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こんな私。子供を幼児生活団(友の会)に通わせるのは無謀ですか?
もうすぐ3歳になる息子がいます。やっとの思いで授かった子で、大事に大事に育ててきたつもりですが、2歳を過ぎ、反抗期を迎えた頃から、雲行きが怪しくなりました。私自身、大人になりきれていない部分があり、子どものせいで思い通りに物事が進まないと感じることがあると、つい感情的に子供を叱ってしまうことが増えたのです。 以来、常に「このままではいけない」という思いが頭にありますが、これまでにも、さまざまな立場の育児の先輩方からアドバイスを受ける機会があったにもかかわらず、何一つ心に響いたことはありませんでした。 私は高学歴で、元来、批判精神が旺盛です。乱暴な物言いになりますが、自分より「賢そうでない」方のお話を聞いていると、ついうがった目でみてしまい、心の中でバカにしてしまうのです。 そういう自分を、他人の意見に左右され、その都度育児方針が揺らぐよりは「いい」と感じている一方で、もっと素直な、謙虚な気持ちで向き合えたら・・・と願っている自分もいます。 考えてみれば、子供にかかわってやれる時間なんて、人生のごく一部、わずかな時間に過ぎません。学生時代から、どうしても謙虚に学ぶ姿勢を持てなかった自分を反省し、今度こそ生まれ変わるような気持ちで、幼児生活団に飛び込んでみようかと思い始めました。 幼児生活団のことは、あまり詳しくは知りません。友の会のことも、知りません。でもきっと、もっと従順で、子どものこと、世の中のことを真剣に考えている方ばかりが集まっておられるのでしょう。 こんな私が飛び込むのは無謀でしょうか。間違っているでしょうか。厳しいことでも構いません。どなたか、ご意見をお聞かせいただけないでしょうか。
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お礼
>人として、合う合わないはあると思います。 >でも、自分とちがう生き方や価値観でも、認めることは出来ると思うんです。受け入れなくとも。 これまでの人生で、私が最も困難を感じていたのは、自分と違う価値観を持ち、違う生き方を選択した人たちを「受け入れる」ことでした。 受け入れることができないから、無反省に批判を繰り返してきた気がします。受け入れなくてもいい、ただ「認める」という選択肢に、私は今初めて気付きました。 私は、学校のお勉強はよくできました。でもそれは、テストの空欄を埋める能力に過ぎず、まったく実生活に役立てることができませんでした。実社会に出て、いろいろな方々と接するようになって、自分には「大切な何か」が欠落していることに気付かされました。 中身の伴わない学歴があったために、周囲からは「これくらいは当然分かっているだろう」と判断されることが多々ありました。こちらとしてもその期待を裏切れず、今さら自分の無知をさらけ出す勇気もないままに、持ち前の要領のよさだけを遺憾なく発揮して、その場その場をおさめてきました。 自信家を自認する一方で、そういう部分に、拭いきれない劣等感があります。 我が子には、「先生が言うからこうなんだ」「教科書に書いてあるからそうなんだ」で終わらせてしまうのではなく、なんにでも疑問を持つ子になってほしいです。 身の回りの小さなことに疑問を持ち、気付き、感動する感性を持ってほしい。そして、感動したら、それを誰かに伝える「手段」を持ってほしいです。 そして私は、それを助けられないまでも、邪魔しない親でありたいです。 ・・・こうして書いてみると、幼児生活団云々の前に、恥ずかしながら子どもの成長の邪魔ばっかりしている自分に改めて気付かされました。 「どんな子になってほしいか」「どんな親になりたいか」改めて考えるきっかけを与えていただいたことに、感謝いたします。ありがとうございました。