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障害者の扱い(欧米と日本)
洋画の中には、障害者を結構ギャグの題材として登場させる例があるようです(車椅子の暴走とか・・・)といっても、悪意ではないと思います。私としては、うわーしんどいな、こんなことやっていいの?って感覚なんですけど。でも慣れると抵抗なくなっていきます。 日本で障害者を扱う場合、どうもこういう明るい例を知りません。なにか国民意識的な傾向があるのでしょうか。それとも、国家予算の福祉対策とか政治的な問題でしょうか。その相乗効果でしょうか。また欧米では何故こんなに、障害者にオープンな感覚が受け入れられるのでしょうか。
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私もこれはよく思うのですが、やはり日本では、良くも悪くも、まだまだ障がい者というのが、普通の存在ではないということがあるのでしょうね。 テレビ番組などで取り上げられるときも、「こんなに頑張ってる」「一生懸命生きている」みたいな切り口ばかりで、実際の障がい者の人の生活がどういうものかなんて、ほとんどわかりません。 私は、障がい者の人も人間なので「毎日だらだら寝ていたい」とか「新しいゲーム早くやりたい!」とか思ってるだろうと思うし、障がい者の人がそういう普通の生活ができる環境になるようにするのが、福祉なんじゃないのかなぁと思っているので、報道での取り扱いなんかは、逆に障がい者にがんばりを強制していて、特別扱いが消えない原因のいったんだろうと思っています。 問題になりそうなことには、なるべく当たり障りのないように、というのが正しい場合もあるとは思いますが、もっと障がい者が普通の人として認識されたほうが、バリアフリーのための工事なんかも、邪魔だなぁとか思われずに受け入れられるんじゃないかなぁと思います。 ごめんなさい、なんか全然回答になってないですね。
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- ucok
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日本にも「毒舌」や「思いきり」というものはありますが、総じて、英米の方がブラックユーモアと冒険を好み、日本は石橋を叩いて“渡らない”お国柄だと思います。映画に限りません。障害者の扱い方に敏感なのも、変な扱い方をするとうるさく言う人が多いのもさることなら、そのうるさがたに対して正面きって「いいじゃないか」と表現の自由を貫く製作者が少ないのだと思います。作者はよくても出資者が黙っていないというのも含めてですが。 しかし、近年では、それも変わりつつあると思います。『ジョゼと虎と魚たち』は、かなり暴走気味の障害者が主人公ですし、マイナーながらも、エッチでどろどろした障害者を、障害者自ら描いた小説はあります(すみません、題名を忘れました)。テレビドラマ『オレンジ・デイズ』も、ギャグでこそありませんでしたが、性格の悪い障害者が主人公でした。ここ1~2年で、「友人Aが何の必然性もなくハーフ」という設定のドラマが増えてきました。それだけハーフや外国人が当たり前の存在になってきたのだと思います。「友人Aが何の必然性もなく障害者」まで、あと一歩ではないでしょうか。 尚、アメリカを初めとした海外でも、障害者を「理解しようよ!」とか「がんばっているね!」という見せ方で描いているものは、まだまだたくさんあるにはあります。だからこそ「みんなが大事に扱いたがる障害者を、わざと大胆におちょくる」というギャグが成り立つわけです。両方アリの世界なんですね。
お礼
解説ありがとうございます。 よくわかります。石橋をたたいて渡るのとわたらない差が出ているようなものでしょうかね。 英米さらに仏あたりも大胆果敢に障害者を扱います。ある意味成熟してますね。
初めまして。 海外では障害者を「個性」と受け止めているようです。日本人の場合、心のどこかで同情してしまう事が多いのではないでしょうか。なので、「障害者は一般人とはちょっと違う枠」に収めてしまいがちだと思います。障害を持っていたとしても、1人の人間としては変わらないというその明るい考えが海外にはあるのかもしれませんね。 そうゆう気持ちになれないのはやはり島国が影響しているのかもしれません。 確かに街を歩いていて、障害の方が前方から来ると日本人は必ずと言って良いほどその人を見ますよね。 テレビなどでも、障害の事をとりあげると、涙を流しながら見たりする。あれって、心のどこかで「自分よりも不幸な人がいる」っていうのを見て同情しながらも、ほっとしてたりすると思います。 でも海外ではそれはないです。 日本人も障害を「個性」として受け止められたらいいですね^^
お礼
ネアカ文化とネクラ文化かもしれません。わるい意味じゃないです。特徴としてということです。英は島国でも植民地の歴史がすごいからかもれません。純粋培養みたいなものからでない雰囲気はありますね。まだまだ日本は成熟していないでしょう。
- projectA
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日本は障がい者の方を特別扱いしているからです。 お互い足りないところを助け合おうという精神の変わりに、ただかわいそうと思ってしまうのでしょうね。 障がいを持っていようと持ってなかろうと<同じ人間同士>という意識が低いのでしょう。 アメリカという国のそんなところは好きですけどね。
お礼
やはり、純粋培養文化というか、村意識というか、外部の人間を受け入れるという感覚に乏しいのでしょう。それは、おそらく芸術分野ではマイナスに働きますね。
私は障害者です。 欧米では障害者はこのようにオープンです。 日本では国民性がこういったものを許しません。 テレビだって障害者番組以外に障害者ってでないでしょ? 日本でやろうと思えば障害者がやっても自虐ギャグだと思われますし、よけいに寒くなるのでしょう。 他人がやれば障害者差別。 又、逆に障害者を褒める、称えるだけの日本の現在のあり方に私も疑問です。 明るい障害者って結構いるんですけどねえ。 >慣れると抵抗なくなっていきます。 その通りです。 うれしいご感想です。
お礼
欧米の差を思うとき、たいへん残念な心地がします。おっしゃるとおり「国民性」というやっかいなもの、おそらく長短ある中で、どう考えても短所であるところが、こういうところに出ています。 どうしても、社会的背景が芸術の分野、エンターテイメントの分野でその表現に制限を与えてしまうという、残念な状況です。 まず、文化社会がある程度時間をかけて変わるしかないのでしょう。
お礼
「こんなにがんばっている」の捉え方は、別の言い方をすると「よそ者の特殊な人間」なんですよね。どうしても距離を持ちたいということらしい。何たることかと思っても、深い文化に根付いているのか、容易に抜けそうにない。まだまだですね。