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ゆとり教育は昔は支持されていたのですか?

私は現在20そこそこの年齢ですので、ゆとり教育導入が議論されていた 時の世論がどのような感じだったのか詳しくわかりませんが、ゆとり 教育が導入された時はやはり国民の過半数程度が支持していたのでしょうか?

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回答No.10

「ゆとり教育」が支持されたか否か正確にはわかりませんが、週休2日制は定着したのではないでしょうか。その結果、学力低下が叫ばれるようになりましたが、週末に塾通いしている子供は増えている実態があります。教育現場が、学校から塾へ、あるいは公立学校から私立学校に変わったと言えます。従って、「ゆとり教育」が支持されたか否かを判断することは難しく、教育不足と感じた親は、それなりの対応をしているように思います。 子供の数が減少している一方で、新設大学が増えつづけ大学入学定員数が増加したため大学全入時代に突入という噂も耳にします。大学入学に相応しい能力(学力)が無くても大学入学が可能な時代になってきました。入学後は、さぞ大変なことと思います。大学で高校の補習をしている国立大学も多いと聞き、大学のイメージも大きく変化しています。これも「ゆとり教育」の結果の一端かと思います。 我が国が先進国になった以上、「敗者復活が可能な教育制度」が必要と感じます。就職における年齢制限を撤廃すべきだと思います。年功序列の社会制度を取りやめる時期がきているように思います。結局、就職で年齢制限があるため、結果として「敗者復活」ができません。教育評論家や文科省の官僚は、優秀なので挫折もなく生きてきた人たちです。世の多くの人は、人生の途中で色々な理由で挫折を味わっています。「敗者復活できる制度」さへあれば、人生のやり直しに挑戦する人も多くなると想像します。 必要なら、人は勉強すると思います。そうすれば、「ゆとり教育」の是非など議論する必要はありません。人生、死ぬまで勉強と、誰かが言っていたのではないでしょうか。

その他の回答 (9)

回答No.9

教育でよかった時代はあったのでしょうか。なにがよくて、何がよくないのでしょうか。けっきょく人間は回顧的になると、昔はよかった、今は悪い、となります。 学習指導要領がどのような意図と経緯でなされてきたのかを理解したうえでの論議なのかを館gなえる必要があると思います。 そもそも、「ゆとり教育」と名づけられましたが、現場ではだれもゆとりなどとは思っていませんし、報道によって生み出された虚構です。つまり、このような名称をマスコミがつけたことで、どのような心象を植えつけようとしていたかを考える必要があります。 また、学力低下といっていますが、学力の定義は諸説あって、コンセンサスは得られていません。学力=得点とだけされているなら、昔ほどがりがりに詰め込ませるようになっていないのだから、数値が下がるのは当然です。学力の定義を考える力や意欲など、表面化しづらいものまで広義にとらえているにもかかわらず、数値化できる範囲で評価していることにも無理があります。 学力低下の根拠となるOECDのテストも、そもそも、問題にあるような思考訓練、学習訓練がなされていないので、1位なんかとれるはずがありません。そのテストの妥当性をどれだけの人が検討したことかが疑問です。 子ども不在の教育改革提言がなされ、誰が困っているのか。教育を人気取りの場にしないようにしていただきたいと思います。どの内閣においても教育改革と掲げ、悪に立ち向かうようなスタンドプレーは大いに迷惑。参院選が近いからなのか・・・・コツコツと子どもに心血を注いでいる、一隅を照らす人々がいることを忘れないでいて欲しいものです。

kenkkou
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。ゆとり教育が最近批判されているので 昔はどうだったのかなーと思ったのですが、教育に関しては短い期間で はなかなか判断することが難しいですよね。学力低下が叫ばれてますが 、その原因がなんなのか、本当にゆとり教育だけが問題なのか、そもそも本当に日本の子供の学力は低下しているのかなど一概に判断することはできないような気がします。そもそも、ゆとり教育を受けた子供が 社会に出て活躍するのはまだ先でしょうし。

noname#46596
noname#46596
回答No.8

導入を進めていた人の話では、本当に目指していたゆとり教育は実現できなかったみたいですよ。 もともとペーパーテストで良い点を取るだけの偏差値秀才ばかり育てるのではなく、もっと考える力、生きる力を育てたかったのだと思います。 ではなぜ変な方向に行ってしまったのか? 1.適切な指導ができる教師がほとんどいなかった。 2.制度をいじって授業時間やカリキュラムを減らしたことが、学歴信仰および入試にペーパーテストが残る現状においては悪者扱いになった。 3.そもそも考える力を身につけされるのに授業時間を減らす必要はなかった。新しいカリキュラムを加える以上、むしろ授業時間は全体としては増やすべきであった。 実は現在でも平均で見れば日本の子供の基礎学力は世界でもトップレベルだそうです。 もっともそれはペーパーテストで良い点を取るという意味においてです。 もっと大事な現実世界で生きていくための思考力や判断力は弱いと思いますし、もっと鍛える必要があると思います。 こちらにおいても入試シーズンのころになると「A大学とB大学(どちらも難関大学)両方受かりましたがどちらに入学したら良いでしょう?」といった質問が多いことがその表れのような気がします。

