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KAWASAKIの部品供給が遅かった時代。

kawasakiがKAWASAKIだった頃の1970年代、 あらゆるパーツの供給に、やたら時間がかかったと聞きました。 当時の、SS250のオーナーの話では、 国内向け純正部品(ギヤチェンジ部分)に「注文から半年以上待たされた・・・」とか。 そんなことが本当にあったのでしょうか? あったとしたら、原因は何だったのでしょうか? 事情をご存知の方、どうぞお教え下さい。

質問者が選んだベストアンサー

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  • jun119
  • ベストアンサー率37% (309/814)
回答No.1

私は免許歴30年以上、比較的部品の供給の良い関西、それも兵庫県に住んでいます。 昔は市内にバイク屋はありましたが殆どホンダとヤマハでカワサキを取り扱っているのは2軒のみでした。 新車はそこで買うしかなく、また部品はカワサキの扱ってる2軒で買うしか買うことが出来ませんでした。 でも部品では困ったことは全然ありませんでした。 きちんと届くし、雑誌では関東の部品店の広告は高い値段がついてるけどこちらからはなぜそんな値段が高いのか不思議でした。 多分関西意外では供給ルートが悪かったのではないでしょうか? カワサキは兵庫県の明石で作ってますから今でもZ2,Z1の部品なども手に入りますし、車体の塗装もいくらでも売ってます。 私はカワサキ党ですからSS,Z、GPZと乗りましたが普通でした。 部品によっては多少時間はかかりますがこれといって困りませんでしたよ。 考えられるのはカワサキの特約店がホンダのように全国的になかったためパーツの供給ルートが悪かったのではないでしょうか。 注文→店から発注→問屋の発注→カワサキ部品→問屋→店→と横の繋がりが悪かったのかな。

kaz32
質問者

お礼

当時の状況がよくわかりました。回答ありがとうございました。今でもZ1・Z2の部品が手に入るというのは驚きました。

その他の回答 (2)

noname#66624
noname#66624
回答No.3

70年代には中部圏でKawasaki車に乗っていました。 Kawasakiの特約店は少なかったですが半年待ち何てのは無かったと思います。 ZII、マッハIII、W3、Z650などに乗りましたが特段問題はありませんでした。 ただ郡部、山間地などはKawasakiの特約店がまだ少ない時代なので遅かったかも知れません。 >国内向け純正部品(ギヤチェンジ部分)に「注文から半年以上待たされた・・・」とか。 都市伝説はないでしょうか。

kaz32
質問者

お礼

当時の状況がよくわかりました。回答ありがとうございました。この場を借りて回答してくださった3名の皆様に改めてお礼申し上げます。全ての方にポイントを差し上げたい気持ちですが、限りがあるのが残念です。今回は先着順とさせていただきます。ポイントに該当されなかった方、たいへん申し訳ありません。またの機会にご回答よろしくお願いします。

  • buu1031
  • ベストアンサー率36% (108/298)
回答No.2

>あらゆるパーツの供給に、やたら時間がかかったと聞きました 原因はわかりませんが本当です。 私の世代はKHの少し後ですZ400FX以降ぐらいでしょうか。 Z400ZPの時代では随分改善されましたけど。 重工業が主体のメーカーであったため、二輪部門は趣味程度でしか力を入れてなかったのではないでしょうか? 当時都内では本田の部品供給は一日二便でしたがカワサキは週に一回程度だったはずです。 カワサキ品質というのもありました。 凄いものは作るけど仕上げは雑、 新車でも購入後スグあちこちのパーツに増し締めが必要であったりしました。 欠陥率(公ではありません)は間違いなくNo1でした。 ずっと後KR250が発売当時は他メーカーからの風評もあり(YH戦争真っ只中に割って参入でしたから)、かなり販売量は苦戦しました。

kaz32
質問者

お礼

当時の状況がよくわかりました。回答ありがとうございました。

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