• ベストアンサー

自分というものが解らなくて困っています。

 私は自分を騙して活を入れて人生を乗り切るということを頻繁にしてきました。その結果自分の言っていることや思っていることに対してそれは自分に向けた見栄や嘘なのじゃないか、とか本当にしたいことは難なのか、とかの疑問を持つようになり、自分自身の存在について自分であやふやになってしまいました。  これは危険なことなのでしょうか? それとも誰もが思ってしまうことなのでしょうか?  また、こう思うことに対しての落としどころみたいなものはあるのでしょうか? どうか皆様の体験やこうしたら良いという知恵を貸して下さい。

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • dorce0000
  • ベストアンサー率29% (872/2971)
回答No.4

ここ数年で、そうしたもやもやから解放されました。他にも沢山ありましたので、数年がかりでしたけど。乗り越え方法は多分教えて差し上げられないと思います。人生の山は、各自が登って確かめて成長しなくてはならないためのものだから、時間はかかってもあなたが自作したり発見したツールでないと登りきれないでしょう。 私も天国に住んでいる訳ではないので、これからも悩むことはたくさんあると思います(^^)。最近、 ・自分の本心から(の行動なのか、言動なのか、気持ちなのか) ・それ以外のことから(の行動なのか、言動なのか、気持ちなのか) この区別を、どんなことにもするよう、髪が乱れたら髪をとかすのと同じように習慣にしています。 「それ以外」として考えられるのは、 偽善だったり、媚び、自己防衛、傲慢、コンプレックスから…など色々ですね。質問者さんならお気づきでしょうが、これらは「人から見てどうか」「社会的にどうか」とは厳密にいって違うので、例えば「美人でソツがないと言われるのであえてくだけた人の近づきやすい態度をとっている」というのも、他人からは素晴らしいと言われる事かもしれないけど、その人個人の成長としてはまだまだ疑問符がつきます。自分の中で自分がクリアになっている人というのは、大抵のことは、他人からの視点でも、自分の本質も、社会的な問題とも、自然なバランスを保てます、または変わったバランスの取り方でも本人に負荷がかかりません。 質問者さんはまだ、掛け値無しの自分 ありのまま の状態がきちんとつかめていないので、↑ソレをしたくても(成功したことがないので)考えれば考えるほどできない という感じでしょうか。逆上がりが一度できるまでは大変なのと一緒ですね。 私は完全にではないが、ウソがなくスッキリ生きられる 自分なりの方程式が見つかりました。でもすぐに気づいたのは、それでも何も考えずに漫然と生きていると、人間というのは悪い状態にも戻りやすいんだなということです。過去で時間のたったことは客観的に見られても、今の目の前のことを漠然と生きていると、またこんがらがってしまい、解きほぐす方法は知っていても、後から修正するのは時間が無駄ですから。 だから前述のように、コツコツと小さなことでも自分に問うようにしています。他人にそんな話をしたら、ストイックだとか、考えすぎとか言われるかもしれませんが、私にとってそれは、毎日の小さな掃除をしないせいで、あとで人生の大きな難問の塊の処理に追われるようなことになりたくないがための方法です。また日々そうした感覚を磨かれていると、とっさの直感や判断力もますます良くなるので、どんどん人生が楽になってきます。 自分の本心から と それ以外の区別、最初はそれ自体難しいとは思います。あと、実生活では自分に素直になっても、それをそのまま表現するのがいい場合とそうでない場合、がありますし、言い方を変えると、その方の蓄積によってはそのまま表現しても差し支えないこともあると分かりました。何にでもレベルがあるのと同じように、一概に言えないのです。 ですから私の今のレベルでは、 ・本心から ・それ以外 ・TPOに応じて、または検討中 のフォルダに分類している感じです。本心のままの行動ばかりでないからダメ、ではなくて、私の考えでは、コンプレックスからや自己防御からなのに、その事実を認識できなかったり、すり替えてしまうことが最悪です。 質問者さんのいるステージがどんな状況かはわかりませんが、もし、ある行動の動機が本心以外だとわかった場合も、自分を責めたり虐めたりする必要はないです。私も新たに発覚する、自分の傲慢さなどあります。何もなくなるのは死ぬ時ではないでしょうか。一刻も早くとっちめる、常に理想で純粋な形であり続ける、という神経症的な潔癖さは意味がないように思います。自分の失敗についてもゆっくりと味わい、認識できることのほうが重要だと思います。(失敗にも向き合えるには、自分のいい時も悪いときも、自分を愛せていることが前提です。) 私はそのために、人に見せるためでないブログを持ちました。ブログでも、紙の日記でも、心の中で話すのでもいいでしょう。 今はもどかしい時期かもしれませんが、それにしても良いことに取り組めてらっしゃると思います。求めよ、されば与えられんといいますし、その通りです。本質的なことほど時間がかかる とも言います。でもその時間はあとで振り返れば無駄ではありません。私としては、お釣りがくるぐらいですよ、と言いたいです。よき人生を。