  • ucok
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回答No.7

他の方もお書きになっているように、「ゆとり教育が支持されていた」というよりは「受験戦争偏重型の教育が非難されたいた」といったほうが正確ですね。実際、今は“学力”が落ちていると言いますが、ゆとり教育導入前だって、テストの点はよくても、実社会で使える何かを学び取れていた人は少なかったですよ。その“ゆがんだ教育”の代替案として、ゆとり教育も試してみようか、といった感じだったという印象があります。 ただ、個人的な感想としては、ゆとり教育は、たぶんにアメリカなどの教育の真似をしていて、それは高度経済成長期を欧米で過ごして帰国した人々の影響という気がしてなりません。何を隠そう私もそんな70年代の帰国子女だった者です。確かにアメリカの教育(私はアメリカと日本の教育しか体験していません)には日本とはまったく違う利点や魅力があり、それを懐かしむ元赴任家族の声をいろいろな場で見聞きしては、私もそれなりに頷きました。しかし、アメリカの教育にも欠点は多々あったわけです。とりわけ落ちこぼれ対策はお粗末で、とかく学業優秀な現地邦人は、それを見逃しているんじゃないかという思いが常に私にはありました。日本でも、いざ蓋を開けてみたら、落ちこぼれた子の救済が甘かったですね。 また、週休二日制導入の直前には、ニュースで街頭インタビューの映像が流れたものですが、多くの親が土曜日をどう使っていいかわからず、2日間も子供が家にいるのも面倒だという声は多かったですね。欧米ならもともと、日曜を「意識的に」ミサや家族との時間に費やす代わりに、土曜をレジャーに、という倫理観があるのに、日本ではそれが一般化していなかったわけですから、ちょっと糸が切れた凧みたいな感じはあったのではないでしょうか。 一方で、新聞の投書欄や知人・友人の意見を見聞きする限りで言うと、ゆとり教育は今もそれなりに支持されてはいますよ。たしかに理想のゆとり教育は、いまだに実現されていないように思いますが、実社会と机の上の勉強を、より深く結びつけたのは意義深かったと思います。 というわけで、そもそも、教育が本当に良かった時代なんて、本当はなかったんですよ。できることなら、これから、良くしていきたいですね。

  • yosimako
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回答No.6

ゆとり教育は、実現されていないのが現状です。単に土曜が休みになっただけです。10時間で10のことを習っていたのを10時間で8習うとするならゆとりは生まれます。また、12時間で10習うことにするならゆとりは生まれます。ところが、内容を削減すると同時に、履修時間も削減したのですから、教育にゆとりは生まれません。8時間で8習うとするのですから。当然、学力が低下するだけです。しかしながら、それをなんとか食い止めようと文部省は躍起になっていますから、ゆとりどころか以前よりも平日の余裕がなくなり、窮屈になっているでしょう。 ゆとり教育とうたいながら、実はゆとり教育を実現させていないのが現状だと思います。それなのにゆとり教育の見直し云々というのは、大きな誤りです。

回答No.5

ゆとり教育前に学生生活を終えた者です。 ゆとり教育=「詰め込みではなく自分で考える力を伸ばす教育」ということを目的としていたと記憶しています。 当時、日本の世界的教育レベルは基礎学力(計算や識字率)は世界トップであったと記憶してますが、応用力がそれに比べると低いとされてました。 その原因は詰め込み教育にあるということでゆとり教育を導入することになったと思います。 ところが蓋を開けてみたら授業時間を減らして基礎学力を落として当然応用なんてできることも無くという完全に逆効果になったわけです。 個人的にはゆとり教育の方が授業時間が少なくなって授業にゆとりが無くなっていると思います。

回答No.4

1970年代に受験戦争えの批評がキッカケで1980年からゆとり教育が開始されたわけですが、さまざまな資料を読む限りでは当時からあまり支持されていなかったように思われます。 その後1990年代の半ばで土日が休みになり、2000年以降では授業内容が減少し・・・ ますます学力格差が広がり、文部科学省はへの風当たりは強くなってゆき・・ そして最後は国民の予想通り学力低下し文部科学省は批判されたとさ。 親もゆとり子もゆとりという今の社会を恐ろしく思う今日この頃です (ですが残念ながら私もゆとりです。親は高齢なので外れてますが・・。)

  • fujic-1990
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回答No.3

 よく勉強する人は塾へ行くようになるし、塾へ行かない人はますます勉強しなくなるだろうと言われていたと記憶しています。黙殺されましたねぇ。やってみなくちゃ分からない、という面はどうしてもありますので、無視するほうも楽だったのでしょう。

noname#34123
noname#34123
回答No.2

ゆとり教育はそれ以前の偏差値重視、進学重視教育のエスカレートにより子供(若者)の人格が歪められたと解釈された事により、文科省が制定したものです。 それまでは終身雇用が常識の時代でしたので、いい大学に入り、いい会社に入る事により生涯の生活の安定が得られると考えられたのです。 しかしバブル景気によってその常識も破られました。 一流企業の社員がバブル崩壊によるリストラの憂き目にあいました。 それまでの常識では想定外の出来事だったのです。 エリート官僚やエリート社員による不祥事や、家庭内暴力、陰惨ないじめ等の社会問題も増えました。 それを教育のあり方から変えようとすべく「ゆとり教育」が打ち出され打わけですが、結果、功を奏したとは言えない「格差社会」を生んでしまいました。 もちろん教育のせいだけの問題ではないのですが、少なくとも「ゆとり教育」は失敗だったと誰もが認めざるを得ない結果に。 「ゆとり教育」に限らず、文科省の方針は国民の意見を常に無視していると私は考えます。 当時も国民にゆとり教育が支持されていたという記憶はありません。

noname#39970
noname#39970
回答No.1

国民が過半数? http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%86%E3%81%A8%E3%82%8A%E6%95%99%E8%82%B2 どう考えても一部の(削除) 一般市民は 学力低下を「心配」し、結局現実の物となった。

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