• ベストアンサー

九州を走っていた急行列車

現在、九州内での急行列車はくまがわしかありませんが、かつては九州にはどのような急行列車が走っていたのでしょうか。よく祖母から昔は急行で大阪方面まで行ったと聞かされましたが本当にあったのでしょうか。わたしはくまがわとつい最近 廃止になったえびのしか知りません。教えてください。

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
回答No.1

昭和50年代では(それ以前は分かりません) ぎんなん(博多~熊本) かいもん(小倉・博多~西鹿児島) ゆのか(博多・小倉~大分) 日南(博多・小倉~宮崎・西鹿児島) 出島(小倉・博多~長崎) 弓張(小倉・博多~佐世保) 平戸(博多~筑肥線・松浦線・大村線経由~長崎) はんだ・あさぎり・ひこさん・日田(日田彦山線関連) 由布(博多~別府)久大線経由 火の山(三角・熊本~別府)豊肥線経由 ちくご(長崎~熊本)佐賀線経由 西九州(長崎~別府)久大線経由 錦江(宮崎~西鹿児島) 運行区間は主なものです。一部変則的な運転をする列車もありました。 上記のほとんどの列車は、特急に置き換っています。 それから、前述のえびの・くまがわ 大阪~九州の夜行急行では 阿蘇(熊本行き) くにさき(大分行き) 雲仙(長崎行き) 西海(佐世保行き) この4列車は、特急用14系座席車を使用しており、急行としてはデラックスな車両でした。 「かいもん」「日南」の各1往復は、九州内夜行として活躍していました。 現在のドリームつばめ・ドリームにちりんの前身です。 その他、山陰~九州連絡の「さんべ」「あきよし」がありましたね。 なお、「出島」はデビュー当時は呉~長崎の急行で、後にそれまでの「いなさ」が「出島」と愛称変更をしたものです。 この頃の急行は、ほとんどが沿線の地名・名所を愛称にしているのが伺えます。

noname#5001
質問者

お礼

早速のご回答ありがとうございます。                                                 一昔前まではこれほど多くの急行列車が走っていたのですね。その多さにびっくりしております。            それなのに今ではくまがわだけ…。寂しいですね。

すると、全ての回答が全文表示されます。

その他の回答 (3)

  • nozomi500
  • ベストアンサー率15% (594/3954)
回答No.4

やはり「急行・高千穂」でしょう。30年ほど前のことです。 東京-西鹿児島を28時間以上かけて走っていました。たしか途中、宮崎だったかで、停車時間が一時間ほどあったような・・・? なお、もっと昔、「さつま」というやつは、東海道線と日豊本線を「W夜行」で走っていたらしい。(夜出発して、翌々日の朝に到着) まあ、のんびりした時代ですね。

noname#5001
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。28時間とは…、すごいですね。今では鹿児島~東京間は飛行機で2時間もかからないでしょう。時代の変化を感じますね。

すると、全ての回答が全文表示されます。
回答No.3

山陽新幹線ができるまでは、大阪-博多間に電車急行”つくし”が走ってました。もう少しさかのぼると東京-西鹿児島間に”桜島”や”高千穂(日豊線回り)”という座席車と寝台車を連ねた客車列車が丸1日以上かけて走ってました。あのころは飛行機はもちろん特急も高嶺の花でお金持ちの乗り物でしたから、子供ゴゴロに特急なんて一生乗ることはないだろうと思ってました。そうそう”ひかり”も新幹線より前に九州のディーゼル急行の名前に使われていたそうです。

noname#5001
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。「ひかり」がかつて九州の急行の名前に使われていたなんてびっくりです。

すると、全ての回答が全文表示されます。
  • kata_nin
  • ベストアンサー率31% (38/120)
回答No.2

NO.1のTaninohitoさんの回答を見て、涙しました。懐かしい名前ばかり。私も、1980年代初頭の大学時代、「雲仙・西海」や「阿蘇」で関西へ向かったもんです。 座席の背の間や、通路に新聞紙ひいて寝てました。青春だったなあ…。 急行は集散離合を繰り返し、まだあったかもしれませんが、私の記憶するところでは急行「天草」がありました。 京都~熊本間の、筑豊本線経由の珍しい急行でした。

noname#5001
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。かつては迂回して目的地に向かう列車が多いようです。 リバイバル運転が九州で早く実現してほしいですね。

すると、全ての回答が全文表示されます。

関連するQ&A