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人の成長とごまかしの関係について
こんにちわ。 人は自分に都合が悪い事をごまかして、 人のせいにしていると成長しないものでしょうか? 今までに見てきた人達で、都合の悪い事を ごまかして人のせいにしていた人達では、 ものすごく伸びた人が一人もいないのです。 みんな下のほうで頭打ちでした。 例えば、 私が通っていた塾の話をします。 すごく優秀な集団がA君をいじめて退塾に 追い込んだことがありました。 その後、その優秀な人達は真実をごまかして 地域で一番の進学校に進みました。 彼らのその後は、どうにもぱっとしませんでした。 一番優秀だったLさんは高校で落ちこぼれたそうです。 一番の権力者だったJさんは腰を怪我して好きな野球 で結果が残せませんでした。推薦で入ったのにです。 一番の悪さをしたGさんは、四浪して医学部に落ちたそうです。 苛めを黙っていたKさんは責任を取って塾をやめましたが、 その後精神を病んで、予備校をやめて、その後専門まで辞めました。 逆に、塾ではそんなに優秀ではなかったのに、 人として間違ったことをせずに、ごまかさず努力した 人間は成長して素晴らしい結果を残しています。 やはり、自分の人としての間違いをごまかす人間は 成長せず、いずれ頭打ちが来てしまう物でしょうか。 皆さんの周りの人間はどうでしょうか? 個人的な意見としては、自分をごまかすことは 無理だなと思っています。
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- sity-bluck
- ベストアンサー率25% (40/158)
>人は自分に都合が悪い事をごまかして、人のせいにしていると成長しないものでしょうか? はい。確実にそうだといえます。 それは何故か?彼らは人のせいにする事によって【その時にしなくてはならない自己の努力を怠ったからです】。その時、彼らの心がもし、もっと強かったのなら【自分の努力で優秀なA君に勝負し勝つべき】でした。 しかし、彼らはA君に正しい方法で勝負しなかった事よりより簡単な方法でA君を打ち消してしまいました。その結果、将来その時に同じような状況で自己の努力をしてきた人と争う状況になった時に【ずるをしたぶん、努力が足りなかった為に】そのような人に勝てるわけもなく、当然受けるべき結果になってしまったのだと感じます。 他人を打ち消してでも自分が・・・という考えは間違いです。何故なら、自分が目前にある【努力ができなかった為に他人を打ち消す】という行為からはその時点でその優秀な他人に【勝っていない】という事実があるからです。その努力は他人なのではなくあくまで【戦わなくてはいけないのは自分】。なのに努力した結果のみを追い求めるため、実質中身のない人間になっているということに変わりはないからです。 彼らは結局【自分に負けてしまった】ということなのだと思います。 確かに自分に勝つということは簡単な事ではないと思います。 ですが、一度その道から逃げては結果は質問者さんも見えていることなのだと感じます。
- moke_soda
- ベストアンサー率35% (14/39)
ごまかしは良くないですね、 結局、自分のごまかしがバレないようにすることだけに 気が向いていってしまうから、他がなおざりになって、 塾の優秀な人たちの集団のように落ちぶれていって しまうのかもしれませんね。 でも、人が犯した”ごまかし”のような過ちに 罰が当たって、そのひとが駄目になる という考え方は、あんまりしないほうが いいような気もします。 自分がすばらしい結果を残すためには、 まず周りの全員を蹴落として自分が 頭ひとつ飛び出してナンバー1になるのもひとつ。 それと、ものすごくたくさんの努力をして、 自分が他人より頭ひとつ分、死に物狂いで這い上がるのもひとつ。 悪いことして、ばちがあたってざまあみろ、というのは ”ごまかし”でないにしろ私は好きになれません。 やっぱり、大事なのは自分がどれだけごまかさず、 正直に生きるかということですよね。 人を蹴落とすんではなく 努力して、人より抜きん出ることで結果をだしていけたら いいと思います。
- himawari00
- ベストアンサー率20% (169/818)
貴方がそう思うならそれで良いんじゃないですか? 只『人間万事塞翁が馬』と言いますし、一概にそうとは言い切れませんけどね。 貴方は『人は成長する上で、ごまかしや人のせいにしてはいけないのだ』という目を持っているので、たまたま起きた彼らの現象を見て『ほら、やっぱりね。』と再確認しているだけです。 Lさんが落ちこぼれたこと、Jさんが怪我をしたこと、Gさんが受験に失敗したこと、Kさんが病気になったこと、それは長い人生の中でのひとコマでしかなく結果ではないと思います。 人の不幸を決め付けないこと。 人生は山あり谷ありです。 明日どうなるかは誰にも解りませんよ。 貴方は貴方で正しいと思う生き方をすれば良いのです。 どうぞ、人の不幸を見て「ほらね。」と確認するような復讐じみた感情で生きません様に。 反面教師と思って自分の肥やしにしてください。
倫理という考え方からなら、あなたの言っていることはわかるけれど、一番の進学校に進んでも、ほとんどの人間は落ちこぼれるし、成功しないだけではないでしょうか。 あなたの言う成功がどういうものかわからないけれど、大学進学ということに関してなら、全体の一割程度の人がまあまあの希望の大学に行けるだけで、後の人たちは浪人したり、妥協して行ったりしています。 中学の頃のコンプレックスを一生引きずっていく人もいるけれど、もう昔の友達と自分を比べるのはやめたほうがいいと思うよ。 学校によっては、低所得家庭の集まる高校もあるし、そういう学校だと同窓生はあまりいい暮らしをしていないです。私自身、高校の名簿を使って、優良株の電話勧誘をしてみたことがあるからわかりますが、お金に縁のない人たちだというのがよくわかりました。ほとんど断っているし、その株は三倍ぐらい値上がりする優良株でした。 とはいっても、私の義務教育の頃の友達を見ても、負けん気を出して精一杯生きているから、進学校に対するコンプレックスって強いのかもしれないけれど。 十五の春の受験ぐらいで、一生なんか決まらないです。 昔の義務教育の頃の友人だと、あなたみたいに変な落ちを考えて、友達のことを言っているけれど、少なくともA君を追い出せる力があるなら、その時点では彼らの方が実力はあったのでは。 友達関係も力関係だから、出来ない人たちがタッグを組めば、少数のできる人たちを追い出すことぐらい簡単だと思うよ。 そうされないために、できるものは思いやりを示す、寛大になるしかないのです。 ただ、この質問文はあなたの一方的な解釈に過ぎないけれどね。