- 締切済み
付き合うとは・・・
普段異性と付き合っている人は、俺○○さんと付き合っているよとか、私○○君と付き合っているよとか、「付き合う」という言葉を使います。皆さんは付き合うというのはどういうことだと思いますか?? 否定的な意見を言えば、彼氏彼女と友人との違いって性的関係があるかないかの違いでしかないと思ってます。お互い好きということが分かり、心がつながっている場合、別に"付き合う"という言葉を使わないでも心は通じあっているのだからそのままでいいではないか?と思います。 だから付き合うというは一種の"お互い好きだよ~"という確認ということもありますが一番は"性的関係もありだよ(←まぁ一部の人は付き合わなくてもという人もいるかもしれませんが・・・それは例外ということで)"っていう契約のような感じがします。口頭契約をして性的関係もついてきて、世間の人にその証明としてバッチを見せているようなものと感じます。 お互い別れるときには、「私達別れよう」ってなります。気持ちが別れるのは正確には別れようという前ですよね。だから別れようというのは"お互い付き合うという言葉を使って(←いわゆる付き合うというバッチをつけて)お互い人間関係を保つのは無理"という確認の作業としか思えないのです。だって気持ちが別れた時点で別れたってお互い分かるでしょう。 結婚となるとまた違ってくると思いますが恋愛ということで考えてみました(男よりの考えかもしれませんが・・)。 まぁ実際好きな人を前にしていればこんな変なこと考えないですが、いざ冷静に付き合うというのは何??と考えた時みなさんはどう思いますか?
- みんなの回答 (1)
- 専門家の回答
みんなの回答
「付き合う」という言葉は、通常は付き合っている当事者とされる男女の相互認識(恋人同士)という主観的態様と、ある特別の交流という客観的態様を要素にしているように思います。 特別に現在も将来も人生をシェアしようと考えずに肉体関係を持つもの(いわゆるセフレ)もあれば、肉体関係はないが恋人同士という主観的思い入れの強いもの(いわゆるプラトニックラブ)もあり、通常はその中間でしょう。 これらに、結婚のような法的制度や同棲のようなライフスタイル、もう切れた、切れてない、よりを戻したなどのパターン認識がリンクして、「付き合う」という構造になっているのでしょう。 この辺りが、不分明になりがちな現代社会なので、付き合うってどういうことというお若い方々の素朴な質問も多いですね。
お礼
コメントありがとうございます。 中間という表現が新鮮に感じました。人と人との関わりで友人と付き合うとう表現と恋人と付き合うという表現って違いますよね。前者は終わりを感じないが(たとえあっても明確な終着点がない。ただ近づかなくなるだけ)、後者は明確に終わりがおとづれることが多々ありますよね。なんかそこらへんが悲しい感じがします。1人の人間として一度深い感情をもったせいで終わりがおとづれるってことに。だから僕は、自然消滅というのは一番人間との付き合いの終わり方として普通でないかと感じています。人と人との関わりが明確に終わることに悲しさを感じているのだと思います。 変な質問でしたが、回答ありがとうございます。