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バスの数はバスブーム時より増えていますか、減っていますか?

最近ではバスが有害魚で、琵琶湖ではリリースを禁止する条例ができました。 そのような運動がある中で、バスは全国的に減っているのでしょうか。 バス釣りのブームが終わり、バサーの人口が減ったことで、バスは増えているのではないかと思っています。 バスの数が減っているのか増えているのか、感覚的にでよろしいので教えてください。 よろしくお願いします。

みんなの回答

  • DVD-RW
  • ベストアンサー率36% (195/541)
回答No.5

閉鎖された環境(ため池等)にブラックバスが放流された場合、No.1さんのおっしゃられるようなバランスは取られていない例が確認されています。 そこでは放流されたブラックバスがほとんどを占め、その他はごくわずかの小魚や甲殻類とバスが捕食できなかった大型の鯉・鮒等のみの生態系になってしまうようです。(参考URL) バスはまず捕食しやすい魚や甲殻類を食べ、それらが減ってきたあとは共食いにより維持しているようです。 まともな生態系のバランスであるとはいえない状況だと思います。 http://akitagenryu.hp.infoseek.co.jp/bass/oodate/OODATEB-01.HTM http://www.asahi-net.or.jp/~JF3T-SGWR/bunka/bunka-04.htm バスだけも見て、バスの全体の数としてどうこうよりも、在来の種のバランスを大幅に崩して日本の生態系を乱してしまっているようです。 とても安定に向かっていくと言う状況では無いと思います。

  • fuuraiboh
  • ベストアンサー率47% (8/17)
回答No.4

>何を持って駆逐すべきものを決めているのか、それ以前に命に序列をつけることがどれだけ危険思想であるか、そんな危険思想を掲げるこの国や地方公共団体って…ましてや国がこう定めたからと盲目的にそれにぶら下がる連中は「お国のために、死ね」と特攻隊員に駆り出されても何の疑問も抱かずに素直に死ぬのでしょうか?戦後60年、日本は先人の犠牲から得た教訓を全く活かしていない、特攻で死んでいった御霊は全て無駄死に、ということになりますね。 論理が飛躍している気がします。ちなみに、バスは他の魚だけでなく水生昆虫も捕食します、そのためにトンボが激減した池もあります。バサーの方は昆虫などどうでも良いのかもしれませんが、昆虫やミミズ等の無脊椎動物も含めた生態系の多様性を保全していく事が必要なのではありませんか?その意味ではバスだけでなくニジマスもブラウントラウトも、ヘラブナも、琵琶湖産アユも他の地域に人間が放流しその生態系を変化させるべきではないと思っています。 ちなみにバスはあまり数が変わっていないと思います。

noname#62848
noname#62848
回答No.3

かつては琵琶湖などでバス釣りをやっていましたが今は休止中で、スポーツ紙の釣果欄を眺める程度での予想ですが、釣果は50cm前後の老成魚が一桁台と個体数は少なめになっているのではないでしょうか。ブルーギルの隆盛によりバスは減少傾向にあると考えています。 あくまで私見ですが諫早や河口堰などのこともありオフィシャルの環境影響調査等は残念ながら信用できませんね。バス関連のことはパフォーマンスに見えます。

  • bellena33
  • ベストアンサー率56% (459/818)
回答No.2

私は琵琶湖水系に住んでいます。 水産系(資源管理学)の大学を出て、海外で水産に携わりました。 資源量推定というのは、不確実で誤差の大きい分野です。 琵琶湖の状況から鑑みて、正確なものを知ることは難しいかと思います。 ただ、実感や漁獲比率などから見て、バスやギルは在来種をかなり駆逐しています。 やっていけなくなって廃業した漁業者も多いです。 エリやヤナを仕掛けても8割がギルとバスになってしまう状況で、どうやって食っていけというのでしょう? 護岸工事などによる環境の変化を差し引いても、バスとギルは圧倒的に多くなりました。 そして、在来魚の姿と(種類も)あまり見かけなくなりました。 生息条件などもありますので、在来魚の絶滅はしないかと思いますが、 小規模のため池などでは、バスとギルの共食いだけの生態系の場所も数多く見てきています。 ため池は、水を抜けるわけで、推定ではなく、手にとって数えられるわけですよ。 バス釣りブームどうこうは存じ上げませんが、キャッチ&リリースの思想のレジャーフィッシングでは あまり漁獲圧力を掛けることができません。 また、疑似餌を使った釣りは、資源を一変させるほどの漁獲圧力は期待できません。(サイズは別) 琵琶湖のリリース禁止条例は、効果よりも釣り人の皆さんの意識改革を狙い、 悲劇の拡大を食い止めようとしているものです。 バサーがいようがいまいが、増えています。 30年以上、琵琶湖の周りで遊んで来たわけですから。 バス釣りブームの遙か前からバスはいて、徐々に増加していました。 そして、今ではバスがうんざりするほど増えました。 行政が政策を施行する前に、学者や専門家の中で、ちゃんと討論,研究が行われています。 その結果、害があるという認識に到っております。

