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何を信じて良いのか・・・混乱しています

こんにちは。 亡くなった身内について、 周りが色々言ってくるようになりました。 内容は、 「成仏していない」と言う事です。 そう言われると、 とても心配になります。 でも、それを言った人(占い師とか潮来とか・・・)も、 絶対本当の事を言っている保証もないので、 全く信じる事もできません。 そうかと言って、 (私は会っていないのですが) 誰かが 「成仏していない。お墓がないからだ」とか言い出したり、 潮来さんが、 亡くなった人に成りすまし(?)いろいろ言ってきたりすると、 (その成りすました時に発言した事が、  たまに「どうして知っているんだろう?」って言う発言  だったりしますよね?偶然にしても謎。だから尚更) 不安でたまりません。 今まで、 何とか自己流で供養してきましたが 「それだけでは成仏できない」と自分を批判までされ、 不安と不満は増え、気力と体力は減りました。 潮来や霊媒師に会ったのも身内なので 全くの他人と言うわけではないので、 この意見を無視する事もできないの(むしろ強制され気味)ですが、 私は元々占い師とか信じていない方だったので、 自分のやり方を信じていましたが、 「成仏していない。体は苦痛のまま」と言われている今、 一体誰の発言を信じて良いのか?わかりません。 私は、 「亡くなった身内は、もう苦痛から開放された」と思っていたのですが もし、そうではなく苦痛のままだったらどうしよう・・・ と非常にソワソワしており、 誰の何を信じて良いのかわからなくなっています。 お墓がないと成仏しないのでしょうか? 何(誰)を信じれば良いのでしょう? 混乱しています。

みんなの回答

  • ya-ya0219
  • ベストアンサー率25% (10/40)
回答No.6

ご供養は形にとらわれなくても良いと思います。 生きている私たちの気持ち、まごころ次第だと思うので。 お墓があるにこしたことはないでしょうが、 立派なお墓を立てても、お墓参りに行かない人がいますよね? 家にお仏壇があれば、お仏壇に手を合わせれば良いのです。 聞いた話ですが、故人が成仏したかどうかは、 残った家族で決まるそうです。 いつまでも亡くなったことにくよくよせず、 元気ハツラツにいる家族は、故人も心配することなく成仏し、 生まれ変わりの旅へ出られるということなのかもしれません。 また周りからとやかく言って来たら、 「私はあなた方よりも故人のことを想っています! ご心配は無用です!!」と言ってやることです。 ちなみに我が家のお墓は、市営のなのでかなりお安いみたいです。 祖母が抽選で当てたそうです(笑) 周りは家紋を入れて立派ですが、父がそんなのいらない、 と言って、何も入れていません。 ほんとに形ではなく気持ちなんだと思いますよ。 (我が家にはお仏壇があるので、 しばーらくお墓参りには行ってません。お母さんごめんね!)

  • michael-m
  • ベストアンサー率50% (2724/5433)
回答No.5

お墓と言うのは「拠り所」です。 例えば、のっぱらの真ん中で、亡くなった人の顔も想像せずに、亡くなった人に集中する事は楽でしょうか? 亡くなった人の顔や想い出を頭に浮かべたほうが集中できるでしょう。 更に想い出の場所に行けば、もっと集中できるでしょう。 お墓も先祖や亡くなった人に神経を集中して祈りをささげる為の拠り所なのです。 そして、墓石の持つエネルギーがお互いの想いを繋がりやすくするので、亡くなった人にとってもアンテナのような役割を持つのです。 (神殿の鏡や榊も同じようなものです) お墓がなくても、代わりのものがあれば、完全ではないにしても同じ作用がありますし、祈りは墓の前だけで行なうものではありません。 だから、お墓の前で神妙にしていても寺を出た途端いい加減な事をすれば、墓を詣でた甲斐はありません。 もし、なにも拠り所を持たないのであれば、周囲の声はなくなった方々の声かもしれません。もし、拠り所を持っているなら気にする必要は無いでしょう。だた、拠り所を以って集中して祈る事をしてみて下さい。  本当に亡くなった方が墓の建立を望んでいるなら、その後に、そのためのチャンスを与えてくれるはずです。期を逃さない為にも墓の為の資金を少しずつ貯めて行っては如何でしょう。

