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矛盾した発想
よく恋愛、人間関係、その他人生相談風の質問に対する回答に、「過去に拘泥するな」「(不祥事、トラウマ的来歴を)隠せ」というアドバイスを見ると同時に、過去からの癖で悩むケースには「過去を見つめて改悛せよ」「目を開け、反省せよ」というアドバイスを見ます。 大衆レベルの「知恵」としては、衆知的矛盾があって良いものと考えていますが、適宜な知恵とすればその中間にあると思っています。 しかし、その落としどころとそこへの持ち込み方は、私も良くわかりません。 実際に人間の心理、精神は矛盾したもので、愛せない人を愛したり、愛すべき人を選べなかったり、適宜な精神的コントロールで良好なライフスタイルを構築、保持することは容易ではないと思いますが、その辺りの肝はどこにあると皆さんはお考えになりますか?
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仰るとおり。“ここ”というポイントはなかなか特定できないところです。 結局は経験と勘ですね。 ここで人生相談・恋愛相談の類を見て思うのは、経験の少なさからどうすればいいか道がわからないといった事が多いと思うのです。人間は人生で何度もつまずくもんです。で、その度に経験としていろんな事を考え他者からのアドバイスによっていろんな考え方を知り、また苦悩することで精神的にも強くなっていきます。 その積み重ねで過去の事例と状況を判断して解決する道をおのずと見出せる能力というか勘みたいなものが備わっていくと思っています。ですから自分の考えとしては、なんでも躊躇せずやってみて何度も失敗したり試行錯誤することが自分をコントロールする力をつける早道だと思います。 ※ただし「なんでも」といっても法に触れることと道徳的にNGなことは除きます。
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- Ama430
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あまり恋愛・人生相談カテゴリーは覗いていないので、参考意見になります。 どの分野でも、現状のデータが豊富にあれば、ある程度専門家は、「このような論理でこうするのが良い」という方針を打ち出すことができるものです。 それが科学的なアプローチであり、人間関係においても「心理学」や「教育学」の立場から、専門家による一定の方向付けは可能な場合が多いのだと思います。 「科学は万能」とは思いませんが、「科学ではできることとできないことがあり、それを区別するのも専門家の仕事」ということだと思っています。 しかし、このサイトでは、質問で提供される情報も不十分なことが普通であるし、回答者が全員専門的な知識を持っているわけではありません。 自称「専門家」の中にも、実はほとんど専門的な知識を身につけていない人が多いように感じます。(カテゴリーによってかなり差があるようですが) 個別の問題について、「落としどころとそこへの持ち込み方」を一定の法則で記述することは実際問題として不可能と言って良いでしょう。 もしそのようなものがあれば、かなり気楽にトラブルを乗り越えられそうですが、そういうものがないために、たくさん勉強し、様々な専門家と協力しながらトラブルを乗り越えなければならないのです。 発想が矛盾しているように見えるのは、適切な助言と主観的な意見を混同しているからであり、様々な条件の違いを軽視しているからではないでしょうか。 自分自身は、自分の専門分野では、詳しい状況が判明したときに、いつでも一定の解決の方針を打ち立てられる専門家でありたいと思っています。
お礼
ありがとうございます。 上記と同じ自己レス的ですが、科学的というべくもない世界の話だからなんでしょうね。
- 117xg
- ベストアンサー率29% (141/479)
