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想いだす限り、いちばん遠い記憶はいつごろのものですか?
人の記憶は何歳ぐらいまで遡れるのでしょうか。 映画「アルタード・ステーツ」では、 人類の創世あたりまで甦っていきました。(笑 「デイヴィッド・コパーフィールド」の冒頭は、 いかにもディケンズらしく、たしか、私が生まれた時、 時計がボンボンと何時を告げていた、とか書かれていて そのあたりまで遡れると、これはとてもロマンチックですね。 どのあたりまで記憶を遡ることができますか、 どんな風景が浮んできますでしょうか、 よろしければ教えてください。 なお、お礼はすこし遅れるかも分かりませんが、 ご了承いただければありがたいです。
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私は、産まれてきたときの記憶があります。 暖かく、薄明るくて、居心地がいいのに、狭いトンネルを通らねばならないのです。 でも、これが生まれる時の記憶なんだ!って気づいたのは大人になってからです。(やはり、生まれる時の記憶があるっていう人の話を聞いて思い当たりました) 子供の頃、この夢をみると必ず泣いて起きていて、我ながら、なんで泣くんだろう?って思ってました。
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- natsuki1222
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たぶん2歳ですね。 祖父の土地に家を建てているのを 父の背中におぶわれて見ていたのを鮮明に覚えています。 キッチン部分を作っているところでした。 父は私になにか話し掛けていましたが それは覚えていません(笑)
お礼
お礼が遅くなりました。 回答ありがとうございました。 昔は家を新築したり増築したりすると、 親戚の者がこぞって見にきたりして、 あの部屋はどうするの、台所はこちらかとか、 わいわい言いながら話がはずんだものです。 きっとお父さんは回答者さんに家を見せたくて、 わざわざ遠いところから(これは推測 笑)やって きたのかも知れません。 やはりお父さんやお母さんと一緒の時の記憶は、 生涯忘れることが出来ないのでしょうね。 父にしろ母にしろ親の背中はなぜあんなに 暖かかったんでしょうか。
- violet122
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私は1歳前ですね。 歩行器で遊んでいる記憶です。 あとは当時、住んでいたマンションの間取りをなんとなく覚えていました。 後で親に話すとその記憶の間取りが合っていました。
お礼
お礼が遅くなりました。 回答ありがとうございました! う~ん、歩き出す前の記憶ですか。 今のわたしにとっては、にわかに信じられないのですが(笑、 お話を聞いていて、そういえば、歩行器に乗って遊んでいた 記憶もないではないなあ、とも思ったりします(笑 記憶を呼び戻せば呼び戻すほど、それが事実なのか、 あるいはあとから付け足したものか、だんだん不明に なってきたりします。 部屋の間取りまで覚えているとはね~♪ たしかに書斎とか台所なんかは、記憶されやすいかも 知れませんね。 今から振り返ってみても、そのマンションは、 よほど肌に合っていたのでしょう。
こんにちは。おじゃまします。今年で45歳になった独身男性です。 幼少の頃の記憶、意外に有ります。(苦笑) 2歳になる目前の寒い冬のことでした。目の前の景色が変わりました。 家も、道路も、田んぼも・・・何より隣の家の人も・・・一夜にして、すべてが変わりました。 “父親の都合”により引越ししました。(父は既に他界しております。) 数年前、家族が一同に会したときのこと、8つ歳が離れた長兄に向かって、 母が“話のネタ”にこのことを切り出した際のことです。 さすがに、当時10歳になろうとしていた長兄は、このことを鮮明に憶えておりましたが、 まさか、2歳にも満たない私に当時の記憶が有るとは知らず、母はたいそう驚いていました。(苦笑) 匂い・・・とでも言うのでしょうか・・・ 目の前の景色が突然変わることに対する警戒感とでも言えばよいのか・・・ 蛇足ながら、“本籍地”は“出生地”になったままです。 戸籍謄本を取得する場合には、苦労が絶えません。(苦笑) 本籍地を変えることもできるそうですが、敢えて、そのままにしています。 やっぱり、「生まれた土地の記録」ぐらい、残しておきたいですからね・・・(苦笑+汗;) 日曜日の真昼間から飲んだくれている、酔っ払いの戯言でした。おじゃましました。(苦笑)
お礼
お礼が遅くなりました。 回答ありがとうございます! たしかに子供にとって、目の前の風景が急に 変わってしまったりすると、それが強い衝撃となって いつまでも記憶の片隅に残ってしまうのかも 知れませんね。 なんでだろう、 幼い時の記憶を手繰り寄せていくと、匂いとか、 味とか、だれかと一緒にいたときの出来事とかに かならず関連づけられているようだけど。 たまに兄弟など、みんなで会ったりすると、 昔話に花が咲きますね。あのときの雰囲気は いいなあ、と思います。 他人事じゃなく、わたしも本籍は出生地です♪ 面倒くさいですけど。
- momokka