回答No.4

5年ほど前に主人が亡くなりました。 私は無宗教ですし、お墓、お経、仏壇等は生きている人たちのためのものだと思います。 つまり、ご先祖様を敬い、亡くなった人たちのことを忘れないために、その象徴としてあるものだと私は解釈しています。 (人それぞれでしょうが・・) 私の勝手な考えですが、亡くなった人があの世で心配しないように 生きている私たちが精一杯楽しく、一生懸命人生を生きていくのが その方への最大の供養ではないでしょうか? それが一番成仏につながるように思います。 (何度もいいますが人それぞれでしょうけど・・) 何より大事なのはそういった象徴がなくても、いつも「忘れないでいること」だと思います。 少し肩の力を抜いて考えてもいいのではないでしょうか?

  • ginga3104
  • ベストアンサー率23% (510/2208)
回答No.3

 僕は不熱心な仏教徒です。ですから、参考程度に。  僕は霊とかそう言う別世界が有れば有ったで面白いと思います。(仏教では死後の世界を説いていません。)  でも、残念ながら、そう言う供養とかそんなものを信じている方々もいますし、日常に何らかの変化が起きた場合にその要因に、そんな目に見えない要因を挙げる方もいらしゃるのも事実です。  で、僕は、誰が心配なのかを基準にします。  自分にとって大切な人がそう言うことで心配なのなら形だけでも整えてあげましょうと。しかし、無理なものは無理です。例えば、何百万もするようなお墓に新調しろだとか、そんなのは無理です。(僕がお金持ちならたぶんするけど)  お墓に関しては、確かに無いと不便でしょうし、無いのは一般的でないですね。(僕は要らないけど)  本当になくなった方が成仏したか否かは、誰にも判りません。しかし、成仏していないと信じる人にとっては成仏していないのです。  貴方に助言をされる方々は貴方にとって大切な方々ですか?これからもお付き合いをしたいですか?このままの関係を続けたいのなら、貴方のできる範囲でその助言に従ったら良いだろうし、どうでも良い人なら、聞き流せばよいだけのことです。  僕はお墓にも仏壇にも神棚にもあまり拝みません。ですが、それを敬う方々が居る限り(養母など)、それを無くすつもりも汚すつもりも有りません。ご参考になれば幸いです。  PS.お墓に関しては今は共同埋葬なども有りますので、費用も10万円前後位ですから何とかなる範囲だと思います。そんなのもご検討されたなら如何でしょうか。

回答No.2

私は全く霊感はありません。ですから、これはただの慰めのように聞こえるかもしれません。 その点はご容赦ください。 そもそも亡くなった方に対する世界共通絶対のご供養の方法などあるのでしょうか? 宗教宗派によっても全く方法は変わってくるのです。 ですから故人を想う方法は千差万別で当たり前だと思うのですがいかがでしょう? どんな遣り方でも故人を想う心さえあれば正しいのではないでしょうか? 私の父はまだ存命ですが死んだら海に遺骨を撒いてくれ、墓はいらないと言います。 だとしたら父の気持ちに沿うことが亡くなった後の父に対する一番の供養になる気がします。 死んでも一番近しかった人が故人の望む方法を判っているのではないでしょうか。 所詮、ご供養は亡くなった方を偲ぶ残された者の気持ちの問題です。 私なら死んだ後に大事な人がそんな事で責められたり辛い思いをしていたらかえって成仏できません。 t13cさんが幸せになるのが一番のご供養じゃないんでしょうか。

noname#136967
noname#136967
回答No.1

お遺骨は、どうされましたか?お遺骨を、どなたかの家などに置かれたままでは、決して成仏されることはありません。きちんと、お寺やお墓に埋葬されない限りは、何なりと不幸や夢にも出てこられ、成仏していないと言う現象が。早急に、お寺やお墓にきちんとお坊さんに依頼して、埋葬してあげることです。

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