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「結果を残せ」という言い方
よく仕事の分野で「結果結果」と言っています。 どうも腑に落ちないのは「いい仕事をしろ」とあまり言われない気がする。 「いい仕事」と「結果よし」は大体つながっているものじゃないですか。 それなのに、あまり内容に言及していないのは、あまりにも皮相的なんじゃないかと思うのですが、あえて「内容より結果だ」と言う必要があるのでしょうか?
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企業の仕事の場合は、N0.5さんの回答のように使われることが一番多いと思います。 「いい仕事」と言うのは主観的評価。「結果よし」と言うのは客観的評価(客観的な数字等で判定できる評価)。 個人的には「結果よし」(客観的評価)が主観的評価よりも常に正しいとは限らないと思います。 ノーベル賞を取った田中耕一さんがいい例です。「画期的ないい仕事」をしたのに、賞をもらうまで、会社からは「結果が出てない(製品は全然売れていない)」と言う評価を受けていたそうです。
- himara-hus
- ベストアンサー率41% (385/927)
「良い仕事」というのは、主観や立場、見方によって変わる面が多いです。 また、概して「良い仕事」を強調するときは、結果が出ていなくて「言い訳やなぐさめ」に使われるケースが多いですね。 また、結果がわかりにくい部門(総務、経理など間接部門)はこちらの方が良く使われます。 営業など数字ではっきり評価が出るところは、ぐちゃぐちゃ言わずに結果を出せと言われるでしょうね。
お礼
仕事の内容によりますね。 ただ、営業に対して「結果結果」と葉っぱをかけるのはどうかと思います。いい仕事をすれば、相手が人間なんですから、売れますよね。逆になおざりなアコギなことやれば、売れませんよね。「丁寧にかつ大胆に責めろ」というのと「結果」至上主義はどうも違います。
- ksr-n
- ベストアンサー率34% (10/29)
例えば大工さんが自分の納得いくまで丁寧に作り上げた(いい仕事)としても工期が長くなったりして採算が合わなければ結果はダメということですよね。 セールスでお客様の要望を出来る限り請けてあげるとお客様も満足、それをしてあげたセールスマンも満足(いい仕事)だがそのせいで利益が薄いとこれも結果はダメです。 いい仕事イコール結果良しとは限らないのです。 結果より中身をみて欲しいと思う気持ちも分からないでもないですが、会社としてはやはり結果が出ないと成り立ちません。 質問者さんはきっといい仕事と結果が伴ってるので疑問に思うのでしょう。
お礼
後期が長いとか採算が取れないとかは、トータルではいい仕事ではないでしょう。いたずらに経費をかけることで、確かに非常に「いい仕事」にはなります。でも、常識と言う枠で考えれば、多分そういう制限も含めたいい仕事は結局利益を生みやすい。
「いい仕事」と「結果よし」との間には、飛躍という過程が存在します。 例えば、水温30℃の水1ccがあったとします。 これを1℃上昇させるには1カロリの熱量を必要とします。 この熱量を加える過程が首尾よくいって「いい仕事」と評価されたとします。 やがて、沸騰という最終局面を迎えます。 1気圧であることを前提にすれば、水は100℃で沸騰します。 いわゆる熱量の蓄積が水の存在様式という質を転化させる段階です。 ところで、水1ccを沸騰させるには、実に750カロリーの熱量を必要とします。 私が、各種プロジェクトで、「さあ、跳べ!ここがロドス島だ!」と力説してきた理由です。 今までの作業の蓄積を質に転化する最後の努力を怠れば、全ては、水泡に帰します。 「質の転換を実現して、そうして、結果を残せ!」という理由です。 この量の蓄積による質の転換は、爆発的な場合もありますが漸次的な場合もあります。 例えば、1本の糸を2本よってもそれは単なる2本の糸。 2本の糸を4本に撚り合わせても単なる太い糸。 が、これを続ければ、誰もが紐と認める質の転換期がきます。 「いい仕事」でも<太い糸>という結果を残すのと<紐>という結果では大きな差です。 「質の転換を実現して、そうして、結果を残せ!」という理由です。
お礼
そういう細かいニュアンスがあるのですか! でも前提に「いい仕事」があるわけで、ここをおろそかにしていては何も始まらない。 結果を残すと言うのは、なるほど、飛躍と言う局面を乗り切らないとなりませんね。
企業は利益を出して「なんぼ」です。 「いい仕事」=利益 とは必ずしもなりません。(で あれば最高ですが・・) 利益の出ない「いい仕事」は企業には必要無いのです。 「回答の無い質問はやらないのと同じ」と指導して来ました。 同じ様に利益の出ない仕事はしないのと同じ(極論ですが)です。
お礼
もっともですね。 でも、いい仕事の場合、いい結果になりよい。利益は出よい。 なので、もっと内容についても言及してもいいと思うわけです。 回答のない質問、質問の仕方が悪いでしょうね。
- granados
- ベストアンサー率22% (41/182)
スポーツの世界見ればわかりますよ。結果が全てです。
お礼
内容がいい選手は、結局トータルでいい結果を残しますね。 もし勝ち数が少なくても防御率が高い投手のほうが、その逆よりも優れていませんかね。
お礼
確かに客観的評価と個人的評価は相容れない面もあるでしょう。しかし、例外的では?例えば趣味で写真撮ってる人とかまぐれでスクープ写真なんて写すとか、なんかシャッターチャンスをずらしてしまって返って決定的瞬間が取れたとか、それで賞を取ったとしても、「ダメな仕事」が「結果」を出した。でもこんなことを奨励しません。「準備と練習と慎重でもって(いい仕事)で結果を出せ」というのが常識ではないでしょうか。
補足
田中さんの例は、「権威付け」がされる前は本質を認められなかったと言う、悪しきレッテル評価主義の典型では?この場合とはちょっと違う気がします。