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黒澤明などは北野武を評価するが、一般の日本人が北野映画を酷評するのは、なぜ?
【1】1993年に黒澤明と北野武は御殿場にある黒澤家で対談をしている。 黒澤明が「僕は君の映画が好きでね。余計な説明をしないでズカズカ撮っているでしょ。そこにリズムとリアリティがある。それに君の映画は間が良い。カットとカットの切り替わるところに映画の命が吹き込まれる。」と褒めると、 北野武は「僕は日本の映画はほとんど観てなくて 技巧的なことはわからないんですが、画面の緊張感を生む黒澤監督の色んな技法を盗ませてもらいました。生意気ですが・・・(笑)」 とテレた敬愛で返していた。 このように北野映画は黒澤明に愛されていたことは事実です。 死を目前にした黒澤監督は、「日本映画の未来は彼に任せた」と言っていたことは黒澤組など映画関係者の間では有名です。 【2】主人公を聾唖者にした『あの夏、いちばん静かな海。』は映画評論家・淀川長治に絶賛される。 「あのね、日本の映画の歴史の中でね、一番言いたいくらいあの映画好きなのね。なんでか言うたらね、あれってとってもサイレントなのね。サイレントだけど見とったらラブシーンが一番いいのね。」(淀川長治『キネマ旬報増刊 フィルムメーカーズ[2]北野武』) 『あの夏、いちばん静かな海。』は「キネマ旬報ベスト・テン」で読者選出ナンバーワンを獲得した。 しかし、高い評価にもかかわらずヒットせず。 【3】ヨーロッパでの北野武の人気を決定付けたのは、1993年のカンヌ国際映画祭で上映された『ソナチネ』である。 フランスでは『その男、凶暴につき』から『ソナチネ』までの4本の監督作品が上映される北野武レトロスペクティヴが企画され、毎回盛況だったという。 イギリスではトニー・レインズらの働きで『ソナチネ』のロンドン映画祭への招待、さらには『みんな~やってるか!』のワールド・プレミアが催された。 1994年、イギリス国営放送BBCが「21世紀に残したい映画100本」の一本として『ソナチネ』を選び、イギリスでの北野映画の極めて高い評価が示された。 アメリカでは、映画監督のクエンティン・タランティーノが『ソナチネ』を買い取り、公開した。 彼は北野武を三池崇史らと並べ「バイオレント・ポップ・ワイルド・ジャパニーズ・シネマ」と呼び、新スタイルのバイオレンス映画と高く評価している。 しかし、高い評価にもかかわらずヒットせず。 【4】『キッズ・リターン』もカンヌ国際映画祭「監督週間」に出品された。 おおむね好評で、日本では単館上映にとどまったが、興行面で成功。 一般に受け入れられた始めての北野映画となった。 【5】『キッズ・リターン』でロンドン映画祭に参加していた武の歓迎食事会に、英国人プロデューサーのジェレミー・トーマス(『戦場のメリークリスマス』『ラスト・エンペラー』)がやってきた。 彼は『BROTHER』の構想を武から聞き、協力を申し出る。 『BROTHER』は日本で2001年1月に公開され、9億円の興行収入を記録。 北野映画としては最大のヒットとなる。 しかし、娯楽色が強い作品を作ろうとも、北野武は年間ランキング10位すら入れない大ヒット作とは無縁の監督であることが示された。 ちなみに、この年の年間ランキング1位は宮崎駿監督『千と千尋の神隠し』の304億円である。 【6】『HANA-BI』はベネチア国際映画祭のコンペティション部門に出品され、ダントツの1位で金獅子賞(グランプリ)を受賞。 日本映画としては1951年の黒澤明監督『羅生門』、1958年の稲垣浩監督『無法松の一生』に続く3度目の快挙だった。 しかし、映画監督・北野武の評価の高さは、海外からの逆輸入だった。 武はこう言っている。 『いま、日本人が日本文化を意識するとき、どこから意識するかというと、日本人の視線でいまの日本を意識するんじゃなくて、「外国から日本を見た人間の視線」で日本文化を意識してるんじゃねぇのかなって思う。』(「ツーアート」) 黒澤明、淀川長治、タランティーノ、トニー・レインズ、ジェレミー・トーマスなど、映画監督・解説者・プロデューサーは北野武を高く評価します。 海外でも「キタニスト」と呼ばれるファンを生み出し、評価が高いです。 しかし、一般の日本人は北野映画を評価せず、受け入れていません。 それはなぜでしょうか?