回答No.1

どうも、釣りバカです。 何を持って駆逐すべきものを決めているのか、それ以前に命に序列をつけることがどれだけ危険思想であるか、そんな危険思想を掲げるこの国や地方公共団体って…ましてや国がこう定めたからと盲目的にそれにぶら下がる連中は「お国のために、死ね」と特攻隊員に駆り出されても何の疑問も抱かずに素直に死ぬのでしょうか?戦後60年、日本は先人の犠牲から得た教訓を全く活かしていない、特攻で死んでいった御霊は全て無駄死に、ということになりますね。 と少々背筋が凍るような話はともかく、バスの数は増えているでしょうし減っているでしょう。というと「何言ってんだ?コイツ」でしょうが、それには根拠がありまして… 例えばひとつの池があります。ここには合法的にバスが生息していますが釣り人は相当の困難を強いられる立地条件にあり、追加放流もバス釣りによるプレッシャーも皆無とします。観測を始めた時その池にはモツゴ(という小魚)90:バス10が生息し、他のサカナは生息していないものとします。当然バスは“魚食魚”なのでモツゴを喜んで喰いますね。観測を始めて5年でモツゴ50:バス50の割合に変化していきました。 さてここで問題です。3年後にはモツゴとバスの割合はどうなっているでしょうか? 多くのバス駆逐を唱える人は「当然モツゴ10:バス90くらいにはなっているだろ」とか「モツゴ0:バス100に決まってンじゃん」と言いますが、実際には「この前提の池の場合、モツゴ60~70:バス30~40」がほとんどです。というのも最初のモツゴ90:バス10であればバス1尾に対して9尾のモツゴが割り当てられる、しかしモツゴ50:バス50であればバス1尾にモツゴ1尾ととても割当量が少なくなってしまいます。これだけでもバスには苛酷な環境ですが、加えて同じバスでも『捕食が上手い奴と下手な奴』『個体がデカイ奴とチビな奴』『元気な奴と調子の悪い奴』と個体差があります。さらにモツゴでも『逃げ足の早い奴とトロイ奴』『隠れるのが上手い奴と下手な奴』等…当然バスの驚異から生き延びた連中ですから5:5になった時点で逞しいモツゴだらけでバスが捕食するのに苦労する、となります。 そうなるとより強い者だけが生き残る“弱肉強食の原則”によって弱いバスは軒並み捕食できずに絶命します。バスの場合より強い者が弱い者を喰らう、共食いまでして自分の食い分を確保しようとするのでバスの数は減少していきます。 そしてバスの数が減ると今度は捕食されないモツゴの数が増えて再びモツゴ90:バス10に戻ります。そしてまたバスがモツゴを喰って…を延々繰り返すのです。 ある意味興味深く、ある意味とても残酷な話ですが、大自然に組み込まれた仕組みは人間の安っぽい同情心など受け付けない厳しいものなのです。実際フィールドを10年サイクルで見てみると『増加期』と『減少期』がハッキリ見えてきますよ。だから答えは「増えているし、減っている」としか言いようがなくなるのです。 バスブームの頃は釣り人によってある程度間引きされ続けてきたので少々このサイクルは狂っている、というフィールドも少なくありません(例えば減ったから、と根拠のない理由をつけては何かに取り憑かれたかのようにバスを放流し続けた河口湖、とかね)が、ブームが去ってこのサイクルが現れてきているところも多くなっています。 ところがこの大自然が用意している喰うものと喰われるもののバランスは人間のケチな感傷によって崩される事が多々あります。バスは外来魚と言っても大正14年に芦ノ湖に移植され、戦後爆発的に生息が確認されましたが、戦後から考えても60年…もう大自然のサイクルに組み込まれていて当然ですよね。これを田んぼか畑から害虫を駆除する感覚で排除しようとしたら…例えばバスをエサにしていたサギの数が減ってついでにタニシが異常発生して、とか藻を食う小魚が異常発生してそこをキレイさっぱり食い尽くして光合成が行われない死の池になる、とかどんな思いがけない弊害が待ち受けているか分かりません。 私に言わせれば一部の人間の自己都合だけで害魚だ益魚だ滑った転んだと言いたがる奴のほうがよっぽど有害だと思います。大自然の中では、どんな無駄だと思われるような生き物でもしっかり役目を果たしていますからね。

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