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無宗教の方限定!!出来るだけ多くの方にお願いします。
無宗教(無神論)の方への質問です。特定の信仰をお持ちの方はご遠慮ください。 ●問1 差し支えなければ、年齢を教えてください。二十代とか三十代というお答えで結構です。 ●問2 あなたが考える宗教とは何か?無宗教とは何か?定義をお聞かせください。 ●問3 あなたは「何か信仰をお持ちですか?」と聞かれたときに、無宗教であると答える理由についてお聞かせください。 ●問4 現代において宗教には「意味」や「価値」があると思われますか??ないと思われますか??その理由もお聞かせください。 1、ある 2、ない ●問5 ご自身が死んだらどうなるとお考えになりますか??その理由とともにお聞かせください。 (例・死んだら、無になる。生まれ変わる。極楽や天国に行ける。自然と一体となる。等々) ●問6 自分の葬儀はどのようにしようとお考えですか??その方法を選ぶ理由とともにお聞かせください。 1、無宗教での葬儀(音楽葬・故人の思い出をしのぶ会・自然葬・家族葬等々) 2、なんらかの宗教にそった葬儀(仏教や、キリスト教、神道等々の、宗教作法にのっとった葬儀) 3、葬儀をする必要はない。 4、その他( ) ●問7 自分の遺体を火葬後どのようにしたいとお考えですか??その行為にはどのような意味があると思われますか?? 1、お墓に入る 2、山や川や海に撒く 3、廃棄物として処理する 4、その他( ) ●問8 とある科学者が居ました。科学者は科学的で合理的でないものは信じない人でした。その人には一人娘がいて、科学者はこの娘を心から愛していました。ですから科学者は愛する娘が間違った方向へ進んではいけないと、娘に科学的で合理的なことを教えていったそうです。これは合理的ではない。これは非科学的だと。そういった教育を受けた娘は非常に聡明な女性に育っていったそうです。しかし、娘は当時の医学では治すことの出来ない病に冒されてしまいます。科学者はあの手この手で娘の病を治そうとしますが一向によくなりません。すると娘は震えながら父である科学者の手をとって「私ゴミになるんだね?」と訪ねたそうです。 このとき、この科学者は死んでいく愛娘に何と答えればよいでしょう??無宗教の立場からお聞かせください。 ●問9 またこの生き残った科学者は、娘の死後、死者としての娘とどのように付き合っていけばよいのでしょう??(これは宗教的な表現かもしれませんがご容赦ください。)無宗教の立場からお聞かせください。 以上9項目です。私のつたない文章のため文意を理解しにくいかもしれませんが、回答どうぞよろしくお願いいたします。
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お礼
ありがとうございました。
補足
お礼に書ききれなかったので、補足に書かせていただきました。ご無礼お許しください。 補足への回答ありがとうございます。非常に勉強になることばかりでした。自分の意見もまとめてみたくなり、感想とともに私の意見もまとめさせていただきました。 >>証明不可能なことを断言していることが多いのが第一の理由 確かに仏教で言えば「不可思議」という言葉がよく見られますね。 >>宗教は非科学的・非現代的というより、非学問的 確かにその通りですね。ただ、その基準の問題もあるように思います。岸本英夫の『宗教学』のなかで宗教研究には大きく二つの立場を示します。 1、客観的な立場。科学的研究。「宗教現象がいかにあったか?」 2、主体的な立場。規範的研究。「宗教信仰がいかにあるべきか?」 という立場で、harepandaさんがいうのは主に2の立場かと思います。私自身も2の立場を主に学んでいますが、同じ土俵からの批判でないと受け入れられないというのは確かにあります。けれども、それは国語の「雪が解けたら春になる」という言葉を、理科の「雪が溶けたら水になる」が正しいんだという批判を受けられないのと同じような気もします。 けれども、harepandaさんがおっしゃるような部分は宗教の中に確実に存在していますね。もう少し私も熟考したいと思います。 >>宗教とは、科学が弱かった時代に、誤った方向に進化した哲学だと考えます。 そうですね。今の日本のくくりでいう「宗教」の中にはそういった信仰も存在していますね。私自身も考えていかなくてはならない課題だと思って、重く受け止めさせていただきます。 しかし、私は全ての宗教がそうではないとも思っています。そもそも宗教は「理性」を具体的な形で表現しようとしたものだと考えています。人間の脳はトカゲの脳をねずみの脳が覆い、ねずみの脳をサルの脳が覆っているそうです。進化していく過程で、トカゲの脳とねずみの脳を中心に残してしまったことで、中心に古い能があるわけですからサルの脳では押さえきれず感情の爆発(扁桃核に主導権を奪われた状態)が起こってしまうといわれます。そういった能の設計ミスを、理性を具体的な物語として表し補うために生まれたのが宗教なのではないかと考えています。アインシュタインなどは「現代科学に欠けているものを埋め合わせてくれる宗教があるとすれば、それは『仏教』です。科学的探求は特殊な宗教的感情をひき起こしますが、仏教は愚かな狂信的宗教感情とはまったく違ったものです」と、現代科学にかけているものを宗教(仏教)で補うことが出来るともいっています。ですから、宗教は必ずしも「誤った方向に進化した」ものではないとも思います。 >>専門は弁証法哲学ですから、ヘーゲルとキルケゴールとアドルノが好きです。 ひぇぇぇ。私がヘーゲルを語るなど恐れ多いことをしてしまいました。ご無礼の段平にご容赦を。参考になるご意見をいただきました。私の知らないことばかりでした。もっと勉強させていただきます。 >>浄土真宗の塩をまかない習慣はすばらしいですね。 私自身もそのような自負も持っております。しかし、お塩は入れておいてあげてください。確かに、浄土真宗では塩を使う必要はないと説明する必要はあります。しかし、葬儀には他の信仰を持った方々もいらっしゃいますから、いれておいてあげるほうが私は親切なのではにかとも思います。生意気なことを言いました。あしからず。 本当に詳しい回答ありがとうございます。非常に理にかなったご意見ばかりで参考になりました。私自身もっと勉強しなくてはいけないなぁとかんじました。お付き合いいただきました、ありがとうございました。