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↓に「オフィス北野」の代表取締役社長であり、北野映画のプロデュースを手掛けている森昌行氏のインタビューと、 http://business.nikkeibp.co.jp/free/tvwars/interview/20060310005414.shtml 北野氏を主役し、映画を監督した崔洋一氏のインタビューがあるのですが、 http://business.nikkeibp.co.jp/free/tvwars/interview/20060310005407.shtml ↑を読んでみますと、”一般的な日本人”にとって見たい映画は、「北野映画」ではなく「日本映画」なのではないかと感じました。 そう感じた部分を引用しますと、 森昌行氏 >日本の映画界は北野武に対する正当な評価を避けてきたと思うんです。伝統ある日本映画の中で、北野武は異分子というとらえ方なんでしょうね。もちろん、私たちはホリエモンじゃありませんから、革命児だなんて言った覚えはない。日本映画界を背負っているという意識があるわけでもない。ただ「北野映画」を作るだけで、日本映画うんぬんにはこだわっていません。 だって、どこの国で作られた映画かなんて関係ないですよ、今は。問題は誰が作ったかでしょう。 崔洋一氏 >僕は、たけしさんの評価は、日本映画全体の評価とは別のものだと思う。もう僕たちは、「日本映画の俊英としての北野武」なんていう考えを捨てなきゃいけない。誰が撮った映画が面白いのかという話だけであって、どういう影響を持つのかではない。 (中略) 映画の観客は世界中にいるわけです。国を代表するということではなく、誰の映画かということで受け止めてくれることが映画にとっては一番生産的なことじゃないかな。 日常生活でも同様だと思うのですが、とかく日本人は「個人」や「個性」が剥き出しになると嫌悪感を抱く事が多いのではないかと思います。 北野氏の映画は、何を撮っても「北野武」がはっきり出てしまい、それに対する嫌悪感が出易いのではないでしょうか。 北野映画を評価する国内の映画関係者や欧州人にとっては、監督の「個性(作家性)」がはっきりしている事が好まれるでしょうから、”一般的な日本人”との乖離が生まれてしまうのではないかと感じます。
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- leaf_2006
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No.1のとおり。北野が前面に出てくる映画はもういらない。 あとは任侠、時代劇、殺し合いといったジャンルばかりだから。
お礼
そうですね。 ありがとうございました。
- CKshield
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ちょっとレベルの低いところからなんですが、劇場入館料も影響していないでしょうか。1800円(ぐらいですか?)出してまで、彼の映画を観たいとは思えません。それなら2年程待って、テレビで観ます。彼の映画がテレビ放映された時の視聴率はどうなんでしょうか。さほど低くなかったと記憶してるんですが。海外の人達は彼の映画全てを評価してるんでしょうか?賛の評価はテレビでもよく観ますが、否の評価をしている海外評を観たことがありません。だから僕個人的には、海外で評価が高いというメディア報道に疑問を感じざるをえないのです。日本人も評価していないって事はないと思うんですが。賛否両論はあっても。ただ、海外の評価に辟易している人達は多いと思います。それは報道の仕方に問題があるのではないでしょうか。
お礼
「この映画見たいけど、1800円を払う価値があるかな。」と思う映画は多いですよね。 朝日TVなど日本メディアの報道の仕方にも問題があると思います。 ありがとうございました。
- chandos
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なんかピント外れなこと言ってる回答者もいるようですが(笑)、失礼ながら、そもそも質問者さんの前振りが万全ではないと思います。「一般の日本人は北野映画を評価せず、受け入れていません」とありますが、この「一般の日本人の評価」とは具体的に何でしょうか。ひょっとして「興行収入」のことですか? ならば答えは深く考えずとも明かです。それは、彼の映画の多くが一般大衆を対象にした娯楽作品ではないからです。「ソナチネ」とか「TAKESHI’S」みたいな映画、どう考えても普段ハリウッドの大作を楽しんでいるフツーの観客にはアピールしませんよ。これは北野映画に限ったことではないでしょう。国際的に高い評価を受けた日本映画は他にも結構ありますが、それらがすべてヒットしているわけではないです。 反面“ヨソから持ち込まれた企画”である「座頭市」は27億円の興行収入を上げるヒットとなってます。