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筒見京平に思い入れある方はいらっしゃいますか
先日昭和歌謡の巨星、阿久悠先生が逝去されました。 阿久先生の功績は今更私ごときがここで語るまでもありません。 ところで阿久先生もさることながら、筒見京平先生の功績にはまさに驚愕と言うしかありません。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AD%92%E7%BE%8E%E4%BA%AC%E5%B9%B3 皆さんの中で筒見京平先生に思い入れある方はいらっしゃいますか?
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70年代の特にアイドルのヒット曲はほとんどが筒見作品ののイメージがあるほどです。 歌番組全盛の中、右下に作詞、作曲、編曲者の名前が出ると、必ずといっていいほど筒見京平氏の名前がありました。 「また筒見」と何度も思いました。 阿久さんはそれほどでもありません。
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- blue5586p
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私が歌謡曲に興味を持ち始めたのが昭和40年代半ば、西暦では60年代後半ですが、その頃は、テレビでは、20時台はどこかのチャンネルで必ず歌謡番組を放送していました。 その頃は、筒美作品が多くヒットしていた頃で、あの名曲「ブルーライト・ヨコハマ」を始め「くれないホテル」「フランス人のように」など、この頃の筒美作品の作詞は、大半が橋本淳さんが手がけられていて 橋本=筒美コンビは「歌謡界の黄金コンビ」と呼ばれていました。 70年代に入ると、筒美さんは、なかにし礼さん、岩谷時子さん、など、橋本さん以外とのコンビも多くなる一方、平山三紀さんの一連のヒット曲など、橋本=筒美コンビもまだ健在、といった面も見せました。 夫婦デュオ(後に離婚しましたが)の「つなき&みどり」との競作となった、シングルB面曲「いつか何処かで」は、個人的に好きな曲で、筒美さんの隠れた名曲といえます。 しかし、75年リリースの郷ひろみ「誘われてフラメンコ」を聞いたときは、もはや橋本=筒美コンビの時代ではなくなったと思いました。 筒美さんの良いところは「演歌に一切手を出されなかった」ことにあると思います。作詞、作曲家の大半の方は、「ある年齢を超えたら演歌を書いてみたい」と思われるそうですが、筒美さんはそうはならなかった。それが今年、香西かおりの「き・ず・な」という名曲を生み出すなど、筒美作品が40年間全く輝きを失わない要因の一つと、私は思っています。
お礼
回答者さんは私と同年代の方と推察します。 「ブルーライト・ヨコハマ」や「真夏の出来事」は私も名曲と思っています。 「いつか何処かで」 「き・ず・な」 この2曲は聴いたことがありません。 聴く機会を持ちたいです
- hottoite
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筒美京平(もと鼓響平)さんは職人です。70年・80年代歌謡の第一人者です。やはりアーティストと言えば70年代「南沙織・麻丘めぐみ・野口五郎・郷ひろみ・太田裕美・岩崎裕美・平山美紀・小林麻美」「いしだあゆみ・尾崎紀世彦・中原理恵」、80代「近藤真彦・田原俊・松本伊代・C-C-B・本田美奈子」等名前を聞いただけでヒット曲が浮かびます。パクリの天才と陰口を言われるほど、洋楽が先行していた時代に巧みに歌謡曲にエッセンスを取り入れ洗練した曲を発表しています。歌手個々のCDはもとより1.HITSTORY~ULTIMATE COLLECTION 1967~1997(8枚組)、2.THE HiT MAKER-筒美京平の世界-作曲家活動40周年記念3.筒美京平 ウルトラ・ベスト・トラックス シリーズ~全20タイトル~のオムニバス集、又自身の筒美京平ソロワークス・コレクション(5タイトル)により概要を知ることができます。DVD「HIT SONG MAKERS 栄光のJ-POP伝説」にて氏自身の珍しい映像を見ることができます。研究本としては「筒美京平ヒットストーリー」「筒美京平の世界」がその膨大な作品をそつなくまとめ上げています。阿久先生同様昭和の代名詞的存在で更に活躍を期待したいものです。
お礼
本当にすべての歌手が懐かしい名前のオンパレードです。 もとは鼓響平だったのですか。 あなたのおかげで、初めて氏のご尊顔を拝すことができました 感謝です
筒美京平 ○ 筒見京平 × 70年代80年代のアイドルの楽曲に筒美さんはたくさん参加されていました。 当時テレビの歌番組で『作曲 筒美京平』の文字は必ず出てきましたね。 でも不思議なことに多くの有名な作詞家や作曲家の方がテレビに出演したり音楽以外にジャンルで活躍しているのに筒美さんはその他のジャンルに進出した話は聞いたことが無く、テレビに出演した記憶もありませんでした。 わたしが知らないだけかもしれません。 露出の少ない謎の人のイメージがあります。 同じように謎の方は80年代のアイドルの楽曲の作詞をたくさん提供した康珍化さんが見えますね。 中国人か韓国人か2世なのかペンネームなのか・・・
お礼
訂正ご指摘ありがとうございます 「つつみ」で一括で変換できなくて、「つつ」と「み」と分けて入力してたのですが、漫然と筒見と変換してて、自分自身違和感を感じていたまま済ませてしまっていました。 実は私も筒美先生のお顔を拝見したことがありません。 康珍化さん、wikiで見てみました。 名前の由来がありませんでした。
- wind-sky-wind
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小学生のころ,野口五郎さんの歌が好きで,よく聞いていました。 「私鉄沿線」「甘い生活」は大ヒットしましたし,特に好きな歌です。 「私鉄沿線」は作曲:佐藤寛,編曲:筒美京平 「甘い生活」は作編曲とも筒美氏です。 佐藤寛さんは,野口さんのお兄さんなのですが,当時勘違いして, 筒美さんがお兄さんだと思いこんでいました。 その後も,マッチ,少年隊,Kinki Kids と新しいアイドルに 作品を提供していくので,常に新鮮さを失わない方だと感じていました。
お礼
氏はいわゆるメジャーな有名人ではないので、私の勝手な思い入れで質問しても回答なんて無いかと思っていたのですが、早速の回答を頂きまして本当に嬉しいです 「私鉄沿線」と「甘い生活」 どちらも良い曲ですよね。 ところで私は当時、郷ひろみがかなり嫌いだったのですが「よろしく哀愁」を聞いて、一発で聞きほれてしまった経験があります。
お礼
本当に驚くほどの作品量ですよね。 ところで私が最初に筒見氏に注目したのは「SEXY BUS STOP」でした。 当時は今よりももっともっと、日本の音楽はレベルが低い、その点洋楽は凄い、なんていう西洋コンプレックスの激しい時代でした。 筒見氏はその現状に一石を投じようとの意図だったのか、「SEXY BUS STOP」を匿名で発表して、世間が「う~ん、やっぱりアメリカのソウルミュージックは良いね。日本の低俗な音楽は違うよ」なんて評価が広がった後に、「へっへ~。実はそれ日本人が作ったんだよ~ん」と公表し、世間の洋楽コンプレックス連中をギャフン(なつかしい表現だなぁ)と言わせたのです。 すいません、余談が長くなりました。 阿久先生については、私も本音で言うと筒見先生ほどの評価はしていません。 しかし世間が認める大作詞家ということで、敬意を表しました