩いているのを見ると胸が熱くなります。貴女の場合とケースが違いますが、共通点は最愛の人だったことです。今が一番辛い時だと思いますが、自分の知恵で立ち直ってください。時が解決してくれます。頑張ってください。   千葉県のおじさんより

  • kirara77
  • ベストアンサー率25% (117/464)
回答No.3

初めまして。 貴女を可愛がって呉れたおばあ様なら貴女のそんな気持ちも判ってくださっていますよ。きっと・・・。 弔うと言うことは気持ちの問題ですから、貴女がおばあ様との思い出を大切に思って呉れていたら、 それでおばあ様は天国で満足して微笑んでいらっしゃると思いますよ。 寧ろ、嘆き悲しんで悔いている貴女を天国から見ている方が心配かも知れませんよ。 おばあ様に報いる道は、貴女の好きなおばあ様の生き方に、少しでも近づけるように自分を磨いて 素敵な女性なられることではありませんか? 遠いい先に、再び天国でおばあ様に会ったときに、胸を張って貴女が微笑めるようにね。

noname#46268
noname#46268
回答No.2

お祖母様、とても幸せだったのですね。 虫の知らせ・・科学では到底証明の出来ないこと、あるのかもしれません。 悔いてもそれを引きずってはいけませんよ。 あなたの後悔は、お祖母様をたくさん愛していたという事実なのです。 絶対に幸せだったはずです。 供養は月命日などに思い出してあげる事。 あなたが後悔を引きずって生きていく事をお祖母様は望んでいませんよ。 今思えば、20数年の人生でお祖母様の最後の年にプレゼントを し損なった事は、きっとあなたがお祖母様の事を一生「忘れないため」 に誰かが仕組んだ事かもしれません。 そんな風に考えられるようになるには時間が必要かもしれませんが 遺影を見てください。お祖母様はあなたに笑いかけているように 見えませんか?あなたが今年の敬老の日にプレゼントしなかった事を 恨むようなお祖母様でしたか?きっと違うでしょう。 供養とは、しのぶ事。悔やみ続けたり、後悔をひきずる事ではありません。あなたのお祖母様への愛情はきっと伝わっています。 1年1回でいいです。お墓参りをして1年の出来事を報告しに行く日を これからは作って下さい。 事情があって行けない時は寝る前、お風呂なんかのゆったりした時間に ふと思い出してみて下さい。 お祖母様のご冥福をお祈りしております。

  • torumari
  • ベストアンサー率30% (8/26)
回答No.1

お祖母様はそこまで相談者様に想われて幸せだと思いますよ。 あまりご自分を責めぬよう。時々は思い出してあげること。それがなによりの供養です。 誰だって、そしてそれが予期せぬ死であった場合特に、大切な人を失って後悔しないことはないんじゃないでしょうか?後悔するというのは大事に思っていたからこそ。その想いは必ず伝わっていると思います。 いつまでも悲しい顔されているとお祖母様も安心できないと思いますよ

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