言うまでもなく「座頭市」は一般大衆向けのネタで、誰でも知っている題材です。出来も悪くなかったので、これはヒットして当然でした。 結論として、北野武の映画はたいてい“マイナー(ミニシアター向け)”であるから一般大衆にアピールしないのであり、「座頭市」のようなメジャー受けする題材であれば客は入るということです。要するに北野武の作風がどうだというより、俗に言う“メジャーとマイナー”の違いに収斂されるってことでしょう。彼の映画がマイナー指向なので、それなりの商業的評価しかないのは当然です。質問タイトルに「一般の日本人が北野映画を酷評する」とありますが、一般ピープルは「酷評」できるほどマイナー指向の彼の映画を観ていません。
お礼
特に具体的なものなどありませんよ。 私の周囲で「たけしの映画はつまらない。」「たけしの映画は見たことない。」と言っている人が多い事です。 確かに、「ソナチネ」や「TAKESHI’S」は、一般大衆を対象にした娯楽作品ではないです。 「座頭市」や「Brother」は、一般大衆を対象にした娯楽作品です。 結局は“メジャーとマイナーの違いに収斂されるってこと”ですか? ありがとうございました。
まず、北野武が天性のフィルムメーカーであることは歴然としてますよね、黒澤や淀川さんも彼の映画監督としての性質を認めてるわけで、日本文化うんぬんの問題じゃない。一般の日本人の北野武の評価が低いとしたらそれは映画を映画を観る目がないから。日本人がもっと映画を観る目があればもっと良い日本映画が生産されるはず、が、現状はこれです..? 日本人が日本文化を意識する時、外国から日本を見た人間の視線であるというのはその通りかと思います。日本文化なんてそもそもそんなしっかりと存在したんですかね?少なくとも戦後の高度経済成長後、平成やら昭和から、その場しのぎの文化だったのでは?私は日本文化を教えてもらった覚えはないし、見出せもしないし、そんなこと知ってろと言われても困りますね!日本人がそもそもその実在を疑う日本文化を外人が分かっているのかも疑わしいものです。幻みていませんか?
お礼
黒澤明の「七人の侍」が公開された時は、朝日新聞などが「自衛隊の賛美につながる!!酷い映画だ!」と言って、国民もそれに同調して酷評したらしいですね。 その後、海外の映画祭で賞を取ってから、日本でも再評価されたとか。 日本文化は確実にしっかりと存在していますよ。 江戸時代、室町時代以前から存在していますよ。 私は出版関係の仕事で海外と交流する機会が多いので、様々なところに日本文化を実感する毎日です。
- komimasaH
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なぜ外国人に評価されるのか?音楽と同じではないかと思います。 尺八や琴を使った音楽は、日本人が日本人として外国人に期待される 演奏をすると拍手喝采です。ところが、ルチアーノ・ベリオのような 系統の音楽はシーンです。武満徹が評価されるのにはかなり時間が かかったでしょう。そういうものです。 演劇や映画は、どうも歌舞伎をベースに評価しているのでは? 黒澤の映画もかなり様式的です。たけしの映画もかなり外国人が 日本人に作ってもらいたい様式的なつくりかたをしているようです。 一般の人がどう考えているのか?端的に言ってつまらないからです。 それしかありえません。その理由は千差万別でしょう。私の考えを 言ってもその一部でしかありえませんが、他人がどう考えているなど 分かるわけはありませんので回答のしようがありませんので、 私の感じ方をご紹介します。 ・そもそも外国で評価されているから、日本でも評価されるべきだ という発想がご質問の裏側にあるように感じます。 日本の映画評論家が評価するから映画に行くかというと そうでもありません。それと同じでむしろ自分の判断で 見る見ないを決めている今の若い人たちは健全です。 (見ない理由は聞かないと分かりませんけどね) ・私は黒澤の映画は評価しません。様式的すぎる。ワンパターンです。 小津安二郎の日常生活を描いた映画はそのまったく逆の判です。 個人的には黒澤はやりすぎ、小津はつまらんことを題材にしすぎ です。日常生活を思い出したくて映画に行くのではありません。 三島由紀夫は小説の題材は庶民が経験するようなものにはしたくない と書いています。本来小説や劇、映画はそういうものだと思います。 ・ということで黒澤の流れを汲むような感じのするたけしの映画は 面白くありませんので見ません。 ・では評価するのはというと、 スタンリー・キューブリックか、タルコフスキーくらいです。
お礼