ここでのアドバイスは、最初ほうに書かれる回答例になんとなく引きずられてしまう傾向があると感じています。 「過去に拘泥するな」という回答があるとすれば、その回答が明らかに的外れで無い限り、その回答を見て多少なりとも同意・加勢したくなるのも事実だと思います。その回答要素は誰しも持ちえて不思議の無い部分だからです。 提起されている二種の回答傾向の例は、普通に考えて単純に思いつく意見であり、それを発端として迎合してくる回答者も多いと思われます。そして結果的に二極分化を呈する結果になるのでしょう。 >その辺りの肝はどこにあると皆さんはお考えになりますか? これを具現的に特定するのは無理ですよ。 なぜなら、質問のケースはそれぞれ全て状況が違うからです。それを具現化、可視化できるのであれば世の中の悩みは一切無くなってるはずです。 結局のところ、その場その場でその時適切と思われる方策でもって事を乗り切るという、いささか不安定で不確かな人生を古代から送ってきているのが人間という生き物の現状なんでしょう。
お礼
ありがとうございます。 自己レス的ですが、こういうタイプの悩みには本来答えなんてものもないのかな・・・なんて思ったりします。
- tips
- ベストアンサー率14% (829/5762)
こんにちは。 『バランス』と『タイミング』だと思います。 愛する人が、目の前で自殺しようとしているのに、 あれこれと、過去の情報を思い出してどんな言葉をかけたらよいか 悩んだり躊躇する人間は、まずいないとおもいます。 とっさに、相手の目を見て、自分の心を愛する人にみせるでしょう。 見知らぬ人が、目の前で自殺しようとしていても、 それが、何の行為なのか、そもそも今の状況の把握や 過去の情報からの自分の判断や迷いなどがあって だれでも、相手を制止するのには、時間や勇気がいるとおもいます。 でも、第三者からみれば、 自分とその相手の関係なんて、他人なのか愛する人なのか 一瞬で見極めるのは、むずかしいとおもいます。 例でいえば、愛する人が、過去に何度か自殺未遂をしていたり 愛する人への信頼や愛情が薄らいだ関係だとしたら、 ほんとうにとっさに、止める事ができるか、不明です。 また、見知らぬ他人であっても、その人の心の機微が 伝わってきたり、あるいはなにか自分の体調やそのときの心が 柔軟なものであれば、とっさに、機転をきかせて 対処して、人助けができる、ということだってありえるとおもいます。
お礼
ありがとうございます。 このようなQ&Aサイトなど関係なく、個人がある判断をするときは、過去、現在、未来を一瞬で総合し、良かれと立ち振る舞いするのは当然、想像に難くない。 自分自身もそうしています。 ところが、このように一呼吸置いて、シリアスな質問が飛びかうと私が問題提起したような2極分化が顕著なんです。 その機微。 その実相ということです。
- crystalsnow
- ベストアンサー率33% (115/342)
人とは学習により成長する生き物です。と同時に忘却もする生き物です。学習し成長するからこそ、同じ困難に直面しても次はそれを克服することができる場合もあり、または過去に失敗したことを忘れ、同じミスを犯すこともあります。 折角学んだことも長い間には忘れてしまうかもしれません。でも忘れることは悪いことばかりではありません。痛みや、つらさは忘れられるからこそまたがんばれるのだと思います。 判断を誤って失敗した「事実」は忘れずに経験として活かして成長の糧とし、失敗した時に味わった「感情や感覚」は忘却のかなたに流し去ってしまえばいいのではないでしょうか。 人の成長には終わりはありません。日々学び、学んでこそ成長してゆきます。だからといって今の自分を不完全として否定する必要もありません。これまでの成長はあなた自身の経験と学習の成果なのですから。当然今の自分に甘んじてもいけませんが。 人は自己否定(このままの自分ではいけない)と自己肯定(自分はここまでやってきた自身がある)を繰り返しながら何層にも積み重ねて成長してゆくものだと自分は思っています。
お礼
ありがとうございます。 あり様とすればそうなんでしょうが、メディアミックスの最適化のような発想があったり、そのコツの可視化がモチーフでの投稿なんですが。
- kaaaiii
- ベストアンサー率21% (31/143)
けっきょくは自分しだいだと思いますよ
お礼
ありがとうございます。 そうですよね。 もちろん、そうは思うのですが、質問、相談するというのは、外への投げかけ、回答も当たりを目指してですよね。 最終決定については、自問自答でも、こういうQ&Aでも同じですが、衆知を参考にしたり、その癖を考究したいという問題関心です。
お礼
ありがとうございます。 そうなんでしょうね。 経験と勘でうまくいかなくて、この辺りに集積するのですから、まあ区々に分かれるのでしょう。 まあ、たかが何々されど何々で使っているのですが。