一番は中国の風習の多くが仏教と結びついていた点です。
仏教伝来と共に風習のみならず衣食住さまざまの物が日本へもたらされました。食ではうどん・饅頭・アンコ・味噌・・・といとまがありません。衣類も絹や綿の製法から織り方・デザインまで。住も日本の寺院建築などは中国そっくりです。要するに当時の最新ハイテクが中国にはあったわけです。
昔の日本人は現在の科学者とは違いますので、霊魂とか神とかの世界観も当然持ち合わせていました。建築や食のような「実学的」な技術とは別として、「呪詛」とか「祈念」の技術として仏教(特に密教)が尊ばれていた点は記憶しておく価値があります。空海・最澄などは良い例です。では呪詛や祈念は誰が必要としてたのか?といいますと、天皇や外戚・貴族たちです。政権争い上、ライバルを呪い殺そうとしたり、逆に政敵からの呪い封じを行ったり。今ではただの「おまじない」程度と思われますが、当時はこれもれっきとした「実学」だったといえましょう。
つまり日本において仏教とは、呪詛や祈念などの価値もあったし、実学的な文化価値もあったし。非常に魅力的な宗教だったわけです。遣唐使などの留学僧は優秀なスピリチュアルカウンセラーであると同時に敏腕エンジニア、鉱山技師、最先端の医者、法律家、最新知識を持った大学教授などをひっくるめたような存在でした。
ですから中国のライフスタイルの模倣の一環として中国の行事が取り入れられたのは想像に難くないです。
その反面纏足(てんそく)や宦官などの制度は採用しなかったわけですから、今のアメリカ文化べったりの日本よりも当時の日本人の方が選択眼があったのかな、と思います。
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