私の周囲にも「たけしの映画はつまらない。」と言っている人は多いですね。 なんで「つまらない」と言っている日本人が多いのだろう? その理由を知りたいのですが。 ありがとうございました。 >外国で評価されているから、日本でも評価されるべきだという発想がご質問の裏側にある これは100%ないですね。 例えば、アメリカで社会現象を起したジャパニーズホラーの「THE JUON 呪怨」などは大嫌いです。 海外で最高の日本アニメと言われている大友克弘の「AKIRA」も好きではありません。 黒澤明の初期の作品の「生きる」や「野良犬」は好きですが、海外の評価の高い「乱」「影武者」はイマイチです。 単純に私が北野映画を好きなだけです。 小津安二郎の日常生活を描いた映画はもっと好きですね。 余談ですが、初期の三島由紀夫作品は読めますが、後期の三島由紀夫は悪魔に魂を売ったようで気持ち悪いです。
私がドラマや映画を見るに当たってまず重視するのは役者の演技力です。 洞察力には自信を持っています。役者の上っ面だけの演技では何も伝わってきません。 例えば「笑う」ということをとっても、哄笑、苦笑、憫笑、冷笑、嘲笑など、漢字の数だけ(実際はそれ以上)表情があります。当然使い分けが出来なければ役者として失格です。またそういう表情を演出できるシナリオも必要ですね。 いかに腕のいい役者をそろえるか、出演してもらえるかでも監督としての器が見えると思います。 まずこの部分において、文化の違う国の人間が一つのシチュエーションのもとで同じ表情をするかというと、そんなことはありません。よって日本人の言いたいことを口にしない習慣から生まれる微妙な表情による表現は、諸外国の人には伝わらないことでしょう。 北野映画はそういう部分に頓着していないので、外国の人は気にならないでしょうが、私としてはもの足りないものを感じます。 次にカット割り。どこで区切るか、どうリレーしていくか。監督としてのセンスが問われます。 カメラアングルもそうです。興味本位にクレーンを使って俯瞰で撮っても無意味な演出ですから。 必要とされる要素としては、被写体をどの距離からとらえるか、(バックに写るものの範囲また写り方が変わることで、見てくれが違ってくる)どの角度から撮るか。(角度によって表情を誇張することも出来る。睨む顔は若干上から撮るなど) この部分においても、北野作品はスルーしているように思われます。 上手い作り手だと、台詞のない人物にカット割りで心の言葉を伝えさせているものもあります。 それ以外にも照明の使い方や、現実的には不適切、またはあり得ないことでも、映像美として成り立っていれば取り入れるのはありですね。 以上が私の映画に対しての評価基準です。 一つの映画が賞を取るとき、作品の出来が評価を受けるものとは別に、他の事情によってもたらされるものもあると思います。そのことに関しては記述しませんが。
お礼
なるほど。そういう映画の見方をする方もいらっしゃるんですね。 今回のカンヌ国際映画祭でグランプリを獲得した「殯の森」の主演は近所で喫茶店を営む素人男性らしいです。 では、河瀬直美の「殯の森」や大学生が作る自主作品もあなたにとっては物足りないですね。 武のカット割りのセンスは黒澤明も評価しているし、私も北野映画のカット割りは好きです。 >台詞のない人物にカット割りで心の言葉を伝えさせているものもあります。 それがまさしく北野映画だと思います。 トニー・レインズは台詞の少ない武の映画の魅力についてこう語っています。 「異常な強調と細部描写、会話より映像による表現の優位性、すばらしく特異なリズムとペース。」(『キネマ旬報』1995年2月上旬号) 言葉で説明しないということは、映像で物語を進めることです。 イタリアの映画記者セバスティアン・シャータウザーは次のように言う。 『まず、彼の映画は「被写体の外にもテーマがある」ということ。 彼の映画を観ていると、映画の中には表現されていないテーマを直感的に感じ取画を観ていると、映画の中には表現されていないテーマを直感的に感じ取ることができる。 イタリアの多くの監督はこういう作り方はしないんだけども、キタノ映画を見ている観客はそれを常に考えさせられるから、知らず知らずのうちに映画に参加させてしまうんだ。』 (セバスティアン・シャータウザー「別冊カドカワ 総力特集北野武」) この後文章は「結局、イタリア人は映画を観て理解しようとしたり、考えたりすることが好きなんだ」と続く。 黒澤明が北野映画を褒めた部分は 1、余計な説明をしないでズカズカ撮っている。 2、そこにリズムとリアリティがある。 3、カットとカットの切り替わるところに映画の命が吹き込まれる。 に共通することだと思います。 巷で上映しているハリウッド映画ほど、余計な説明が多くて、リズムが壊れ、リアリティを失い、命が吹き込まれていない映画が多いとおもいますよ。 あなたのような考えを持っている人がいると知っただけで収穫になりました。 ありがとうございました。
お礼
まさしくそうですね。納得しました。 ”一般的な日本人”が見たい映画は、「一般的な日本映画」であって、「個性」が剥き出しになった映画を日本人は嫌う。 巷には「これが日本映画だ!!」というパターンにはまった紋切り型の日本映画がどれほど多いことか。 ありがとうございました。