saku0204
質問者

お礼

 乗り越えられたのですか、とても羨ましいです。おめでとう御座います。  dorce0000さんのおっしゃることは焦らず、妥協せず、進みながら考えていくことが良いのだと、そう解釈させて頂きました。どうにも私は自分のステージすら理解できていませんが、それでも現実と思考両立して進んでいこうと思います。「良いことに取り組めて」という言葉は励みになりました。返答有り難う御座いました。

その他の回答 (3)

回答No.3

ああ、よく居ますね。 夢語っても、説教をしても、励まされても全然説得力のない人。 騙さなくていいんじゃないですか? 自分騙してると結局、人に対しても嘘つきになっちゃうんですよ。 「もう本当に嫌なんだけど、やらずにいられない。だから自分で決めたところまでやってしまおう。」 って考えてください。

saku0204
質問者

お礼

 どうにも騙すのが癖になっているみたいで、自分でもそれが騙しているのかどうかすら解らない時があって怖いのです。  何と言いいますか、何かをしているのはいいのですが、その時でも頭の中でそれはポーズなのではないのか? と思ってしまう所があるのです。良くはないとは勿論解っているのですが、考えてやっていることではなく、同列に二つの思考が入り乱れている感じなのでどうしようもなくて。  ただ、やってしまおうと思うことは確かに良いことですね。実践してみようと思います。返答有り難う御座いました。

  • rapisupyon
  • ベストアンサー率39% (908/2278)
回答No.2

あなたが考えていること、あなたが苦しんでいること、あなたが感じていること・・・全てあなたが人間である証拠、生きている証拠です。 みんな、そうやって生きています。 あなただけではないと私は思いますよ。少なくとも、私はあなたと同じです^^ 何歳になっても、何回乗り越えても、次から次からいろんなことがのしかかってきて、葛藤や混乱だらけです。おまけに、いつも最後は自己嫌悪・・・^^; 私はそういうとき、ひたすら苦しみます。悩みます。落ち込みます。 落ちるところまで落ちたら、ある時本当に「よく分からないから、どうでもいいや。」といきなり妙に開き直れてしまう瞬間があったりします^^落ちるとこまで落ちて、ゆっくり考える・・・そうしたら、後は、上がるしかないのです。底がないんですから、勝手に上がっていきますよ^^ こういう過程が、生きていくということなのではないかと思いますよ。 辛いですが、大切な意味のあることです。 苦しみ、立ち止まったり、落ち込むことも意味があると思えれば、耐えられるのではないでしょうか?^^

saku0204
質問者

お礼

 同じように考える方がいて本当にほっとした思いです。  どうにも毎回開き直る境地には至れず、ただ時間のみで癒しているのですが意味のあることと思い、進んでみようと思います。返答有り難う御座いました。

  • harepanda
  • ベストアンサー率30% (760/2474)
回答No.1

人間、生きていて、何がしたいのか、分からなくなることはあることです。本当に自分がしたいことは何なのか、時間のある時にじっくり考えてみましょう。 本当にしたいことと、現実の間で、折り合いをつけざるを得ない時もあります。それはそれで、現実を受け入れて生きていくしかありません。自殺しても、面白くありませんから。 多少、自分で無理をして困難を乗り越えるのは、必要なことですよ。挑戦なくして成長はありません。ただ、無理はし過ぎないように。無理しすぎると、ストレスがたまって、最悪、うつ病になりますからね。

saku0204
質問者

お礼

 そうですね、折に触れて考えてはいるつもりなのですが、どうにも不安定になってしまうので困ったものです。  受け入れて、が一番良い方法なのかも知れませんね。無理の無い範囲でやって、ですね。返答有り難う御座いました。

関連するQ&A