14世紀からユダヤ政商が計画してきている世界征服・・・
その大切なキーマンとして何世紀もの間のシナリオで配役されてる人物だから・・・?!?
明治からのユダヤ政商の日本における人脈パイプの大元だから・・
日本政府そのものが、
安部氏をつぶすと、
米軍からの戦争というあから様ではないが、
??!?ヤラセ地震?(仮定)、鳥インフルエンザ等の生物兵器攻撃?
エイズの導入?マクドナルドなどから狂牛病を導入されるかもしれない・・??!?
それでなくとも。。日銀は日本国民よりも、信仰のボスであるユダヤ政商に帰依してる・・?!?
今の中越地震も起こって直後に、米軍が調査視察を申し出ている、
それがその後、
一週間ほどたってからIAEAに代わってる・・・
かつての、、カメラマンなら、現場をフォーカスしたものだが、、
色々壊してから、記者を中に入れている…可能性・・・?!?
安部氏になってしばらくして続いた、
船会社事件で、、
事件直後の錆びてぼろぼろの船が
一週間後テレビで映ってるときには、
塗りたてピカピカで、あたったとされる部分だけが凹んでいた・・
この手のヤラセを使ったのだと思う・・
今回の東京の元女子アナ当選も長崎民主党当選も、、
知事の権限で、
投票箱か投票結果を変えられてる可能性はないだろうか??!?
なんか・・クサイ・・??とお感じになられませんでした??
日本に対しては・・・
(ウィキと故・矢島きん次博士の大変な調査から大急ぎでS59年三流の出版社から直接国民に宛てて出版された本から)
1919年(T8)時点からすでに・・・
5/30、英米双方の初の円卓会議 inパリのマジェスティック・ホテル
国際問題のテーマ:急進展している日本経済の弱みはどこか?
発展要因は何か?
海軍力5・5・3でもめた時には米海洋戦略はどうすべきか?
結論: (1)実業的、政治・政策的、学問的アプローチを
持続的に研究し続ける
(Institute of International Affairs外交問題協議会)を設立し、
(2)アメリカ部会でではCFR、
英国部会でRIIAとして活動する
同年あったこと・・・
★アフガニスタン:1919~1929 ユダヤ政商の傀儡政権?(日本でいうと岸・佐藤政権時代?!)アマヌラー・ハーンの治世で、
婦人解放、進的近代化政策を行い国民の信頼を得るよう努め、
本心を見抜いている宗教指導者や旧勢力を骨抜きにしようと
特権剥奪という名目で、
彼らの指導力をそぐ政策を弄するが
国民的反発を招くことになる・・・
(これを米メディアは日本などに非民主主義だと流すわけですが・・)
1919年:Iww直後、III次アフガン戦争、勃発。
英領アフガニスタンが英領インドに侵攻し、独立にみとめさせる
ハビブッラーが暗殺され、
アマーヌッラー・ハーンが即位宣言。
5/3 IWW直後、英が疲弊した好機に、
対英ジハードを唱え、
ハイバル峠の国境に進軍し、
英領インドのパシュトゥーン人の決起も促すが
英領インドのパシュトゥーン人の反乱を恐れた
英インド帝国当局は挑発に乗り英軍を動員、
英軍カブール空爆、IIIアフガン戦争が始まった。
アフガン軍が英領に進行したものの戦況は押され、
英カブール空爆で、インド帝国側のパシュトゥーン人支援もふさがれた。
米ユダヤ政商がバックについてるものだから!
開戦早々に戦線膠着。
5月末にアフガニスタン側は停戦、申し入れ、
6/3、休戦
8/8、ラワルピンディー条約
アフガニスタンの外交権回復し、完全独立を達成となっているが・・・・その政権の真相は・・??!?
現在に至る序章ですか・・・Huuu・・
★1906年、フランシス・リンドレ-、
日露戦争の日本勝利の翌年東京来訪し、
シフやロスチャイルドが日本に大金を貸し付け、
その返済の裏交渉の為に、表向きはイギリスの外交官として2年間滞在
cf:フランシス・リンドレ-・・・
シフやロスチャイルドが日本に戊辰戦争から、
戦争資金大金を貸し付け、日露戦争をさせた・・
05年、日露戦争の日本勝利
06年、フランシス・リンドレ-、
イギリスの外交官として2年間、返済請求交渉
30年、英の円卓会議で、
アメリカが日本経済植民地化に英米連合でするよう決定。
31~34年、英フランシス・リンドレ-、正式の大使として、米グリュ-と連携し日本滞在
cfグリュー・・・1925(T14)年、ロックフェラーの支援でホノルルで結成された太平洋問題調査会(IPR)で、
戦中さえも、日本を裏切るという悪気なく、
ひたすら!?!統一国家?千年王国?の実現?到来?理想郷?を心にしのばせた信心深い日本人クリスチャンらにより、
日本の政権内の実情は筒抜けであり、
彼らは信仰のもとに自分のしていること、宗教指導者に指示されてる真相に疑いを持たず、
誠実に、まじめに、クエーカー教徒色を色濃く残し、
黒船ペリーの子孫であるグリュー通じ、彼の姻戚の米ユダヤ政商モルガンの指示に従った・??!?・・・という視点を考えてみる・・!?
