- ベストアンサー
皆さんの話を
私はデビューはしてませんがギターで作曲しています。あかの他人が、こういうの聞くのは失礼かもしれませんが、作詞のために、皆さんの恋愛・学校(卒業・部活)話聞かせていただけないでしょうか? ちなみに、私も一つ話そうと思います。 中二では本当に素晴らしい仲間が出来たと思います。二度目の合唱コン実行委員となった私は合唱コンで優勝するために、朝練したり(その後、なんか朝練中止なったんですが)、当時「がんばっていきまっしょい」のドラマの真似して「がんばっていきまっ」「しょい!!」なんてやってました。最終的に優勝できて、私がトロフィー受け取りにいったんですが、涙止まんなくて。なんか、他のクラスから「泣きよぉ」なんて言われつつも、止まんなくて。 その後、教室でドン上げ、まぁありきたりかもしれませんが、初めて本当に「友」を実感できた時でした。 こういうの、人のプライバシーとかなると思うので、答えてもいい、て人だけお願いします。
- みんなの回答 (2)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
- ベストアンサー
では私も中学時代の話を。 中3の時でした。私の親友のお母さんが事故で急死しました。 クラス替え間もない春の事でした。むごい事故でした。 私はショックで熱を出し、お葬式に出られませんでした。 先生もクラスメートも、何とか彼女の力になりたいと、口には出さないけど思ってました。 その思いがクラスをまとめたんだと思います。 男女共にとても仲の良いクラスになりました。受験期だったけど、とても楽しかった。 放課後、彼女の家に集まっては勉強したり、悩みを打ち明けあったり、彼女の家の家事を手伝ったりしました。 朝は彼女が洗濯物を干すのを手伝ってから学校に行くので毎日遅刻だったけど、担任も大目にみてくれました。 一番仲良しだった私は彼女の悩みも苦しみも一番知っていました。 お母さん亡き後、彼女の家族は荒れました。お父さんはお酒をのんでは暴力をふるいました。 それが怖くて、「お願い、今日は泊まって」と言われたことも何度も。 私の親もそれを許してくれました。 みんなが彼女を助けたい気持ちでいっぱいでした。 彼女もそれに応えようとしました。いつも明るく振る舞い、勉強もがんばっていました。 そして亡きお母さんが希望していた高校に見事パスしました。 本当にいい子だったんです。どうしてあんないい子があんな目にあわなければならなかったのか、皆納得が行かなかった。 今は他人の事など無関心な時代ですね。でも昔はそうじゃなかった。 友達も先生も、周りの大人も、みんなで彼女を助けようとしてました。 そういうコミュニティが失われたから、いじめや自殺や事件が起きるのだろうと思います。 人の温かさをたくさん知る事が出来て、私達は本当に幸運でした。 今でもそれが心の宝になっています。 その彼女、同級生と結婚して二児を設け、幸せに暮らしています。
その他の回答 (1)
- jimmy35
- ベストアンサー率26% (468/1774)
直接の答えにならなくて申し訳ないのですが、五感を人の生き方にシフトしてどう感じるかを日々チェックしてください。歌詞ですから、あまり客観的な事象に対するものではいいようには思えませんし、まずはあなたと会話する他人になったつもりであなたが見た・感じた事象を言葉にしてみてください。質問の仕方がまじめに考えられていると感じたのでこういう答えを出しました。 「詩は言葉で作る」とかのフランスの詩人ステファン・マラルメは言ったそうですが、その前に「詩は感性で作る」の基本を常に頭に入れて今後頑張ってください。
お礼
ありがとうございます。 正直本当にためになるお話をしていただいたと思います。
お礼
ありがとうございます。 あなたはとても優しい方ですね。途中涙ぐみそうでした。少しの文でも、こんなに人の気持ちは伝わるものなんですね。