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昔の学生はそんなに立派だったのか?

 私の大学の教授達はよく、今の学生を批判する(というよりも「嘆く」に近い)時に「私が学生の頃はマルクス主義を知らないと馬鹿にされた。だから必死に『共産党宣言』などを読んだものだ」という発言をします。これを聞いて、仲間外れにされないように携帯電話をねだる中学生と本質的には変わらないと思いました。中には、思想に感動して自ら勉強した人もいるでしょうが、大部分は周りに流されて、または取り残されまいとして勉強したに過ぎないのではないでしょうか?もしそうなら、始終携帯はを離さずプロフを持ちたがる現代の中高生と変わらないと思います。  勿論、向かう対象が学問か携帯電話かではその後に残るものも違うでしょう。しかし、単に流行りに付いて行っただけならば、立派だった、或いは堕落したのは学生ではなく時代だと思います。それを学生の人間性に責任を求めるのはおかしいと思うのですが、どうなのでしょうか。やはり昔の学生の方が立派だったのでしょうか? ※例として挙げた「マルクス主義」「共産党宣言」の部分はうろ覚えなので対応していないかもしれませんが、読み流してください。

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noname#42619
noname#42619
回答No.2

高度の教育を受ける者が自らの利益のためだけではなく 低賃金で労働する人達によって自らの生活も支えられていることを認識して 学生達がその人達の生活のことを考えることをおろそかにしなかったと言うことでしょう。 高度の教育を受け将来上に立っていく人であるならば そういうことを考える人であるべきであるという教授の思いなのではないですか。 高度教育を受けながら、それを自分のためだけに、儲けるのが悪いことのように言われるのはどうなんでしょうなどと村上ファンドの人みたいに皆が言うようになることを嘆くのでしょう。

noname#43330
質問者

お礼

 回答有難う御座います。  その場の状況としては、教室内の学生に向けられたものでした。しかし、キャンパス内の雰囲気を見ても「公」というものを考えている学生は少ないようですし、そういった含みもあったのかもしれません。

その他の回答 (9)

  • aki43
  • ベストアンサー率19% (909/4729)
回答No.10

単純に思いますが 卒業されてる人で学校に行っていた人より行っていない人のほうが世に出ているような気がします もしくは中退の人

noname#43330
質問者

お礼

 回答有難う御座います。

noname#93734
noname#93734
回答No.9

こんにちは。20年以上前の学生から。 質問者さんの意見に同感です。 その教授年寄りでしょう? わたしは1980年代の、いわゆる無気力時代の地方国立大出身。あのころ「民青」という人々がよく月曜日の1講目のはじまる前にきて「演説」?していました。 ほとんどの学生が、もちろん無視していました。(ださいから) あるとき、そこにいた教授が、「最近の学生は・・・以下同様」と憤慨していました。 わたしの結論。 昔の学生もただ流行にのっていただけ!そんな年寄りたちの昔話は、聞き流したほうがいいですよ。と、40代の限りなくじじいにちかいおばさんの意見です。 P.S 最後の行を見て、とても賢い方だと思いました。質問者さんのような学生もきっとたくさんいると思うと、うれしくなります。

回答No.8

面白いデータがあります。 大学生の授業への出席率を調べたところ、現在の大学生の授業出席率が過去最高でした。つまり、現在の大学生は、昔の大学生よりもマジメに学校へ行っている、ということになります。 立派な昔の大学生は、授業に行かないで何をしてたのでしょう?(笑) 私も質問者さんが仰るように、昔の学生が思想的な書物を読んでいた、などと言うのは、一種の流行のようなものだと思います。 既に、皆さんが仰っていますが、人間は昔から「今の若い奴は…」と言うような生物です。それ自体は、「オッサンは仕方ないな」くらいに流しておけば良いのだと思います。ただ、自分たちが年をとったとき、自分の感覚と違うからと、「あれは堕落だ」などと言わない様にする為の悪い見本をしたいな、と私自身は考えています。

noname#43330
質問者

お礼

 回答有難う御座います。返事が遅れた事、お詫びします。  授業の出席率についても話をされました。曰く、今の学生は授業には出てくるけど主体性が無い、昔は授業には出なくても自分で勉強したり議論したもの、だそうです。勉強の中身は麻雀かも分かりませんが。

noname#96023
noname#96023
回答No.7

#6さんの意見に近いですね 古くはエジプト文明の壁画にも「最近の若い者はなっていない」と訳せる壁があるらしいですよ。 と、言いつつ、最近の新入社員はだめなやつが多いと言ってみたりして。。。

noname#43330
質問者

お礼

 回答有難う御座います。返事が遅れて申し訳ありませんでした。  エジプトの壁画かパピルスの話は私も聞いた事があります。昔の事というよりも、洋の東西を問わず人間は変わらないのだな、と思いました。

  • teloon
  • ベストアンサー率11% (71/627)
回答No.6

要するに「近頃の若い者は」と同じようなもので、その教授と同年代の人たちも学生時代は、もっと年代の上の人に「われわれの学生の頃は・・・」と言われていたと思います。あなたにしても、今の小学生を見てどう思いますか。「自分の小学校時代は」と思うことはありませんか。人間、目下の人間に対して、自分のその頃と比べたがるものなのです。

noname#43330
質問者

お礼

 回答有難う御座います。返事が遅れた事、お詫びします。  私自身は今の小学生、中高生について特に思う事はありません。私が小学生の時とさほど変わっていないと思います。勿論、これは私の身の回りの事であって、全国的には大きく変わっているかもしれませんが。