31年9/18、 満州事変、勃発
1930年、英円卓会議で、日本の満州事変の最終計画
駐日英大使、フランシス・リンドレ-(ロスチャイルド家の一族)が着任
(英米ユダヤ金融財閥が、満州事変シナリオをする為に、日本国内に送り込んだエ-ジェント??)
↓
★石井四郎にすでに細菌戦部隊の必要性を説き、英米独留学させ、
この年31年、設立させる
1940年、関東軍防疫給水部長(731部隊)
1945年、軍医中将、8月、ソ連軍侵攻によりハルピンを脱出し帰国。
1931年9/18 満州事変が勃発。
1905年、大日本帝国、日露戦争で勝利
↓
日露講和条約
戦勝国の権利である賠償金権利は捨てる代わりに、
旅順、大連の租借権と
長春 - 旅順間の鉄道満鉄を得、その警備を関東軍が担当。
(当初は、地元軍閥長・張作霖と協調してたが、
1928年、関東軍は張作霖が乗る列車を爆破(張作霖爆殺事件)
↓
息子の張学良の抗日策:
蒋介石(南京国民政府への合流)を決行(易幟)。
満鉄すぐ横に新鉄道路線などを建設し、安価な輸送単価で満鉄を経営危機に至らしめる。
関東軍は価格の公正化を再三抗議するが聞き入れられず、
↓
1931年9/18夜22時すぎ、柳条湖事件:
実際は、関東軍の虎石台独立守備隊が行った自作自演を、
関東軍は張学良ら東北軍による破壊工作と南次郎陸軍大臣は断定するが、
対し、幣原喜重郎外務大臣(男爵)は関東軍の謀略疑惑を表明、
関東軍は政府の決定を無視し
↓
1931年10/8、奉天から錦州へ退散してる張学良を関東軍はさらに空襲。
南次郎陸軍大臣は若槻礼次郎首相に自衛行為として報告し、
満州軍事占領(石原莞爾、板垣征四郎、CFRに超略されてる関東軍に手玉に取られ、若槻首相決断)
この陸軍の政府と別に動き始めた独断的軍事行為で、幣原外相の国際交渉も木阿弥になり、
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11/13、関東軍、国際批判をかわすために溥儀の清朝政権樹立させる
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1932年1/7、米国務長官スティムソン・ドクトリン:
日本の満州侵略による中国の領土・行政の侵害と、パリ不戦条約に違反する一切の取り決めを認めない
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1932年1/28、上海事変:上記、米国の干渉を避けるために国際都市、上海で日華両軍の衝突
↓
1932年1月、紛争解決者として!リットン調査団結成
英リットン卿(枢密顧問官・元インド副総督)、仏陸軍中将植民地軍総監 、独元ドイツ領東アフリカ総督、
米マッコイ陸軍少将 、オブザーバーとしては、日外交官・吉田伊三郎、中外交官・顧維鈞
↓
1932年10/2、リットン調査団報告書
満州は、中国主権自治政府の樹立
ただし、
国際連盟による外国人顧問指導下の行政権
国際連盟による特別警察機構による治安維持
日中両国は「不可侵条約」「通商条約」を結ぶ。
ソ連参加を求めるなら、別途三国条約を締結
↓
1933年3月の総会決議
↓
松岡洋右全権日本はこれを不服として、同月に国際連盟を脱退
↓
日中戦争
↓
ポツダム宣言受諾、無条件降伏
この経過の中で・・・
この暗黒の時代の中で・・・
戦場で血にまみれることもなく、、
反戦をつぶやくが、特高にもつかまらず、
美しい言葉や精神だけで過ごせて来れたごく少数の英雄日本人が・・・・
ペンシルベニア発祥のクエーカー信仰からできたものみの塔(現、エホバ?)をロスチャイルドはチャールズ・テイズ・ラッセルに支援して作らせている・・
彼は、東洋にも同様信仰集団組織をシナリオしたという・・?!?