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1つ年下の兄弟がうまれるので、母の実家に預けられたときです。 1歳ちょっとです。 不安で不安でたまらなくて、姉にぴったりくっついて歩いていたのを覚えてます。 庭で子供プールに入ったりだとか。
お礼
お礼が遅くなりました。 回答ありがとうございました! 母親のもとから離れねばならないのは、 子供にとっては、ものすごく不安ですね。 わたしも一時お祖母さんの家に預けられていた経験が あるのですが、お祖母さんは、それはそれはやさしく してくれるのですが、何かさびしくてしょうがない記憶が あります。 妹や弟が生まれてくると、もう自分だけの母親じゃなくなり ますから、よけいに不安がつのったのかもしれませんね。 ゴム製のプールのなかで、水のかけあいっこ。 なぜかあのときの夏は暑かったような。
- mekadon3xv
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31・オス 2歳ぐらいの時ですかねぇ。 親父に抱きかかえられて木製の大きなスプーンとフォークを両手に持ってました。
お礼
お礼が遅くなりました。 回答ありがとうございました! みなさん、やはり二歳前後の記憶があるようですね。 たしかに父母や祖父母といっしょの時の思い出は いつまで経っても忘れることのできない事柄なんでしょうか。 木製のナイフとフォークですか。 ままごと用だったのでしょうか、それとも食事用のもの だったのでしょうかねえ。 さぞ自慢げに可愛い子供を抱きかかえている、 お父さんの笑顔が浮んできそうです。
二歳前です。縁側で一人日向ぼっこをしている時の記憶です。 30センチもなかっただろう高さの縁側の端に座ることを大きな冒険のように感じていました。 祖母は小さい私をとても可愛がっていましたが、そんな私を母は疎ましく感じていたようでした。(今から思うと私は手のかかる時期であったし) 母は同居で神経が参っていたようでその不機嫌さが時々私を不安にさせていたと思う。あとからかんがえたらですけど。夜などに眼をつぶると怖くてなんだかわからない悲しい気持ちを忘れようといつも早く眠りに落ちたかった。 家の門でて外に出るなんて考えられなかった。庭のじめじめしたところの茗荷は、不思議な形でナメクジやみみずは絶対に触りたくなかった。 そんなかな。
お礼
回答ありがとうございました。 ひとりで日向ぼっこをしている時の記憶ですか。 普通は兄弟や親と一緒のときのものが多いのですが、 これはすこし異質ですね♪ たしかに縁側は、子供にとって魅力のある場所かも 知れません。その下の暗い空間には、何かうごめいて いるような、恐ろしさと、それを見たさの、冒険の 世界があるようです。 もうすこし早くお礼をするべきでした。 申し訳ないです。 あまりにも早い退会でしたね。理由はあるのでしょうけど いずれまた入会されたときでも、お会いしましよう!
2歳違いの弟がまだ、いなかったようなので、2歳未満です。 私を連れて、母がプチ家出した時の状況は、かなりはっきり覚えています。 母に確認をとろうとしましたが、そんなことは、一切ないと言われました。 実家に電話をかけた、電話ボックスも買ってもらったものも思い出せるのですが。 そこから、記憶がポンと幼稚園まで、飛びます。 知り合いに生まれてきたときのことを覚えていると言う人がいます。
お礼
回答ありがとうございました。 子供を連れて仮初の家出ですか。 そういえば我が家でも何回かありましたね(^_^;) それも大概は冬場がおおく、子供にとっては災難以外の 何ものでもない♪ じつはわたしにもふたつほど小さい時の記憶があるのですが、 いまではそれが何時ごろのものか分からない上に、 はたしてそれが実在していたのかも、疑問に感じる時があります。 記憶は、その後に親から聞いた話とか、テレビで見た場面とかが かぶさっていき、一概にそれが正しいとはいえないところも あるのでしょうが、火の無いところに煙は立たず。 きっとおかあさんには、言えない事情があるのでしょうか(笑
- stratos
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二歳ちょっとのときの村祭りです。 その時の写真がこの間見つかったんですが、浴衣の柄と買ってもらったドラえもんのお面が記憶の通りでした。
お礼
回答ありがとうございました。 思い出というものは、何かに関連付けられて記憶として、 貯蔵されているのでしょうか。その良い例が年中行事であったり するのかも知れません。やはり子供にとって、正月や お祭りの、あのうきうきとした、なにかが起こりそうな期待感は 格別だったようです。 なぜ屋台では、お面が人気だったんでしょう。面をかぶると 子供ながら、たしかに違う人に為れたし、なんだか偉くなったようにも 感じましたね。あまりさわぐと息苦しくなってきて、ちょうど 筆箱のようなセルロイドのにおいがどこからかやってきました。 貴重な写真が見つかって何より。 存在が証明されましたね♪
お礼
回答ありがとうございました。 これは驚きましたね。前の方も言われていますし、 そんな話も聞いたことがありますが、実際にいらっしゃるとは ビックリです。 なぜ泣いたりしたのでしょうね。 それだけ母親の胎内には郷愁があるのだろうか。 通常二歳ぐらいまでは、胎内と、出生の記憶は あるようですが、その歳を過ぎるとたいがいのひとは忘れてしまう ようなので、この記憶は掛け替えのないものとなりそうですね♪ ディケンズの小説もまんざら嘘ではないことを、思い知らされました。(^_^;)