回答No.5

> やはり昔の学生の方が立派だったのでしょうか? 全然そんなことないですよ タモリやなぎらけんいちや、泉谷しげるの世代をみてごらんなさい あの世代は、学生運動で全然大学にいかなかった世代です。 なかには、当時の喫茶店やライブハウスでフォーク歌って 遊びほうけていた人たちも大勢いますから。 学生運動が下火になったことを除いて、今とそんなに変わっているとは 思いませんね。 要するに、大学の教授など社会の支配層になって えらそうにお説教たれているだけですよ(そんな教授も 陰では裏金作りしているかもしれませんよ)。

noname#43330
質問者

お礼

 回答有難う御座います。返事が遅れて申し訳ありませんでした。

  • hohor
  • ベストアンサー率20% (5/25)
回答No.4

そう言う視点で観察できるあなたは、かえってその教授よりも広い視野をお持ちのようですね。 現在では、国際的にイデオロギーが国家間における一番の問題ではなくなってきています。 教授殿の学生の頃と現代を同じに語る事はナンセンスでしょう。マルクス主義に代わる物が携帯電話だとは思いませんが、マルクスよりももっと知るべき事が今はあると思います。 一般的に『最近の若者は・・・』とか『昔は今より・・・が良かった』とかといった話には、思い入れが強すぎて美しくなりすぎる傾向があります。 私にとっても子供の頃の楽しい思い出には綺羅星のようなものも在りますが、一寸考えてみると昔の電車は今の数倍混んでいた記憶があります。煙草のポイ捨ては当たり前だったし、川の水は生活廃水で汚れて臭かったし、光化学スモッグで学校プールは頻繁に中止になっていたし、(我家の娘はどぶがわと言う言葉は知りませんでした)大概のことは昔より現代の方が優れていると思います。 少し話がずれましたが、そんな理由で昔の学生の方が立派だったなんてことは無いと思いますので安心してください。今必要だと考える事をしっかり勉強しましょう。

noname#43330
質問者

お礼

 回答有難う御座います。返事が遅れて申し訳ありませんでした。

回答No.3

基本的には、質問者様や他の回答者の方と同じ認識です。 その時代の雰囲気に同調し、疎外感を恐れるという気質は本質的に変わらないものの、興味の方向が違ったということでしょう。 その教授が回想する時代(おそらく、60年安保~70年安保)は、大学進学率が2~3割であり、多くの学生には潜在的ながらエリート意識がありました。そのため、No.2の方が仰るように、自らが先頭に立って社会を変えたいという気持ちが強かったのです。これ自体は、若者らしい純粋さから出たものです。 マルクス主義などの思想がもてはやされたのも、純粋な学問的興味というよりも、社会変革の指標としてトレンドになっていたのです。この観点から、学生間で議論が戦わされ、実際に激しい学生運動が行われましたが、その中で確信的な思想をもっていたのは1割程度で、大多数の学生は流れに迎合していただけというのが実態のようです。 結果的には、イデオロギーで社会は変えられないという挫折感を味わった後に、彼らは企業戦士に変身し、バブルの崩壊に至ったわけです。 このように、かつての学生の関心事が社会に向かっていたのに対して、今の学生の関心が、携帯メールに象徴される仲間内だけの狭いコミュニティーに向かっているという違いをその教授は強調したいのでしょう。 しかし、現在は進学率が5割を超え、大学が大衆化して時代背景が変わっているため、単純に昔の学生と比較はできません。当然ながら、昔の学生の全てが学業に専念していたわけではなく、遊び呆けていた者もいたので、一概に昔の学生が立派だったとは言えません。 ただ、時代が堕落したというのは、一方的な捉え方のように思います。むしろ昔の方が社会的な矛盾は大きく、人を差別するような気持ちも強かったです。社会の根幹では、漸進的に成長していると思うのです。 結局、昔と今の学生の違いを人間性(個性)に求めるのも、時代の責任にするのも間違いということでしょう。

noname#43330
質問者

お礼

 回答有難う御座います。返事が遅れた事、お詫びします。  一点、気になった箇所があったのですが、私は時代が堕落していると主張したつもりはありませんでした。仮に学生の質が低下したとするのなら、それは時代の質が低下した為ではないか、という提起であり、そもそも学生の質が低下していないと主張するならば時代云々の話に発展させるつもりはありません。

  • y1y9y8y1a
  • ベストアンサー率31% (30/95)
回答No.1

>思想に感動して自ら勉強した人もいるでしょうが、大部分は周りに流されて、または取り残されまいとして勉強したに過ぎないのではないでしょうか? いいですね。この発想すてきです。 当時の学生はこぞって『共産党宣言』などを読んでいた。それが「普通」だった。やらないとバカにされた。 ってことは、「立派」ではないと思います。 その教授は、昔を懐かしがっているだけか、当時の「アタリマエ」の価値観で現代の学生を図っているだけなんじゃないかと思います。 別に思想を学ばないからと言って、現代が堕落しているわけでもないと思いますよ。別の意味で堕落してるかもしれませんけど。 また、当時(って、その教授がいつ頃のことを言ってるかわかりませんが)は、まだ「思想」に力がありました。 学生たちは「世界を変える」と、今となってはどこまで本気かわかりませんが息巻いていたのでしょう。 それが「学生運動」や、果ては「浅間山荘」に結びつくのだと思います。 だから、思想を学ぶことは高尚な、そしてある程度実際的にも意味のあることだったんじゃないかな、と思います。 あくまでも個人的な認識ですが。

noname#43330
質問者

お礼

 回答有難う御座います。

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