(統一世界、第一次大戦勃発年をハルマゲンドンと予言し、
ロスチャイルドが株で大儲けして出発点となった、
ナポレオン大敗でカトリック勢力から植民地が解放され、
英領となった年を
実はイエス?再臨しているという・・)
このプロテスタント・キリスト信者・・・西園寺公望らを??(仮定?)!?!
1925年の「ジュネーブ議定書」(生物化学兵器の禁止)の年に
ロックフェラーは太平洋問題調査会(IPR)をホノルルで結成し、
上記信者たちを結集させている・・?!?
戦前、日本人クリスチャンが多数参加した国際的な組織。
IPRはハワイのYMCA(キリスト教青年会)の汎太平洋YMCA会議の発展組織として
1925(大正14)年に設立、
この年ホノルルで行われた第一回会議に始まり、
1958年(S33)年の第13回ラホール(パキスタン)会議を最後に消滅
途中、1936年(S11)、第6回ヨセミテ(米国)会議を最後に日本IPRは開戦の為表向き解散するが、
情報パイプはつながっている・・・・
一つの理念を胸に!?!?? ??
1950年、第11回ラクノウ(インド)会議で、戦後再結成され、日本IPRの復帰している
が・・・
初期日本IPRを背負ったのは・・
日本近代資本主義の父・渋沢栄一(評議委員会会長)、
井上準之介(初代理事長)、
新渡戸稲造(二代目理事長)
活動の中心は新渡戸の一高時代に影響を受けた新渡戸人脈・・・
高木八尺(一時クエーカー)、
前田多門(聖公会からクエーカー)、
鶴見祐輔(晩年クエーカー)、
高柳賢三、那須皓らに委ねられる
樺山愛輔も第3回京都会議に参加し、
彼の弟子・松本重治、
牛場友彦(この両者は、父の代からアジア主義で、
資本主義を嫌い、とらわれのない交流と知識欲正義感をもった、公家でありながら!父から借金を背負ってる不遇の近衛秀麻呂が、自殺されたとなってる隣室にいて、
彼が自殺を思い詰めていたと証言している・・・
又、同じ公家としてライバル関係にある親英米主義の西園寺が、
早くして父を亡くした近衛を親英米に向けようと尽力している・・・?!?・・・??
樺山の女婿・白州次郎。
IPRは新渡戸、渋沢、樺山の弟子達の集会化
樺山・・・
満州事変直後、険悪となった日米関係の修正に渡米し、
訪問先は:
ボヘミアン・クラブ(米国エスタブリッシュメントが一同に集合)
また、グリュー(モルガン家と姻戚。妻アリスの大叔父は黒船を率いて来航したペリー提督)を通じ、米金融界のモルガン家とのパイプを持つ
井上準之助亡き後、モルガン家のJ・P・モルガン社・名会長・トマス・ラモントとの親交を引き継ぎ、
戦後樺山の長男・丑二はモルガン銀行東京支店顧問に就任
薩摩の松方正義の孫・松本が携わった国際文化会館事業を通じ、
ジョン・D・ロックフェラー三世とIPRで親密
IPRのスポンサーにはロックフェラー財団も名を連ね、
IPRは、ロックフェラー家がサポートしている
トライラテラル・コミッションや
ウィリアムズバーグ会議の前身とも言える。
このロックフェラー三世人脈は後に吉田茂へも引き継がれ、
土佐犬を飼い犬にしている・・・・??!?
で!現在のチワワのような太郎お坊ちゃまが出来たというわけ・・?!?
松岡外相が戦争を進めたのは納得できるが・・
私には・・本来、日本国民の立場で踏ん張れるだけの
思考法を持ち合わせたと思える近衛秀麻呂が
どうして! 戦争内閣を持つことになったのかが、、
とても!!フシギで仕方がない。。
何か隠されてるような気がしてならない・・
それを解明すると・・・
戦争への真相が解けるようにも感じる・・
何があったのか??!? フシギ・・・
西園寺公望は、政敵でもある42才年下で、
12歳にして襲爵し近衛家の当主となるが、父が残した多額の借金をも相続した、叛骨的な近衛文麿の聡明さを高く評価し、
文麿を彼の父のアジア主義よりも
西園寺は自分の欧米型自由主義の後継者として文麿を育てようとしている・・少なくとも!表向きでは・・・ ・・・・ ・・・??
お礼
僕も安倍さんは庶民の気持ちがわかってないと思います。 個人の意見としては別に日本が美しい国ではなくていいです。 それよりももっと住みやすい国にしてほしいと思っています。